83 港にどんな御用なんですか? その5


「っ!?」


 龍翔の言葉に、藍圭が息を飲む。


「今からお伝えすることは、あくまでも、わたしの推論に過ぎません。加えて、藍圭陛下がお聞きになられて楽しい話ではございません」


 血の気の引いた藍圭の面輪を見つける龍翔のまなざしは痛ましげだ。だが、静かな声音は淀むことなく言葉を紡ぐ。


「あたりさわりのない言葉で、陛下の憂慮を打ち払うことはたやすいでしょう。ですが、為政者たるもの、常に最悪の事態も想定しておかねばならぬと、わたしは考えております。そうでなければ、不測の事態が起こった時に、とっさに対応できぬと。しかし、国王であらせられるとはいえ、まだ幼くていらっしゃる藍圭陛下に無理強い――」


「いいえっ!」

 澄んだ藍圭の声が、龍翔の言葉を遮る。


「義兄上のお気遣いには感謝いたします。ですが、至らぬ点が多くあろうと、晟藍国の国王はわたしです。わたしが知っておかねばならぬことならば、たとえ辛辣しんらつな意見であろうと、よくない話であろうと、ちゃんと聞いておくべきだと思います。ですから、どうぞ遠慮なさらずお話しください」


 蒼白な顔で、それでもつぶらな瞳に強い光を宿し、藍圭が長身の龍翔を見上げる。


 初華とつないだままの手がかすかに震えていることに気づき、明珠は、藍圭を尊敬すると同時に、きゅうっと胸が痛くなる。


 叶うならば、明珠も隣に駆け寄って、空いているもう片方の手を握りしめ、力づけてあげたい。と。


 明珠の祈りが通じたかのように、初華がもう一方の手で、握りしめた藍圭の拳にそっとふれる。小さな拳に伝わる震えを、わかち合おうとするかのように。


 藍圭の言葉に、龍翔のまなざしが和らぐ。


「藍圭陛下。大変な失礼を働いたことをお詫び申しあげます。陛下のお覚悟を見誤ったわたくしの非礼をお許しください」


 恭しく一礼した龍翔の面輪は、曇天の中、ひとすじ差し込む光明を見出したかのように晴れやかだ。


「では、わたしの推測を申し上げましょう」


 龍翔が声を落とす。

 造船所は広い。船大工達のところまで声は届かぬだろう。それでも声を低めたのは、用心のためか、それともこれから話す内容ゆえか……。


 明珠は固唾を飲んで龍翔の言葉を待つ。


「おそらく、震雷国から輸出されている木材が減っているのは事実でしょう。震雷国にしてみれば、『花降り婚』は歓迎できぬことですから。ですが、それを抜きにしても、これほど準備が遅れているのは不自然極まりない事態です。十中八九、瀁淀の妨害に違いありません。先ほど、瀁淀が申し出ていた経費の増額……。くわしくは調べてみなければわかりませんが、実際の価格よりさらに高い可能性があるのではないかと。先ほど、わたしが割って入ったのは、そうした危惧きぐを抱いたゆえなのです」


 説明した内容が藍圭の中に染み込むのを待つように、龍翔がいったん言葉を切る。が、明珠には龍翔が何を言いたいのか今ひとつ掴めない。


 予算が増えるのは困るが、『花降り婚』を一日も早く成就させるためには、少しくらいなら仕方がないのではなかろうか。


 もちろん、明珠のお金ではないからこそ、言えることだが。自分のお金だと考えると恐ろしくて震えてしまいそうになる。


「これは、瀁淀の言動から推測したことに過ぎないのですが」


 龍翔がふたたび話だし、明珠はあわてて意識を集中する。


「御用商人である富盈殿が『花降り婚』が決定した時点で、先んじて安く木材を大量に仕入れて置き、瀁淀があれこれと理由をつけて、相場より高い値段で買い取る……。その金を二人で折半すれば、瀁淀は『花降り婚』の妨害ができるだけでなく、一挙に大金も得られます。藍圭陛下の承認さえ得られたらしめたもの。急ぎの入り用だったため、この値段だった。栄誉ある『花降り婚』に生半可な質の木材を使うわけにいかぬ……。と、理由はいくらでもつけられましょう。ましてや、二人は大臣と御用商人です。瀁淀と富盈殿が手を組めば、いくらでも価格の融通ゆうずうが利きましょう」


