82 思惑入り乱れる宴 その3


「大切な妹姫を異国に嫁がせることになられた龍翔殿下は、さぞかし寂しくお思いでございましょう。わたくしも、藍圭陛下の姉として、弟の結婚が喜ばしいと同時に、寂しいと思っておりますもの……。同じ境遇の身として、龍翔殿下のお心をわたくしが癒してさしあげとうございます……」


 口調だけはしおらしく、その実、獲物を狙う狐のように目を輝かせて芙蓮が告げる。


 きっと、頭の中では、龍華国の第二皇子の正妃として権勢を振るう己の姿を夢想しているのだろう。


「おお、おお。それは良い。兄と姉という差こそあれど、お前も龍翔殿下も腹違いの弟妹をめあわせる身。同じ境遇となれば、龍翔殿下のお心を癒すのは、おぬしが適任であろう」


 そうでございましょう、と言いたげに玲泉を振り向いた瀁淀に、


「ええ、瀁淀殿のおっしゃる通りでございます」

 と、にこやかに微笑んで大きく頷く。


「龍翔殿下のお心を沈ませたままにしておくのは、わたしも忍びないですから。芙蓮姫様が殿下のお心を癒してくださるとおっしゃられるなら、姫が殿下とお会いできるよう、わたしが手はずを整えましょう」


 三人の意に添うよう、真摯な声音で申し出る。


「なんと! それはありがたいことですな。……ですが、よろしいのですか?」


 あまりにとんとん拍子に進み過ぎると思ったのだろうか。瀁淀が探るような視線を向けてくる。


 玲泉は「もちろんです」と鷹揚おうように頷いた。


「龍華国の高官として、わたしに課せられた使命は、『花降り婚』を成就させ、龍華国と晟藍国の結びつきを強めること……。皇女だけではなく、皇子まで縁づけば、両国の絆は確固たるものとなりましょう。それに、ここだけの話ですが……」


 声をひそめた玲泉に会わせるように、瀁淀達がわずかに前のめりになる。


「龍翔殿下はあの通りの美丈夫。両親は娘を第一皇子の龍耀りゅうよう殿下に、と思っておるのに、肝心の娘のほうが龍翔殿下に熱を上げていることもしばしばなのです。困り果てた高官達から、この旅の間に、晟藍国で龍翔殿下にふさわしい姫君を見つけて何とか縁づかせてほしいと頼まれておりましてね。蛟家と縁続きの家からまで頼まれては、無下に断るわけにもいかず……。かといって、わたしは晟藍国にこれといった知己もおりませんので、困っていたのですよ」


 ふぅ、と、さぞ大変だと言いたげに嘆息する。


「なるほど! そういう事情でございましたら、わたしも微力ながらお力添えをさせていただきましょう! お会いしたばかりゆえ、お人柄まではわかりかねますが、確かに龍翔殿下のご容貌は凛々しく、人目を引く……。ああいえ、もちろん玲泉様のご容貌には遠く及びませぬが」


 瀁淀の見え透いた世辞を、玲泉は小さく笑んで受け流す。


「龍翔殿下はご容貌だけでなく、心根も凛々しくていらっしゃいます。情にあつく、生真面目で……。清廉せいれんすぎて、少々、融通が利かぬほどに。今回の旅も、差し添え人という大役を真摯に受け止めておられるのか、それとも妹姫に気を遣われたのか……。あの男ぶりだというのに、一人の侍女も連れて来ておらぬという徹底ぶりで。もちろん、舞手や楽器の奏者も随行させていらっしゃらぬのです」


