83 港にどんな御用なんですか? その4


「な……っ。そんなことはないっ! わたしはただ、龍華国の木材が一気に入ってきて、値崩れが起こっては大変だと……っ」


「それこそがこちらの狙いなのですから、好都合ではないですか。大切なのは、木材が適切な価格に戻ること。市場に出るのが震雷国産であろうと龍華国産であろうと、品質に優劣がなければ、どちらでもよいのですから」


「なるほど……っ! さすが義兄上です! そういうことならば、龍華国の商人達が木材を売りに来ようとしていると、我が国の商人達に情報を流すだけで、動く者が出てくるやもしれません! 今の材木の高騰の原因のひとつが、買い占めによるものだとすれば、値崩れが起こって損をする前に、在庫を減らしたいと思う者も出てくるでしょうから……」


「さすが、藍圭陛下でございます」


 明るい声を上げた藍圭に、龍翔が愛弟子を褒めるような慈愛のまなざしを向ける。


「それは良い案でございます。龍華国の商人達に新たな販路をひらくのは、第二皇子としてはやぶさかではありませんが、あまり震雷国を刺激したくないのも確かですから。となれば……」


 龍翔がつい、と建造中の船に視線を向ける。


「この船の持ち主はどなたかな?」


「ふ、富盈ふえい様の船でございます……」


 龍翔や藍圭の視線が集中した杓が、圧に押しつぶされたような情けない声で弱々しく答える。


「晟藍国一の大商人と呼ばれている大富豪です。王家の御用商人のひとりでもあります」


 藍圭がすかさず説明する。「なるほど」と龍翔が首肯した。


「では、まずは陛下御自らが富盈殿にお会いになってはいかがでしょうか? 陛下直々に貴重な情報をお教えになられたとなれば、富盈殿も陛下に恩義を感じられるはず。富盈殿の財がいかほどのものか、わたしは存じませんが、晟藍国一の大商人ならば、味方にして損はありません。何より、大商人である富盈殿が動けば、他の商人達も追随ついずいすることでしょう」


「なるほど……っ!」


 龍翔の提案に、藍圭が簡単の声を上げる。その声を打ち消すように口を開いたのは瀁淀だ。


「陛下! 陛下は婚礼の準備でお忙しいことでしょう! 陛下が直々に参られては、相手が足元を見て増長する可能性もございます! ここは大臣であるわたしめにお任せを……っ!」


「ならん」


 あたふたときびすを返そうとした瀁淀を、龍翔の鋭い声がい留める。


「ここは、陛下自らが出向かれてこそ意味があること。瀁淀殿。叔父として陛下を案じる気持ちはわかりますが、陛下も国王として早く交渉ごとに慣れる必要がございます。ここはぜひとも陛下に」


 表面上はにこやかな笑顔なのに、龍翔からは不可視の圧が放たれているかのようだ。瀁淀の動きを縫い留めた龍翔が低い声で、


「季白。富盈殿に先ぶれを。一刻も早くお会いしたいと伝えよ」

 と、後ろに控える季白に命じる。


「かしこまりました」

 と一礼した季白が、さっと身を翻した。


 蛇に飲まれたように身を強張らせていた瀁淀が、季白が造船所を出てから、ようやく我に返る。


「そ、そういえば……。陛下が突然、造船所へ行かれたと、小耳挟んだゆえ、わたしも急いで参りましたが、もともと大切な打ち合わせがあったのでした……。申し訳ございませんが、これにて失礼いたします」