「な……っ!?」


 思わず声を上げてしまい、明珠はあわてて両手で自分の口を押える。


 龍翔達の視線が集中し、明珠は「申し訳ございません……っ!」と身を縮めて謝罪した。

 季白が不在にしていてよかった。もし、この場にいたら、刃のような視線で睨みつけられていただろう。


 大臣と御用商人が手を組んで『花降り婚』を妨害するばかりか、不正まで行っているかもしれない、なんて……。


 もし本当だとしたら、とんでもないことだ。


「ですが、いま申しあげたことは、状況から推測したわたしの想像にすぎません」


 明珠と藍圭の双方を落ち着かせるように、龍翔が穏やかな声を出す。


「それを確かめるためにも、富盈殿と直接会い、人となりをこの目で見てみたいのです」


「で、ですが、もし……っ」


 衝撃に揺れる心のままにうろたえた声を上げた藍圭が、途中で何かに気づいたのか、はっと鋭く息を飲む。


 愛らしい面輪をきりりと引き締め、藍圭が龍翔を見上げる。


「つまり……。もし、瀁淀が不正を行っていた場合、その証拠を掴んで大臣の地位から追い落とそうと……。義兄上は、そのようにお考えということですか?」


「わたしは、転んでもただでは起きぬ性格ですので」


 藍圭の緊張をほぐすように、龍翔が悪戯っぽく微笑む。


「追い込まれても、簡単にやられる気はありません。むしろ、そんな時こそ、周囲を見回し、耳を澄まして活路を見出さなくては。ですが……」


 龍翔が、誰もが思わず見惚れてしまうようなあでやかな笑みをこぼす。


「よく、ご自身で気づかれましたね。さすがでございます」


「い、いえ……っ」

 龍翔の賛辞に、藍圭が照れたようにふるふるとかぶりを振る。


「義兄上が丁寧にお教えくださったおかげに他なりません」


「とんでもないことです。わたしは推論を述べたにすぎません。そこから策を導かれたのは、藍圭陛下の聡明さゆえ……。どうぞ、自信をお持ちください」


 微笑んでゆったりと首を横に振った龍翔が、


「わたしもひとつ、藍圭陛下にお教えいただきたいことがあるのですが……」

 と告げる。


「は、はい。いったい何でしょうか?」

 何を聞かれるのだろうかと、緊張した面持ちの藍圭に、龍翔が、


「わたしは船についてはうといもので……」

 と、困ったように眉を下げる。


「『花降り婚』で使われる平底船は、ふつうの平底船と何か違いがあるのですか?」


「い、いえ。ごくふつうの平底船です。婚礼が終わった後は、民に払い下げて、通常の用に使うものですから、寸法も一般的なものですし……」


「では、後ほど、念のため寸法などを教えていただけますか?」


「はい、それはもちろん。ですが、なぜ……?」


 不思議そうに問うた藍圭に、龍翔が微笑んで説明する。


「念のため、淡閲たんえつの総督に平底船の手配を依頼しようかと考えているのです。富盈殿と会い、すぐに木材の値段が下がればよいのですが、その保証はありません。加えて、首尾よく木材が手に入ったとしても、瀁淀にまだ別の妨害をされぬとも限りませんから……。その点、龍華国の淡閲から船を運べば、さすがに妨害もしづらいでしょう。平底船がそろえば、『花降り婚』の準備もかなり進むかと」


「で、ですが……。義兄上にこれ以上、ご迷惑をおかけしては……っ」


 恐縮する藍圭に、龍翔が笑ってかぶりを振る。


「そのような遠慮は不要です。『花降り婚』の成就こそ、差し添え人としてのわたしの務めなのですから。淡閲の総督も。晟藍国の国王に恩を売れるとなれば励みましょう」


「は、はい! もちろん、恩はいつか必ず……っ!」


 藍圭が自由なほうの拳を握りしめて大きく頷く。


「陛下のお言葉、総督も喜びましょう。……ところで、初華」

「わかっておりますわ」


 兄に呼ばわれた初華が、傘の下でつんとあごを上げる。


「いくら御用商人とはいえ、面識のない男性の屋敷へ、正妃となるわたくしが軽々しく足を運ぶのはよろしくない、とおっしゃりたいのでしょう? お兄様だけでしたらともかく、わたしまで陛下に同行しては、藍圭陛下は龍華国の言いなりになっているという印象を与えかねないと。お兄様に釘を刺されるまでもなく、承知しております」


 ねたようにそっぽを向いた初華が、藍圭に向き直り、わずかに前屈みになる。


「藍圭様。残念でございますが、わたくしは一足先に王宮へ戻っておりますわ。どうぞ、困った時には遠慮なくお兄様をお頼りくださいませ。ええもう、浬角りかく殿のように、遠慮なく使っていただいてかまいませんわ!」


「えっ!?」


 藍圭の後ろに控えていた浬角が、急に名前を出され、うろたえた声を上げる。


「は、初華姫様! とんでもないことございます! わたしなどと、龍翔殿下を同列に扱われるなど……っ!」


 あわてふためく浬角を無視し、


「富盈殿との交渉がよい結果となるよう、お祈り申しあげておりますわ」


 と告げた初華が、握っていた藍圭の手をそっと放し、龍翔に向き直る。


「お兄様。くれぐれも藍圭陛下をよろしくお願いいたします。わたくしは明順や張宇とともに、先に戻っておりますから……」


 初華の言葉に、明珠ははっと気づく。


 てっきり、龍翔の供として、このまま富盈の屋敷へ行くものと思っていたが、明珠などが随行しても、邪魔になるだけだろう。


 加えて、龍翔と浬角が藍圭についていってしまうと、信頼のおける護衛は張宇だけになってしまう。


 淡閲で襲ってきた賊を取り逃して以来、賊はすっかりなりを潜めているものの、あれで諦めたとは欠片たりとも思えない。

 隙を見せれば、即座に襲われそうな緊張感が常にある。


「明順と甘くておいしいお菓子をたっぷりいただきながらお待ちしておりますわ。ぜひ、吉報をお持ち帰りくださいませ。あなたも期待しているわよね、明順」


「ふぇ!? ええぇぇっ!?」


 にこやかに微笑んだ初華に不意に話を振られ、明珠は浬角に続いてすっとんきょうな声を上げた。



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