84 お兄様達がお戻りになるまで、のんびりお菓子を楽しみましょう その2


「っ!?」


 言われた瞬間、ぼんっ! と爆発したのではないかと思うほど、一気に顔に血がのぼる。


 とっさに二日前の『おしおき』が脳裏に甦ってしまい、めまいを起こしそうになった。


「あら、この反応……。気になりますわ」


「い、いいいいいえ……っ」

 ぷるぷるぷると必死で首を横に振る。


 《気》のやりとりのことなど、恥ずかしくて余人に話せるわけがない。


 なにより、初華は龍翔にかけられている禁呪のことを何も知らないのだ。初華に余計な心配をかけたくないと話していた龍翔の気遣いを、明珠などが無下にするわけにはいかない。


 何と言えばよいのか困り果てていると、初華が不意に張宇を振り返った。


「明順のこの反応……。これは、少しは期待してもよいのかしら?」


「ええっ!? 俺にお聞きになるんですか!?」


 急に話を振られた張宇が、うろたえた声を上げる。

 ちらりと明珠を見た顔は、うっすらと赤い。


「その、俺は、龍翔様が明順を大切にしていることしか存じ上げませんが……」


 困ったように呟いた張宇の視線が、ふと定まる。

 真っ直ぐに明珠を見たまなざしには、祈るような光が宿っていた。


「愛らしい花が龍翔様の癒しとなれば、喜ばしいことだと思っております。むろん、俺自身は余計や手出しや口出しをする気は、毛頭ございませんが」


「……そう、問題は余計な手出しですわよね……。幸い、今は王宮を離れてらっしゃいますけれど、あの方が、このまま大人しく引き下がるとは、到底思えませんもの」


 ふぅ、と初華が大きく吐息する。


 王宮を離れているということは、玲泉のことだろうか。


 明珠には初華の言葉の意味がよくわからないが、ともあれ話題が自分から離れたようで、ほっとしながら、ふところから出した手巾で額の汗をぬぐう。


 南方の晟藍国は、龍華国より気温が高いものの、王宮内は《氷雪蟲》を入れた虫籠むしかごを諸所に配しているので汗ばむほど暑くはない。


 この部屋でも、初華が手ずから召喚した《氷雪蟲》が、部屋の片隅に置かれている虫籠に入れられており、羽ばたくたび、ひんやりとした冷気が流れてきて心地よい。


 が、先ほど初華に抱きつかれた上に、予想だにしない問いをぶつけられたせいで変な汗がふき出している。


「あら、明順、暑いの? もう一匹、《氷雪蟲》を喚びましょうか?」


「い、いえ! 大丈夫です!」


 初華の問いに、ふるふると首を横に振る。

 と、初華の目がいぶかしげに細くなった。


「さっき抱きついた時にも思ったけれど……。明順、あなたの着物、厚手すぎではなくて?」


「え?」


 思ってもみなかったことを指摘され、明珠は自分が着ている衣を見下ろす。


 明珠が着ているのは、少年従者として龍翔に仕えることになった際に用意してもらったお仕着せだ。乾晶に赴く時だったので、三か月ほど前になる。


 北方の町である乾晶では、このお仕着せで暑くも寒くもなかったのだが……。

 確かに、ここ最近は暑いと感じることが多い。けれど。


「い、いえっ! 大丈夫です! こんなしっかりした生地のお仕着せをいただけただけでありがたいことですから! まだ、どこもすり切れたり破れたりもしていませんし……。あっ、もちろんそんな時は、ちゃんとつくろって、着れなくなるまでしっかり着ますから!」


 勢い込んで告げると、初華の目がさらにすがめられた。


「張宇……。あなた、これ……」

「まったく、面目もございません……」


 咎めるような初華の視線に、張宇が大きな身体を縮めるようにして詫びる。


「王都に戻って、『花降り婚』の出立まで時間がなかったとはいえ、わたしや季白の手落ちでございます。……ごめんな、明順。今まで気づいてやれなくて」


 向き直った張宇にまで頭を下げられ、うろたえる。


「ふぇっ!? 張宇さんまでどうしたんですか!?」


「どうした、って……。すまん。南方の晟藍国へ行くっていうのに、もっと薄手で涼しい着物を用意してやるべきだったよな……。この気温じゃあ、その厚手のお仕着せは暑いだろう?」