「なんとそれは……」


 まさか、それほど徹底しているとは思ってもみなかったのだろう。瀁淀が驚いたように声を洩らす。


 半月近くに及ぶ長い船旅の間、遊び相手がいなければ退屈極まるというのに。


 口さがない政敵どもの目がない船旅の間でさえ、羽目を外さぬとは、龍翔の精神は鋼でできているのだろうか。


 しかも、愛らしい明順と同室でありながら、彼女にも寵を与えていないとは……。


 玲泉にはまったく理解できない。


 それとも、万華鏡のようにくるくると表情がよく変わる愛らしい明順かまっていれば、旅の無聊ぶりょうを慰められるとでも言いたいのだろうか。


 もやりと胸に湧きあがった覚えのない感情が形を成す前に、玲泉はゆるりと微笑み。


「ああ、別にわたしのように女人を受けつけぬというわけではございませんよ。確かに、龍翔殿下の従者達も、見目の良い者ばかりですが」


 物言いたげな表情を浮かべている瀁淀の疑問を解いてやる。


「叶うならば、わたしも殿下と情を交わしてみたいものですが……。殿下は、男にはまったく興味がおありでないらしい。ただただ、生真面目で石頭な方なのですよ」


 だからこそ、飢えているところに甘い蜜を味わえば、いかな龍翔とて、その甘さに溺れてしまうに違いない。


 堅牢すぎて壊せぬ壁ならば、ひびを入れ、小さな穴を穿うがってやればいいのだ。清廉ならば清廉なだけ、一度落ちれば奈落の底まで転がり落ちることだろう。


 そうして身を持ち崩した男を、玲泉は何人も知っている。


 龍翔が明順に手を出しかねているのは、明順のあの初心うぶさゆえだろう。


 夕べ、甘言に乗せられてほいほいと扉を開けた明順を思い出し、薄く笑う。


 あれほど無防備な少女に曇りない信頼を寄せられていては、生真面目な龍翔としては信頼を裏切りがたいに違いない。


 が、取り澄ました面輪の下で、いったいどれほどの激情が渦巻いているのか。


 玲泉が少し挑発するだけで、顔色を変えるさまは愉快で仕方がない。つい、加減を忘れてからかい続けてしまいそうになるほどだ。


 龍翔の心に穴を穿つ隙があるとするなら、そこだろう。


 飢えていれば飢えているほど、口にした蜜を甘く感じるもの。

 ……たとえそれが、望んでいた花でなくとも。


 そうして他の花の甘さを知れば、早晩、明順に対する寵愛も薄れることだろう。


 玲泉にとっては、明順はたった一人ふれることのできる希少極まりない女人だが、龍翔にとっては、所詮、少し目新しいだけの愛らしい少女に過ぎぬのだから。


 今は、初めて自覚した恋心に浮かれ、明順しか見えなくなっているのだとしても、すぐに飽きるに決まっている。


 玲泉はただ、芙蓮を使ってそれを少し早めてやるだけだ。


「龍翔殿下は情に篤い御方。たとえ、一夜限りであろうとも、情を交わした相手をそのまま打ち捨てるようなことはなさいますまい。ましてや、お相手が名家のご令嬢となれば、言わずもがなでございます。もっとも」


 玲泉はとろけるような笑みを芙蓮に向ける。


「このようにお美しい姫君に思いを寄せられて、心融けぬ男など、おらぬでしょうが」


「まあ……っ」


 芙蓮が熟れたすもものように頬を染めて声を上げる。自信に満ちた表情は、まんざらでもなさそうだ。


「女人にふれられぬとおっしゃいながら、玲泉様は女心をとろかせるのがお上手でいらっしゃいますのね」


「とんでもございません。わたしはただ、思ったことをそのまま口にしただけでございます」


 ゆるりとかぶりを振って芙蓮の言葉を否定する。


 芙蓮には、せいぜいいい気分になって、えさになってもらわねば。

 玲泉が、明順を手に入れるために。


「先ほどの芙蓮姫様のお優しいお言葉には感じ入りました。龍翔殿下のお心をお慰めくださるのでしたら、この玲泉、お二人のために手を尽くしましょう」


 嘘偽りのない熱意をこめて、芙蓮に告げる。


 相手の懐に入り込むには、嘘ばかりでは信用されぬ。真実も織り込まねば。


 龍翔と芙蓮を結ばせるために尽力する気持ちは本心だ。


 芙蓮にはなんとしても龍翔の寵を受けてもらわねば。既成事実さえ作ってしまえば、後はなんとでもなる。


 にこやかに微笑みながら、玲泉は明順を手に入れるための算段を巡らせていた。



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