87 役立たずで情けなくて……。 その1


 翌朝。今日も藍圭、初華とともに朝議に出席するのだと、季白を供に出ていく龍翔を、明珠は張宇とともに見送った。


 が、すぐに季白が浬角とともに戻ってくる。二人の腕には、巻物や冊子が山と詰め込まれた木箱が抱えられていた。


「き、季白さん。それは……?」


 呆気あっけに取られて尋ねる明珠に、季白がきびきびと説明する。


「これらは、『花降り婚』の準備、特に予算に関する書類です。瀁淀なぞに任せていては、いったい、いつ婚礼が挙げられるのかわかったものではありませんからね! 昨日の造船所の一件で痛感しました! 今後、『花降り婚』の準備は、藍圭陛下と初華姫様が御自ら主導されることとなりました」


「な、なるほど……」

 季白の勢いに押されつつ頷く。


「というわけで、明順。あなたには張宇と一緒に、この書類を調べてもらいます」


「えぇっ!?」


 予想だにしていなかった季白の言葉に、思わずすっとんきょうな声が出る。季白の切れ長の目がすがめられた。


「先に言っておきますが、異議は認めませんよ?」


「い、いえっ! 異議なんて……! せいいっぱい頑張ります! けど……。具体的には何をしたらよいのでしょうか……?」


 ぷるぷるぷるっ、とあわてて首を横に振る。


 明珠が仕えているのは龍翔だが、お給金の支払いなどの実務を取り仕切っているいるのは季白だ。「役立たずに支払う給金など、必要ありませんね。減給です!」なんて言われたら、恐怖と哀しみで気絶してしまう。


「あなたと張宇には、これらの書類の中に、不正の証拠がまぎれ込んでいないか、探してほしいのですよ」


「不正の証拠……、ですか?」


「季白。お前は、『花降り婚』の準備で、不正が行われていると睨んでいるのか?」

 張宇の問いかけに、季白が大きく頷く。


「木材の一件から推察するに、横領が行われている可能性は大いにあります。裏帳簿を無防備に保管しているとは思えませんが、手がかりが見つかる可能性がわずかでもあるのなら、調べない手はありません! どうせ明順はほぼ部屋にこもりきりになりますし、何より、護衛の張宇を遊ばせておくのはもったいなさすぎますからね。まったく! たたでさえ人手が足りぬというのに、明順にまで護衛をつけねばならぬとは、本当に頭の痛い……っ!」


 途中から、季白の説明が愚痴へと変わっていく。


「ひぃぃっ」


 額から角を生やしそうな形相で睨みつけられ、明珠は情けない悲鳴を上げた。


「季白……。そんなに明順を怖がらせるのはよせ。すっかり怯えているじゃないか」


 安心させるようによしよしと明珠の頭を撫でながら、張宇が穏やかに取りなしてくれる。


 季白が胸の中の鬱憤うっぷんを吐き出すかのように大きく吐息した。


「……そうですね。龍翔様が重要な公務の場にまで明順を供として連れて行くと言い出し、いつとんでもない大失態をやらかすかと、胃痛を抱えるよりはましだと思うことにしましょう……っ」


 自分自身を納得させるかのように苦々しい声で呟いた季白が、きっ、と明珠を見据える。


「いいですか! 瀁淀を失脚させる証拠を掴めるとまでは期待していませんが、瀁淀の息のかかった官吏どもの罪を暴き、刑に処すことで、わずかなりとも力をぐことは可能です! そのためにまず必要なものは、誰の目にも明らかな証拠! あなたの節穴のような目で見つけられるとは思いませんが、それでも龍翔様の御為に、目を皿のようにして調べなさいっ!」


「は、はいっ! 力を尽くして頑張ります!」


 背中に物差しを突っ込まれたかのように、ぴしりと背筋を伸ばして答えると、


「あなたには期待していませんが、まあ、何もしないよりはましでしょう。張宇、頼みましたよ」


 浬角とともに、季白が慌ただしく出て行った。まるで、冬の嵐のようだ。


 ぱたりと扉が閉まっても、緊張に息をひそめたまま扉を見つめ続けていると、「明順?」と張宇に気遣わしげに声をかけられた。


「あっ、いえ。すみませんっ。季白さんの気迫に圧倒されてしまって……」


 正直に答えると、張宇が苦笑いする。


「いつも歯に衣着せぬ奴だが、浬角殿もいるというのに、今日は特にすごかったな。まあ、安理もいないし、龍翔様の供は季白に任せっぱなしだからなぁ……。晟藍国の高官達は敵と呼んで過言ではないし、初華姫様の護衛にも付かねばならんし……。余裕がなくなって、少し気が立っているんだろう。季白が言ったことは、あまり本気にしないでやってくれ」


 よしよし、と張宇が慰めるようにもう一度、頭を撫でてくれる。


「いえ、私が役立たずなのは、本当のことですから……」

 肩を落として力なく呟く。


 安理は一昨日、一緒に王宮へ来たものの、


「んじゃ、オレは町で情報を集めてくるっス~♪ 明順チャン、数日、オレの姿が見えなくて寂しーかもしれないケド、心配しなくていーからね♪」


 と、いつもの軽い調子でにへらと笑って告げたかと思うと、ひらひらと手を振って姿を消したまま、帰ってきていない。


 周康とは淡閲で別れたきりだし、張宇は、龍翔から明珠をひとりにはせぬよう言いつけられているため、龍翔が不在の間は、明珠につきっきりになっている。


 明珠などのために、張宇が主の龍翔のそばにいられないのは、どう考えてもおかしい。


「あの、張宇さん……」

「明順」


 意を決して話しかけようとすると、先手を取られて名を呼ばれた。


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