91 お兄様にうかがいたいことがありますの その1


 龍翔と初華がいるのは、王宮から少し離れた場所にある、龍華国からやってきた者達に割り当てられた宿舎の広間だった。


 目の前では、『花降り婚』の準備のために、盟約が成った時点で龍華国から遣わされていた者達と、龍翔達と船でやってきた従者達とが合流し、忙しく立ち働いている。


 先に龍華国をっていた従者の一団は、龍翔達に先んじて晟藍国入りしていたものの、瀁淀の妨害に遭って、宿舎に留め置かれたまま、ろくに動けなかったらしい。さすがに相手が大臣では強硬に抗うわけにもいかず、舞台の設営こそできなかったものの、衣装やら舞台に使う細工物などの作業を瀁淀に気づかれぬよう、進めていたそうだ。


 瀁淀の執拗な妨害には、ほとほと嫌気がさす。


 ちなみに藍圭は、浬角を供に港へ行っている。

 瀁淀の妨害により汜涵しかんの離城へ追いやられていたものの、このたび、藍圭の宣旨によって将軍職へ戻ることになった魏角を出迎えるためだ。


 名高い魏角将軍が晟都へ帰還し、藍圭に熱い忠誠を誓っていることが広まれば、日和見している貴族達の間で、何らかの動きがあるかもしれない。


「お兄様。昨日、張宇から渡された『花降り婚』のために晟藍国が買い付けたという物品の一覧とは、やはり数が合いませんわ」


「予想通りだな」


 張宇の書きつけから兄へと視線を移し、愛らしい面輪をしかめて告げた初華に、龍翔は嘆息して頷いた。


「だが……」


「そうですわね。瀁淀に訴えたところで、「申し訳ございません。伝達もれがあったようでございます」とでも言って、新たに購入した物を、さも前々から準備して合ったという態で差し出されるだけでございましょう。そして、責任を取らせる形で、下級役人ひとりが解雇される程度……。瀁淀は何ら痛痒つうようを感じないに違いありませんわ」


 龍翔の考えを正確に見抜いた初華が、「まったくもう!」と苛立たしげに吐き捨てる。


「己にとがが及ばぬよう、小悪事ばかり重ねている卑怯さが、本当に腹立たしいことこの上ありませんわ! この際、とんでもない大悪事に手を染めてくれれば、言い逃れをする隙も与えず、叩き潰してやりますのに!」


 真剣な顔で過激極まりないことをのたまう妹姫に苦笑する。


「お前の気持ちはわからなくもないが、瀁淀は所詮、小悪党。えてして、そういう者ほどなかなか尻尾を掴ませてくれぬものよ」


 保身にけた瀁淀のやり口には、正直なところ、龍翔も斬り込む箇所を見つけられず、攻めあぐねている。


 『花降り婚』を成就させれば、瀁淀も藍圭に手を出しにくくなるであろうし、ひょっとすると、妨害するために無茶をしでかし、つけ入る隙ができるやもしれぬと、こうして準備を急がせているのだが。


「いっそのこと、もう一度、賊がわたくしを襲ってくれば、返り討ちにして捕らえて、首謀者を明らかにしてやりますのに!」


「初華!」

 とんでもないことを口にした妹を、反射的に叱る。


「滅多なことを言うな! お前を囮にするなど、そのような策を許せるはずがなかろう! もし藍圭陛下が耳にされてみろ。必ずや反対されることだろう」


「ですがお兄様。淡閲たんえつで襲撃したきり、息を潜め、何の動きもない賊を不気味だと思われませんか?」


「それは、お前の言う通りではあるが……」


 淡閲で周康に怪我を負わせ、まんまと逃げおおせた賊は、その後、何の動きもない。静かすぎて、かえって不気味なほどだ。


 龍翔達が警戒を強めているゆえ、手を出しあぐねているという可能性もあるだろうが、隙ができる瞬間を虎視眈々と狙っているのかと思うと、死角から見つめられているかのような緊張感が常につきまとう。