「え……。で、でも王宮の中は《氷雪蟲》がいますから涼しいですし、それにちゃんと着られる立派なお仕着せがあるのに、新しいものをいただくなんて、申し訳ないですし……」


「明順。あなたのそのつつましいところは可愛いけれど……」


 ちらりと初華に視線を向けられた萄芭が、心得たように一つ頷き、部屋を出ていく。


「でも、あなたは龍華国の第二皇子であるお兄様の従者なのだから……。それにふわさしい服装をしなくては、お兄様が侮られてしまうわ。従者の衣服ひとつ満足に調ととのえられぬ、情けない主人よと」


「す、すみま――、っ!?」


 謝ろうとした口元を、初華の人差し指で押さえられ、驚きに言葉を飲み込む。


「あなたが謝ることはないわ、明順。今回のことは、お兄様達の手落ちですもの。それよりわたくしは、あなたが暑さでのぼせたり、体調を崩したりしないかが心配だわ。厚手の生地というだけでなく、あなたはさらしまで巻いているのだもの。かなり暑いでしょう?」


 初華の言葉に、張宇がいま気づいたと言いたげに、はっと息を飲む。


「そ、その……」

 明珠はうつむいて言い淀んだ。


 確かに暑さが原因で困っていることはあるが、わざわざ初華に伝えるほどのことではない。「なんでもないです」と答えるより早く。


「何か、あるのではないの?」


 明珠の心を読んだかのように、初華が問いを重ねる。


「お兄様や張宇には、かえって言いづらいこともあるでしょう? 聞かれるのが嫌なら、張宇には少しの間、席を外してもらいますわ」


「い、いえっ、大丈夫です! 張宇さんにわざわざ出てもらうなんて……っ」


 初華の言葉に、椅子を引いて立ち上がろうとする張宇を、あわてて制する。


「こ、困っていると言ってもひとつだけですから! しかも、大したことではないですし……っ」


 じっ、と初華と張宇の二人に視線で問われ、観念する。


「そ、その……。よく汗をかくようになったので、あせもができてしまって……」


 厚手の着物の下に、何重にもさらしを巻いているせいだろう。最近、汗がたまるところに、ぽつぽつとあせもができてしまっているのだ。


 が、そんなことを龍翔や張宇には相談できないし、塗り薬をくださいと言うのもはばかられる。別に病気や怪我というわけでもないし、明珠が少し我慢すればいいだけだ。


「あっ! あせもって、《癒蟲ゆちゅう》で治せるんでしょうか!?」


 ふと気づき、前のめりになって初華に尋ねる。


 どうして今の今まで気づかなかったのだろう。いまだに《術》を使うのに慣れていないためだが、我ながらうっかりしすぎている。

 今夜、湯浴みした時に確かめてみよう。


「あせもに《癒蟲》? ……ごめんなさい。わたくし、聞いたことはあっても、あせもというものになったことがなくて……」


 輝くばかりの玉のような肌の初華が、困ったように張宇を見る。


「えっ、いや……」


 なぜか赤い顔で視線をさまよわせていた張宇が、さらに挙動不審になった。


「お。俺は《術》のことはわかりませんので……。ここはやはり、龍翔様か季白に相談してみるのがよいかと……。というか明順、本当にすまなかった!」


「えぇっ!? あの張宇さん! お願いですから頭を上げてくださいっ!」


 向き直った張宇にがばりと深く頭を下げられ、今度は明珠がうろたえる。

 張宇に謝られるようなことをされた覚えは、何ひとつないというのに。


 厳しい声を張宇に浴びせたのは初華だ。


「まったく! 本当にその通りですわ! 明順は女の子ですのに、肌をいためさせるなんて……っ!」


「ええぇっ!? あの、初華姫様、単なるあせもですよ!? 少しかゆいくらいで、放っておいても特に問題のないものですから……っ」


 あわあわと、怒る初華を取りなそうとする。が、初華の険しい表情は緩まない。


「これは、お兄様にしっかりとお灸をすえる必要がありますわね……っ!」


「あ、あの初華姫様!? 大丈夫です! 大丈夫ですから……っ!」


 明珠などのことで、龍翔に迷惑なんてかけたくない。が。


「明順は優しいのね。心配しなくても大丈夫よ。新しいお仕着せだけでなく、お薬もちゃんと用意しましょうね」


 ふふふ、と上品に笑いながらも、兄そっくりの威圧感を漂わせる初華に、明珠はただただ、おろおろすることしかできなかった。



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