86 なんだか大仰に伝わってます!? その3
「だが、治せる手段があるからと言って、あせもを作ってよいわけではない。やはり、お前自身が《氷雪蟲》を喚べたほうがよいだろう。常にわたしが一緒にいてやれればよいが……。残念ながら、そういうわけにもいかぬからな」
「も、もちろん承知しております! ご公務でお忙しい龍翔様に無理を申し上げる気なんて、まったく……っ! あ、あの、もし初華姫様がお教えくださるとおっしゃってくださるなら、初華姫様にご教授いただきますし……っ」
初華なら、今日のように一緒に留守番をすることもあるだろう。龍翔よりはまだ、時間の都合がつくかもしれない。
「……本当は、周康さんがいらっしゃったら、周康さんにお教えいただくのが一番よいのでしょうけれども……」
命に別状はないと断言した龍翔の言葉を疑う気など毛頭ないが、周康の現状を知る手だてがないこともあり、心配は尽きない。
低い声で呟くと、龍翔の形良い眉がぎゅっと寄った。
「……わたしを頼ってはくれぬのか?」
「ふぇ?」
不機嫌そうな声に驚いて見上げると、黒曜石の瞳が、咎めるように明珠を見下ろしていた。
「初華にはあせものことも相談し……。初華や周康は頼るのに、わたしは頼ってくれぬのか?」
「えっ、あの……?」
なぜ急に龍翔が不機嫌になってしまったのかわからない。
反射的に身を引こうとした明珠を、逃さぬと言いたげに龍翔が強く抱き寄せる。
「今から、お前に《氷雪蟲》の喚び出し方を教えてやってもよいが……」
長い指先が、くい、と明珠の顎を持ち上げる。
「少しばかり、《気》が足りぬ」
ぎゅっと目を閉じ、守り袋を握りしめるいとまもあらばこそ。龍翔の唇が下りてくる。
「んぅ!?」
いつもより、深いくちづけ。声を洩らすまいと唇を引き結ぼうとすると、するりと背中を撫で上げられた。
「ひゃ……っ」
たまらず洩れた声ごと奪うように、くちづけが深くなる。
龍翔の手のひらの熱に、身体が
それだけで身体に
混乱と羞恥にうまく息ができない。解放してほしくて身動ぎすると、ようやく龍翔の唇が離れた。
はっ、と肌を撫でた呼気の熱さに、思考が酩酊する。
ふらつきかけた身体を支えてくれた龍翔を、明珠は半泣きで睨みあげた。
「す……、少しばかりっておっしゃったじゃないですか……っ」
こんな風にくちづけられるなんて、完全に不意打ちだ。恥ずかしさのあまり、哀しくないのに涙がにじみそうになる。
「す、すまぬ……」
困ったように形良い眉を下げた龍翔が、あやすようによしよしと頭を撫でてくれる。大きな手のひらは、緊張にこわばった身体をほぐすように優しい。
「つい、加減を誤ってしまった……。怒って、いるか?」
くぅんと鳴く大きな犬のように困り顔で見つめられたら、怒り続けることなどできない。
そもそも、《気》が少なくなったのは、明珠のために《氷雪蟲》を喚んでくれたからでもあるのだから。
「い、いえ。怒ってなど……。今日は、蟲をたくさん召喚されたのでしょう……?」
明珠はふるりとかぶりを振る。
造船所へ行く時にも、龍翔は万が一、何かあった時のためにと、何匹もの《盾蟲》を喚びだしていた。きっと、富盈の屋敷へ行く際も同じだったに違いない。
「それに、先ほども《氷雪蟲》を喚んでくださいましたし……。そ、その、今ので《気》は足りそうですか……?」
恥ずかしさに気が遠くなりそうな思いを味わいながら尋ねる。
これが明珠の役目なのだから、いくら恥ずかしかろうと、しっかり務めなければ。
弱々しい問いかけに、一瞬、虚を突かれたように龍翔が目を見開く。かと思うと、不意に額に口づけられた。
「お前は……。本当に可愛らしいことを言う。お前が怒っておらぬというのなら……」
龍翔の手がふたたび顎にかかる。
あわててぎゅっと目を閉じると、間を置かずに龍翔の唇が下りてきた。
先ほどとは打って変わった、いたわるような優しいくちづけ。
明珠の息が苦しくなる前に終わり、ほっとしてまぶたを開けると、優しく微笑んで見つめる龍翔とぱちりと視線が合った。
甘やかな微笑みに、ただでさえ高鳴っていた心臓がひときわ大きく跳ねる。
「どうする? お前さえよいのなら、この後、《氷雪蟲》の喚び出し方を教えてもかまわんが……」
するりと龍翔の指先が、以前、一緒に《氷雪蟲》を教えた時のように、明珠の指を絡めとる。
ぽう、と無意識を秀麗な面輪に見惚れていた明珠は、我に返るとぶんぶんとかぶりを振った。
「い、いえっ! 龍翔様のご厚意は本当にありがたいのですが、今日はその……。龍翔様も朝からずっと出かけられてお疲れかと思いますし……」
というか、正直、こんなに心臓がばくばく鳴っている状況では、教えてもらったとしても、頭に入る気がしない。集中するどころではないだろう。
「そ、それに、私も龍翔様も夜着ですし……」
「確かに、お前の言う通りだな」
龍翔が苦笑とともに絡めていた指をほどく。
「お互いに夜着では、気もそぞろになってしまうな」
「は、はいっ」
こくこくこくっ、と同意の頷きを返す。
朝夕、お互いの夜着を見ているというものの、ほんのいっときなので恥ずかしさにも耐えられるのだ。
たとえ身に纏うのが夜着であろうと、常に凛として見目麗しい龍翔はともかく、明珠のはしたない姿を見せて、これ以上、呆れられるわけにはいかない。
……もう手遅れだというのは、重々承知しているが。
「では、今宵はもう休むか。《氷雪蟲》の喚び出し方は、近々、必ず時間を取ろう。お前が遠慮しても教えるぞ?」
明珠が気を遣わないようにだろう。あえて強い口調で告げた龍翔に、素直に頷く。
「はい。お気遣いいただき、本当にありがとうございます」
深く下げた頭を優しく撫でられる。
「《氷雪蟲》は一匹だけでよいか?」
「はいっ、十分です! 夜着も薄手のものになりましたし、冷やし過ぎて風邪をひいてはいけませんから……」
「ならばよいが……。今後、何かある時は、遠慮せずにすぐにわたしに言うのだぞ?」
「はいっ!」
こくりと大きく頷くと、甘やかに微笑んだ龍翔にふたたび頭を撫でられた。
「しかと聞いたからな。約束だ。……おやすみ、明珠」
「お、おやすみなさいませ……」
深々と一礼し、そそくさと衝立の向こうに引っ込む。
心臓はまだ、ばくばくと高鳴ったままだ。衝立にとまった《氷雪蟲》から流れてくる冷気が、火照ったままの顔に心地よい。
夜着も薄手になったことだし、ぐっすりと眠れることだろう。龍翔と初華の気遣いに感謝しながら、明珠は布団にもぐりこんで目を閉じた。
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