 もし敵が、龍翔達が護衛につけられる供の数が少ないと知って、この戦法を取っているのだとしたら、悔しいが、有効な手だと言わざるを得ない。


 季白や張宇、浬角を、初華や藍圭の護衛につけねばならぬ以上、どうしても調査に回す人手を減らさざるを得ない上に、かといって、いつ次の襲撃があるかわからぬ以上、警戒を解くわけにもいかない。


 藍圭と初華、どちらかを害され、『花降り婚』の成就が不可能となれば、それはそのまま、龍翔達の敗北となるのだから。


 もし、敵がここまで見越して淡閲で襲撃をしたのなら、その目論見は十分に成功しているといえる。


 明珠を庇ったからとはいえ、遼淵の高弟である周康に手傷を負わせ、逃げおおせたことで、決して刺客の実力を侮ることはできぬと強く印象づけたのだから。


 果たしてこれが瀁淀ひとりの策なのか、それとも背後に参謀役が潜んでいるかまではわからぬが、ともかく。


「よいな、初華。おぬしと藍圭陛下は『花降り婚』のかなめなのだ。間違っても、れて己を囮にして賊を捕らえようなどと考えるでない。もし万が一、そのようなことをしでかしてみろ。藍圭陛下が何とおっしゃると思う? 大切な妃を危険な目に遭わせてしまったと、我が身の無力を嘆かれるに違いない」


 花のようにたおやかな見た目に反して、勝気で、時に龍翔の度肝を抜くようなことをしでかす初華に、龍翔はあえて藍圭の名を出して言い含める。


 兄ならば、心配や迷惑をかけてもなんのその。むしろ、龍翔が初華に甘いことを知っていて、はなから巻き込む気満々で想像に飛び込んでいく初華だが、さすがに一回り以上年下の幼い藍圭には、心労をかけはすまい。


 兄の忠告に、初華は「承知しておりますわ」と子どものようにぷくっと頬をふくらませた。


 そんな表情をすると、昔、会うたびに「ねぇ、お兄様! わたくしもお兄様みたいに王城を出て自由に過ごしてみたいですわ! かごの鳥みたいな暮らしはもうたくさん!」とわがままを言って龍翔を困らせていた幼い頃の面影が強く出る。


 《龍》の血を受け継ぐがゆえに、その血を不埒者に奪われぬよう、王城から出ることもままならぬ皇女の初華と、政敵から身を守るために王城を出ざるをえなかった龍翔。


 立場は違えど、その身に流れる《龍》の血ゆえに、苦労を重ねてきた妹を、龍翔は戦友のようにも思っている。


 大切な妹には、なんとしても幸せになってほしい。


 そんなことを言えば、初華のことだ。


「お兄様に心配いただかずとも、わたくしはわたくし自身の力で幸せを掴んでみせますわ! わたくしのことを心配する暇がおありでしたら、どうすれば皇位に登りつめることができるか、政敵を退けるすべをお考え下さいませ!」


 と叱り飛ばされるに違いないが。


 龍翔の忠告に、初華は不満そうな顔のまま口を開く。


「お兄様に言われずとも、ちゃんとわかっております。ただでさえ、小さな双肩にいくつもの難題を背負われてらっしゃる藍圭様に、これ以上のご心労をかけるなんて、とんでもないことですもの。決して無謀なことはいたしませんわ」


 初華が真摯な声で断言する。


「まだ玲泉様や安理もあれこれ探っている途中ですもの。とっておきの手段は、打つ手がなくなった時のために、残しておくことにいたします」


 ということは、打つ手がなくなったら使う気かと、思わず問いただしたくなったが、初華から譲歩を引き出しただけでも重畳ちょうじょう、とこらえる。


 同時に、玲泉と安理が、状況を打破する知らせを持ってきてくれるよう、心から祈る。


 この際、気に食わない玲泉からでもかまわない。

 初華の無茶振りに応えることを思えば、まだマシだ。


「ところで、お兄様にひとつ、うかがいたいことがあるのですけれど……」


 これ以上のお小言は御免だと言いたげに、初華が思わせぶりに龍翔を見上げ、話題を変える。


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