87 役立たずで情けなくて……。 その3
わけがわからず、張宇を見つめていると、ひとしきり肩を震わせていた張宇が、ようやく笑いをおさめて顔を上げた。
まなじりには、うっすらと涙までにじんでいる。
「心配しなくていい。どぶさらいなんてしなくても、龍翔様はちゃんと明珠をおそばにおいてくださるよ。というか……。黒曜宮の女主人がどぶさらい……っ」
吹き出すのをこらえるかのように大きな手で口元を覆ってしまったので、張宇の後半はよく聞こえない。
「そ、そんなに変なことを言ってしまいましたか……?」
おどおどと問うと、「いいや」と大きな手で優しく頭を撫でられた。
「明珠のけなげな気持ちを知れば、龍翔様もきっとお喜びになられるだろう。……まあ、その……。どんな形でお仕えするかというのは、おいおいで……。うん」
何とも言えない苦笑いをこぼした張宇が、「よし!」と空気を変えるように、ぱんっと両手を叩いた。
「まだ不確かな未来の話はひとまず置いて、季白に言われた仕事をするか」
「そ、そうですね……っ! 季白さんが戻ってくるまでに、ちゃんと進んでいなかったら、叱られちゃいますもんね……っ!」
「朝から今までかかって、これだけしか調べられていないとは……っ! いったい、何をやっていたんです!? どうやら、減給されたいようですね……っ!」と、どろどろと背中に黒雲を背負った季白の姿がたやすく想像できて、背筋が寒くなる。
「張宇さん! 力の及ぶ限り、頑張りますので……っ! どうぞ、いろいろとお教えください!」
ぺこりと頭を下げて頼み込む。
情けないが、明珠ひとりでは、いったいどんな点に気をつけて調べればよいのかわからない。
「そんなにかしこまる必要はない。とりあえず、中身をざっと確認するところから始めよう」
「は、はいっ!」
ぱたぱたと卓へ小走りに近づく。
張宇に言われた通り、二人で手分けして巻物や冊子の題を確認し、大まかに分けていく。
が、明珠と張宇では、作業の速さがまったく違う。
「これは……。婚礼の舞台をどう
張宇は武官であるが、龍翔や季白とともに書類仕事をすることもると聞いていた通り、張宇の動きは淀みなく、巻物の中身も、ざっと目を通しただけで、素早く判断していく。明珠とは雲泥の差だ。
剣の腕に秀でているだけでなく、書類仕事までそつなくこなせるなんて、すごすぎる。
「明順。題名がついていない巻物や冊子は、俺に回してくれ。明順は題がついているものの仕分けを頼む」
明珠のとろくささを見かねたのか、張宇が優しく提案してくれる。
「は、はい。すみません……」
しゅん、と肩を落として詫び、題がついていない巻物をまとめて差し出すと、受け取った張宇が穏やかに微笑んだ。
「こういう作業をしていると、乾晶に滞在していた時を思い出すな」
「え……? は、はいっ。確かにそうですね」
乾晶の総督官邸に滞在していた時も、こんな風に留守番をしながら、張宇と二人で書類の整理をした。
「あの時も、季白にいきなり言われて、龍翔様のお部屋へ行ってみたら、山と書類が積まれてたんだよな……」
思い出すように、のんびりと張宇が呟く。だが、穏やかな声とは対照的に、書類を整理していく動きの素早さは変わらない。
「季白は人並み以上に自分ができる分、他の者にも容赦がないところがあるからなぁ……。確かあの時は、俺が龍翔様のお供で宴に出ている間は、安理も手伝いをしたんだろう?」
「はいっ、そうです。張宇さんだけでなく、安理さんにも手伝っていただいて……。張宇さんも、いろいろと教えてくださってありがとうございました。本当に助かりました」
ぺこりと頭を下げると、張宇が笑ってかぶりを振った。
「いや、気にしないでくれ。それより俺は、安理が手伝ったと聞いた時は、驚いたよ……。あいつ、何でも器用にこなすくせに、面倒だって言って、書類仕事はいつでも逃げてたから」
「えぇっ!? そうなんですか!? 乾晶で手伝ってくださった時は、安理さんから手伝いを申し出てくださいましたけど……?」
季白はともかく、張宇や安理まで書類仕事が得意なんだと、感心したので、よく覚えている。
「あっ、でも確かに、「面倒くさい」ってずっと言っていた気がします……」
うっかり暴露すると、張宇が吹き出した。
「安理らしいな。けど、あの安理に書類仕事をさせるなんて、なかなか大したもんだよ」
「ええっ!? 違いますよ! 安理さんがお優しいだけで……っ」
「安理の奴は、ほんっと気まぐれだからな。誰でも手伝うわけじゃない。その安理の助力を引き出したのは、明順の人徳だと思うよ」
張宇が心に染み入るような穏やかな声で言う。
手にしていた巻物から顔を上げると、柔らかな笑顔にぶつかった。まなざしは、明珠をはげますかのように優しい。
季白に命じられた通り、手早く書類を調べないといけないのに、どうして張宇がおしゃべりをしてくれたのか、ようやく気づく。
自分は役立たずだと落ち込んでいた明珠を慰めてくれているのだ。
張宇の気遣いに、胸の中がぽかぽかとあたたかくなっていく気がする。
明珠が役立たずなのは事実だが、周りにいる人達はみな、優秀な人ばかりだ。彼らに少しでも近づけるよう、毎日、努力をしていこう。
「あの、張宇さん。……本当に、ありがとうございます」
明珠はもう一度、深々と頭を下げる。
まずは書類の調査からだ。張宇のやり方をしっかり見て、少しでも学ぼうと、明珠は気合をこめ直した。
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