85 なかなかしたたかな御仁だったな
夕方近くになって、龍翔や藍圭達が帰って来るまで、初華は明珠や張宇と一緒に、龍翔の私室にいてくれた。
龍翔達の帰りに合わせるように、初華が萄芭に命じて、大きな卓に夕食の用意をさせる。
食事が始まってすぐ、話題に上がったのは、もちろん
「富盈様はどのような人物でしたの?」
「その……。国王となってから、富盈殿にお会いするのは初めてだったのですが……」
初華の問いに、藍圭が困ったように龍翔を見やる。
「……なかなかしたたかな
「先ぶれに季白を遣わしたのは、おぬしも知る通りだが、国王と龍華国の皇子を出迎えるのに失礼のないよう、準備を整えさせていただきたいと、すぐに返事が戻ってきてな。こちらも無理強いをするわけにもいかず、瀁淀に先を越されてしまった」
明珠はあたふたと造船所を出て行った瀁淀の太った後姿を思い出す。
龍翔達が推測していた通り、やはり瀁淀は富盈と手を組んでいるということだろうか。
「龍翔様と藍圭陛下がわざわざ出向かれるとおっしゃっているのですよ! 歓迎の準備などより、即座にお出迎えすることこそが礼儀でしょうが! そもそも、晟藍国一の大商人ともあろう者が、不意の来客に備えていないはずがありません!」
季白が切れ長の目を怒らせ、富盈を非難する。
造船所で打ち合わせした通り、龍翔達は木材が足りぬ現状では、『花降り婚』の準備が進まぬため、龍華国から木材を輸入しようと考えていることを富盈に伝えたそうだ。
だが、それに対する富盈の返事はというと。
「これはこれは、貴重な情報をお教えいただき、誠にありがとうございます。『花降り婚』の舞台に使う木材の納入をご依頼いただきながら、震雷国からの輸出が止まり、必要な数を用立てられぬ事態には、わたくしも心を痛めておりました。本来ならば、わたくしから藍圭陛下の元へ赴き、お詫び申しあげねばならぬところを、まさか陛下が直々にお越しくださいますとは、恐悦至極に存じます」
瀁淀によく似たでっぷりと太った身体を申し訳なさそうに縮めた富盈は、藍圭と龍翔に深々と頭を下げて陳謝したのだという。だが。
「ですが……。木材を取り扱っている御用商人は、わたくしだけではございませぬ。利を得るには、余人より早く情報を得ることが重要でございますが、さらに重要なことは、得た情報の使い方でございます。いえ、聡明な陛下には、このようなことは言うまでもございませんな」
「わたくしを
と、腰の重い様子だったという。
「その会合とは、いつですか?」
と尋ねた藍圭に、
「五日後でございます」
と悪びれずに答えたそうで、季白は開いた口がふさがらなかったという。
「本来ならば、すぐさま会合を開くべきところを、五日も先延ばしにするなど……っ! 言外に、こちら側に協力する気はないと言っているも同じではありませんか!「五日後!?」とおっしゃられた藍圭陛下の悲痛なお声には、わたしも心が痛くなりました……っ!」
拳を握りしめ、富盈への怒りを吐き出す季白に、藍圭の隣に座る浬角が、大きく頷いて同意する。険しく張り詰めた
「ですが、さすがは龍翔様! 富盈の不敬極まりない言葉にも少しも動じられず、端然と微笑まれて、「ほう。晟藍国の商人達は、利に
季白の熱弁に、今度は浬角だけでなく、藍圭までもが大きく頷く。
明珠の脳裏にも、冷ややかな威圧感をたたえて優雅に微笑む龍翔の姿が浮かぶ。
きっと、思わず見惚れずにはいられないような、一幅の絵画のような姿だったことだろう。
「季白。わたしが何と言ったかなど、わざわざ説明せずともよいだろう?」
妹の前で褒めそやされるのが気恥ずかしいのか、龍翔がやんわりと季白をたしなめる。
が、季白は決然とかぶりを振った。
「いいえ! 「そのほうは見るからに腰が重い様子。ならば、他の御用商人達には、わたし達から伝えよう。国王となられた藍圭陛下と
季白の表情は真剣そのものだ。機会あれば、心酔する龍翔を褒めたたえずにはいられないらしい。
その気持ちは明珠もわかる。龍翔は、本当に素晴らしい主なのだから。
「だが……」
このまま説明を季白に任せていては、どこまで長くなるかわからぬと思ったのだろう。龍翔が苦い声で割って入る。
「やりとりから察するに、富盈が瀁淀と通じておるのは間違いないようだ。しかし、揺さぶりをかけても、富盈が瀁淀からこちらへ乗り換えそうな気配は、ついぞ見受けられなかった。今はまだ、瀁淀側についておくのが手堅いと思っておるのだろう」
龍翔の言葉に、藍圭の小さな肩がしゅん、と落ちる。はげますように、龍翔が藍圭に微笑みかけた。
「陛下、よくお聞きください。「今はまだ」です。富盈は抜け目のない商人。瀁淀が落ち目となり、味方をしていては不利と思えば、必ずや瀁淀を見限り、陛下のお足元にひれ伏すことでしょう。ただ……」
「何か、大きな動きでもない限り、富盈のほうから瀁淀を裏切る可能性と低いと、お兄様は考えてらっしゃるのですね?」
言い淀んだ龍翔の後を、初華が引き継ぐ。龍翔が苦い顔で頷いた。
「その通りだ。富盈から瀁淀を切り崩すのは、骨が折れるだろう。他を当たった方がいいやもしれぬ」
「他、ですか……」
藍圭が眉を寄せて呟いた龍翔に頷いて提案する。
「ひとまず、瀁淀が法に反した契約を結んでいないか、文書を洗いざらい調べましょう。もし結んでいたとしても、残っている可能性は低いかもしれませんが……」
龍翔の言葉に、季白が「かしこまりました」と一礼する。
「では、明日からさっそく取りかかりましょう。浬角殿。信の置ける文官はおりますか? 顔をつないでいただきたいのですが」
「数は少ないですが、まったくおらぬということはありません。瀁淀によって、閑職に追いやられておりますが、季白殿のご要望にお応えできるかと……」
浬角が緊張した面持ちで頷く。
「富盈殿から崩せないとなると、また別の手を考えなくてはなりませんわね。新たな策が見つかるまでは、瀁淀の屋敷へ赴かれた玲泉様に期待……。というところでしょうか?」」
ふぅ、と嘆息した初華の言葉に、龍翔の形良い眉がぎゅっと寄る。
「玲泉などに期待せずとも、街へ放った安理が何か掴んで戻ってくるやもしれぬ。まだ、晟藍国へ着いて一日しか経っておらぬのだ。打てる手はこれからいくらでも見つかろう」
力強く断言した龍翔に、明珠は心から感心する。
そうだ。龍翔ならばきっと、明珠などでは思いもよらぬ策を考え出してくれるに違いない。
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