86 なんだか大仰に伝わってます!? その2


「暑かったのなら、もっと《氷雪蟲》を喚んでほしいと言ってくれればよかったものを」


 言うなり、龍翔が《氷雪蟲》を一匹、喚び出す。ひやりと冷気をまき散らしながら、《氷雪蟲》がぱたぱたと明珠の寝台のほうへ飛んで行った。


「お前が望むなら、何十匹だろうと喚ぶというのに」


「そんなにいりません! お部屋を氷室に変えられるつもりですか! 風邪をひいてしまいますよ!?」


 今にも、もう一匹喚び出しそうな龍翔をあわてて押し留める。


「そ、その……。本当は、自分で《氷雪蟲》を召喚できたらよかったんですけれど……っ。先日、お教えいただいたのに、なかなかうまく召喚できなくて……」


 話すうちに、どんどん顔が下向きになり、声が小さくなってしまう。

 龍翔の貴重な時間をもらったのにと思うと、情けなさで消え入りたくなる。


 と、するりと龍翔の長い指に手を絡めとられた。


「ならば、もう一度、一緒に練習すればよいではないか」


 明珠の手を持ち上げた龍翔が、ちゅ、と指先にくちづける。


「っ!? なっ、なななにをなさるんですか――っ!? 大丈夫です! 自分で練習します! 龍翔様にお手間は……っ」


「わたしにとっては」

 明珠の手を握ったまま、龍翔が甘やかに笑う。


「お前とともに過ごす時間は、得難い癒しだ。こうも暑いと、お前自身も《氷雪蟲》を喚べたほうがよいだろう? それとも、わたしが教師役では不足か?」


「と、とんでもありません……っ!」

 ぶんぶんぶんっ、と千切れんばかりに首を横に振る。


「龍翔様にお教えいただけるなんて、ありがたいことこの上ないです!」


「そうか」

  嬉しそうに口元をほころばせた龍翔が、もう一度、明珠の指先にくちづける。


「あ、あの!? 龍翔様……っ!?」


 鏡を見ずとも、顔が真っ赤になっているだろうとわかる。手を引き抜きたいのに、しっかと握った龍翔の手は緩みそうにない。


 身を引こうとすると、逆に背中に回されたままの大きな手のひらに、ぐいと抱き寄せられた。


 龍翔の衣にき染められた香の薫りがふわりと漂い、ますます顔が熱くなるのを感じる。


「あ、あの……っ!?」


「お前の手から」

 唇が指先にふれそうなほどすぐ近くで、龍翔が囁く。


「いつもとは異なる薫りがする。これは……桃の薫りか?」


「あっ、それは……」


 なんとか龍翔の手から逃れられないかと儚い抵抗を試みながら、あわてて説明する。


「初華姫様が、吹き出物に効くという軟膏なんこうをくださったんです! 桃からできているそうで、きっと塗った時に薫りがついたのだと……」


「そうか。桃の薫りも、愛らしいお前によく合うな」


 ちゅ、と三度くちづけられ、頭が沸騰する。


「そ、それよりも龍翔様! 私、すごい大発見をしたんです!」


 なんとかこの状況を打破したくて声を張り上げると、「うん?」と龍翔が唇を離して首をかしげた。

 この機会を逃してはならぬと、明珠は興奮とともに早口に告げる。


「なんとですね! 《癒蟲》って、あせもにも効くんですっ!」


「……は?」


 虚を突かれた龍翔の表情に、さしもの龍翔様もご存じなかったんだと、妙に嬉しくなる。


「《癒蟲》で怪我を治せるのはもちろん知っていましたけれど、まさか、あせもにも効くだなんて……っ! ああっ、もっと早くに気づいていたら、初華姫様にいただいた軟膏を使わずにすみましたのに……っ!」


 術に苦手意識を持っていたせいで、《癒蟲》を使うなんて、今日まで全然思い浮かばなかった。湯上りに、もしかしたらと思って使ってみたのだが、まさか本当に治るとは。


「これで、これから暑くなっても大丈夫です! ただ……」


 ひとつだけ、自分ではどうにもならない欠点に、しゅんと肩を落としてうつむくと、


「ただ……。どうした?」

 ようやく我に返った龍翔に優しく問われた。


「背中側は、自分では見えないうえに、手も届きにくくて……。そこだけ、どうしようもないんです……」


「背中……」

 呟きと同時に、背にふれていた龍翔の手のひらがぴくりと揺れる。


「ひゃっ!?」


 くすぐったさに思わず声を上げ、龍翔を見やると、龍翔はうっすらと面輪を染め、明珠から顔を背けていた。


「《癒蟲》を呼ぶことなどわけもないが……。その、わたしから初華に頼んでおこう」


「えぇっ!? そんなっ、初華姫様にお手数をおかけするわけにはまいりませんっ!」


「ならば……」

 向き直った龍翔の視線が、明珠を貫く。


「わたしが、ふれてもよいと?」


「ふぇっ!?」

 言葉と同時にするりと背中を撫でられ、変な声が飛び出す。


「えっ? あの……?」


 混乱する思考で、龍翔が告げた内容を理解した瞬間、ぼんっと頭が爆発した。


「とっ、ととととと……っ! とんでもないですっ! 龍翔様にその……っ」


 夜着が薄いせいだろう。まるで、素肌に直接ふれられているような錯覚に陥る。

 いくら、尊敬する龍翔とはいえ、肌を見せるなど……。そんなはしたないことをできるわけがない。


 以前、蚕家で襲われた時、一度だけ龍翔が背にふれたことがあったが、あれは寝台から落ちかけた明珠を支えるための不可抗力だった。


「すまん。冗談だ」


 うまく言葉を紡げないまま、魚みたいに口をぱくぱくさせていると、苦笑した龍翔に優しく頭を撫でられた。


「お前が嫌がることをする気はない。……さすがに、わたしも冷静でいられる自信がないしな……」


「え?」

 低い呟きが聞き取れず首をかしげると、もう一度くしゃりと頭を撫でられた。


「気にするな。だが……。ちゃんと、初華に治してもらうのだぞ?」


「で、ですが……」

「でなければ」


 ぐい、と明珠を抱き寄せた龍翔の指先が袖口から侵入し、素肌にふれる。


「わたしが目隠しして、袖口から手を入れて《癒蟲》で治すぞ?」


「っ!? は、初華姫様にお願いいたしますっ!」


 息を飲んで即答すると、龍翔がくすりと笑みをこぼして、指を引き抜いた。


「すまん。驚かせてしまったな」


「い、いえ……っ。私が遠慮しないよう、気遣ってくださったのだとわかっておりますから……っ」


 口から心臓が飛び出すかと思うくらい、びっくりしたが。


 龍翔の言動は、ときどき心臓に悪すぎる。


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