82 思惑入り乱れる宴 その1


「さすが、大臣殿の宴ですね。見事なものです」


 玲泉の世辞に、瀁淀ようでんは大仰な身振りでかぶりを振った。


「いやいやいや、とんでもございません! ですが、龍華国の高官である玲泉様にそうおっしゃっていただけるとは、恐悦至極にございます。ささっ、酒もいくらでもございますので……」


 瓶子へいしを両手で捧げ持つ瀁淀に、玲泉は仕方なく残り少なくなった杯を差し出した。

 とくとくと注がれるのは、濁りのない高級な清酒だ。芳醇ほうじゅんな香りがふわりと漂う。


 酒は嫌いではないが、瀁淀のようなでっぷり太った脂ぎった男につがれても、美味くもなんともない。


 せめて、相手が花も恥じらうような美少年であれば、もう少し楽しかろうにと心の中で嘆息するが、もちろん、顔には一片も出さない。


 杯を傾けながら、玲泉はさりげなく周りの様子をうかがった。


 自ら王宮まで迎えに来た瀁淀に馬車に乗せられ、連れてこられたのは、王宮からほど近い瀁淀の屋敷だった。


 周りにも広い邸宅が立ち並ぶ中、群を抜いてきらびやかな瀁淀の屋敷は、さすが大臣の屋敷だと、純真な明順あたりは感心していたに違いない。


 玲泉を出迎えたのは、多くの使用人達と瀁汀ようてい、そして藍圭の腹違いの姉であり、瀁汀の婚約者だという芙蓮ふれん姫だった。


 美酒を味わいながら、玲泉はさりげなく芙蓮を観察する。


 顔立ちは藍圭と似て愛らしいが、頬骨が高いせいか、やや険のある面輪だ。


 馬車から降りた玲泉の姿を見た途端、周りの侍女達と同じく、うっとりと頬を染め、いまも隙あらば玲泉の隣に座ろうと狙っているようだが……。


 明順以外の女人をそばに侍らせる気など、欠片もない。そんなおぞましい事態は絶対に御免だ。


 瀁淀が侍らそうとした美しい酌女しゃくめ達も、


「実はわたしは女人にふれられると不調になる特異な体質でして。お心遣いだけ、ありがたく頂戴ちょうだいしましょう。わたしが瀁淀殿の宴で体調を崩して寝込んだとなれば、両国の結びつきにもひびが入りかねませんので」


 と、釘を刺しつつ、きっぱりと断った。


 酌女の代わりには、従者達の中から、唯連いれんや特に見目の麗しい者を侍らせている。


 美しくもなく、機知に富んでいるわけでもない瀁淀や瀁汀の阿諛追従あゆついしょうを受けねばならぬのだから、せめてもう片側には、お気に入りの従者達を置いておかねば、嫌気のあまり、食も酒も進まなくなるというものだ。


 むろん、不満は心の内に隠して、表面上は柔和な笑みを貼りつけているが。


 ぜいをこらした料理の数々は、確かに美味ではある。魚介類が多いのは、華揺河かようがわの恵みを存分に受ける晟藍国らしい。龍華国と違って、異国の香辛料が多い味つけも、交易の豊かさを示している。


 だが、それだけだ。

 贅を尽くした料理も美酒も、龍華国にいた頃から、浴びるほど供されてきた。


 多少、趣向が変わったところで、ほんの少し興味が刺激されるだけだ。すぐに慣れて、他と変わらなくなる。


 ましてや、こちらに取り入ろうとする下心があけすけに見えているのだ。

 こんな饗宴のどこが楽しいというのか。


 あの花のように愛らしい少女がいれば、くだらぬ宴も、得難い喜びの場に変わるだろうに。


 大臣である己が、この国でどれほどの権力を持っているのか、得意げに語る瀁淀の言葉を右から左へ聞き流し、適当に相槌あいづちを打ちながら、玲泉は夢想する。


 何度か同席した茶会で、玲泉にとってはなんということもない菓子を、いつもきらきらと瞳を輝かせて嬉しげに食べていた少女。


 見ている者の心まで弾ませるような笑顔は、ひょっとしたらこの菓子は、いつもと同じに見えて実は特別製なのかもしれないと、甘いものにさほど興味のない玲泉ですら、つい同じ菓子に手を出してしまうほどだ。


 もし明順がこの場にいたら、


「あ、あのっ!? こんなごちそう、本当にいただいてもいいんですか!?」

 と、そわそわしながら確認していたに違いない。


「ああ、好きなだけ食べていいんだよ」


 と微笑んで許しを与えたら、愛らしい面輪はどれほど輝くことだろう。


 「おいで」と膝の上に乗せてやり、手ずから料理を口に運んでやれば、恥ずかしさにれたすもものように顔を真っ赤に染めるに違いない。


 玲泉としては、ぜひ、そんな彼女自身を味わいたいところだ。


「他でもない玲泉様にお楽しみいただけているようで、何よりでございます」


 瀁淀の言葉に、玲泉は己がいつの間にか笑みを浮かべていたことに初めて気がついた。「ええ」とゆっくりと頷く。


「美味極まりない料理に、素晴らしい美酒。それに美しい姫君までいらっしゃるとなれば、心楽しくないはずがございません」


 にこり、と芙蓮に甘やかな笑みを向ければ、「まあっ」と弾んだ声とともに、芙蓮の顔が真っ赤に染まる。瀁淀と瀁汀の隣に侍る酌女からも、ほぅ、と感嘆の吐息がこぼれた。


「芙蓮姫様は瀁汀殿の婚約者でいらっしゃるとうかがいましたが。このように愛らしい姫君が婚約者とは、瀁汀殿は幸せ者でいらっしゃいますね」


 玲泉は芙蓮から瀁汀に視線を移し、芙蓮の容貌を褒めそやす。


 芙蓮の顔立ちが整っているのは確かだ。だが、龍華国で美姫を見慣れている玲泉には、特に秀でているとは思えない。


 そもそも、明順以外の女人の美醜など、玲泉にとっては路傍ろぼうの石ころと同じくらい、どうでもよいことだ。


「まあっ、玲泉様にそのように言っていただけるなんて……。嬉しゅうございます」


 玲泉の言葉に瀁汀が答えるより早く、頬を染めた芙蓮が華やいだ声を上げる。

 ちらり、と芙蓮の視線を受けた瀁淀が大きく頷いた。


「芙蓮姫様と瀁汀は婚約しておりますが、従兄弟いとこ同士として、幼い頃から兄妹のように育ってき、気心も知れているゆえ、婚約したようなものでございまして……。よりよい縁談があるのでしたら、婚約を解消して、そちらに嫁がせてもよいと思っておるのですよ」


 瀁淀が思わせぶりな視線を玲泉によこす。


 なるほど、と玲泉は心の中で首肯した。


 藍圭の話では、芙蓮が藍圭の味方なのか、瀁淀の味方なのか、判然としなかった。

 それをあぶり出すべく、先ほどの世辞を口にしたのだが――。


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