 形ばかり頭を下げた瀁淀が、藍圭の返事も待たずに、でっぷりと太った身体を転がすようにして造船所を出ていく。


 今こそ逃げ時とばかりに、杓までが瀁淀の後について出て行った。


 二人の姿が見えなくなってから、初華が傘の下で大きく息をつく。


「瀁淀のあのあわてぶり……。瀁淀と富盈殿が組んでいる可能性が高くなってまいりましたわね」


「ああ、大いにありうるな」

 初華の嘆息に、龍翔が苦い顔で同意する。


「そうなのですか……?」


 信じたくないと言いたげに、不安に揺れる声を上げたのは藍圭だ。


「富盈殿は、代々、王家の御用商人を務めてきた名のある商人です。今さら、瀁淀などと組まずとも、押しも押されぬ晟藍国一の大商人だと言いますのに……」


 藍圭の言葉に、龍翔が「ふむ……」と考え深げな声を洩らす。


「藍圭陛下。わたしは富盈殿なる人物を知らぬゆえ、お教えいただきたいのですが……。どのような人となりでございますか? 清廉な人物か、はたまた金の亡者と呼んだほうがふさわしい強欲な人物か……」


 龍翔の問いかけに、藍圭がはっと顔を強張らせる。


義兄上あにうえと初華姫様が危惧されるとおり……。富盈殿は、よく言えば商売熱心で機を見るに敏な、悪く言えば、金もうけに貪欲どんよくな人物です。だからこそ、晟藍国一の大商人の座を守り抜いているとも言えますが……」


 答えた藍圭が、「ですが」と長身の龍翔を見上げる。


「なぜ、義兄上と初華姫様は、富盈殿が瀁淀の味方についているやもしれぬと見抜かれたのですか? わたしは、まったく思い至らなかったというのに……」


 藍圭の愛らしい面輪が苦く歪む。


 それが、自分だけ見抜けなかったことへの悔しさなのか、それとも晟藍国一の大商人と呼ばれる人物までが、瀁淀の味方についている事態への憂慮なのか、その両方なのか……。明珠には判断がつかない。


「この船が誰の持ち物が尋ねて、初めてわかったのですがね」


 龍翔が建造中の船を見やる。つられて明珠もそちらに目をやった。


 仰ぎ見るほどの大きな船だ。いったい、どれほどの材木が使われているのだろう。

 明珠達をよそに、船大工達は龍翔達の存在など見えていないかのように、黙々と作業を続けている。


「藍圭様。ご自分を責めないでくださいませ。晟藍国にゆかりのないわたくしやお兄様だからこそ、見えるものもございますもの」


 兄の言を継いだのは初華だった。慰めるように、両手できゅっと藍圭の手を握る。


「木材が不足し、価格が高騰しているというのに、惜しみなく材木を使って、今まさに造られている船に、疑問が湧きましたの。この船は遠距離航海用の荷船で、特別な用途に使うわけではなさそうですわ。高騰している木材を使ってまで、急ぎで造らねばならぬ理由があるのか、もしくは――」


「高価な木材を使ってしまっても、利益を得られる手だてが別にあるか」


 龍翔が初華の後を引き継ぐ。


「藍圭陛下。もし、高く売れるとわかっている品を、手元にたくさんお持ちでしたら、陛下はどうなさいますか?」


「え……っ?」

 急に問われた藍圭が、戸惑った声を上げる。


「そうですね……。求めている者に売るか、もう少し値が上がりそうなら、それまで保管しておくか……」


 素直に考えを述べた藍圭が、言い終えた瞬間、何かに気づいたように、はっと顔を上げる。


「そうか……! 急な入り用でもない限り、自分で使おうとはあまり考えませんね。ですが、高く売れる木材を使っても、利益を得られるとは……?」


「考えられる方法はいくつかあります」


 小首をかしげた藍圭に、龍翔が静かな声で告げる。


「ひとつ。富盈殿は、いち早く『花降り婚』の情報を得ていて、他の商人達に先んじて、大量の木材を手に入れていた。それこそ、少しくらい自分で使ってもかまわぬほどに。もうひとつは……」


 ただでさえ低かった龍翔の声が、さらに低くなる。


「そもそも、木材の高騰が、瀁淀と富盈殿が手を組んでの自作自演だった場合です」


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