81 わたしがよいと言うまで、決して衝立から顔を出すでないぞ その2
「ああ、いるよ。瀁淀殿の迎えが来たのかい?」
龍翔が答えるより早く、玲泉が
「さようでございます。もう少しお時間がご入用でしたら、瀁淀様にそうお伝えいたしますが……」
「瀁淀殿が自ら来られているのかい? それはお待たせするわけにはいかないね。すぐに向かうとしよう」
扉の向こうの唯連に答えた玲泉が、
「と、いうわけです。瀁淀はなんとしてもわたしを取り込みたい様子。ならば、それに乗ってみせて、せいぜい
と、低い声で囁く。
「ああ、任せた。滅多なことは起こらぬだろうが……。気をつけて行くがよい」
「ありがとうございます。行く前に、愛らしい明順の顔を見て、気持ちを奮い立たせたかったのですが……。残念ながら、時間がないようですね」
くすり、と玲泉が小さな笑みをこぼす。
「衝立の陰に隠れている可愛らしいうさぎに、次に会う時は愛らしい顔を見せてくれるよう、龍翔殿下からもお伝えください。では」
龍翔が答えるより早く、身を翻した玲泉が部屋を出て行く。
ぱたりと扉が閉まってしばらく経ってから。
「待たせたな。もう出てきてよいぞ」
龍翔の声に、明珠はそっと衝立から顔を出した。「おいで」と優しく手招きされ、ぱたぱたと早足で龍翔の元へ行く。
「瀁淀の迎えが早くて助かったな。唯連が来なければ、また不毛なやりとりをせねばならぬところだった」
「あの、龍翔様……」
苦い吐息をこぼす龍翔を見上げ、おずおずと問いかける。
「玲泉様は瀁淀様のお屋敷へ行かれますが……。その、玲泉様の身に危険が迫るという事態もあるのでしょうか……?」
衝立の陰で聞いていた二人のやりとりは、不穏極まりなかった。
誰かが瀁淀のことを調べねばならぬとはいえ、調べる玲泉に危険が及んだりはしないのだろうか。
もし、瀁淀が前国王夫妻を
玲泉も術と剣が使えるのは知っているが、果たして大丈夫だろうか。
できることなら、もう誰にも傷ついてほしくない。
不安に襲われてうつむくと、ぽふぽふと優しく頭を撫でられた。
「お前に手を出そうとした玲泉などを心配してやるとは……。本当に、お前は人が
優しく明珠の頭を撫でながら、龍翔が力強い声で告げる。
「大丈夫だ。賊の狙いは藍圭陛下であって、玲泉ではない。よほどのことがない限り、龍華国の高官である玲泉を手にかけようとは思わぬだろう。うかつに手を出せば、国同士のいさかいに発展してしまうからな。それに、ああ見えて
「そうなんですね。龍翔様がそうおっしゃるのでしたら、安心です!」
尊敬する主の言葉に、明珠はほっと息をつく。
が、次は逆に龍翔が難しい表情になった。
「何より、有能な
「龍翔様がそのように評価される玲泉様が、初華姫様と藍圭陛下のお幸せために力を尽くしてくださるなんて……っ。心強いですね!」
玲泉が藍圭と初華の幸せな結婚が己の目指すところなのだと告げてくれて、明珠は嬉しくて仕方がなかった。龍翔だけでなく、玲泉も尽力してくれるなら、百人力だ。だが。
「……玲泉が真に求めているものを知らなければ、なんと
龍翔が大きく吐息する。
「……龍翔様?」
小首をかしげて見上げると、「何でもない」という言葉とともに、もう一度頭を撫でられた。
「気にするな、ひとり言だ。だが、玲泉がやる気になってくれているのなら、こちらも負けぬように手を打たねばな。とりあえずは……」
「は、はいっ!」
緊張にぴしりと背を伸ばすと、くすり、と龍翔が悪戯っぽく微笑んだ。
「せっかくお前が入れてくれた茶でも楽しむか」
「えっ!? あっ、でもぬるくなってしまっていますよね? すぐに入れ直し――」
「そのままでかまわん。それより、張宇が差し入れた焼き菓子があっただろう? 一緒に食べよう」
「わ、私もお相伴にあずかってよいんですか?」
驚いて問うと、「何を言う?」と苦笑された。
「もともと、張宇が明珠に食べさせてやってくれと持ってきたものだ。むしろ、わたしのほうが分けてもらう立場だろう?」
「そ、そんなっ。龍翔様がお望みでしたら、私の分も、いくらでもお好きなだけ……っ」
ぶんぶんと胸の前で両手を振りながら遠慮すると、龍翔の形良い眉が哀しげに下がった。
「わたしが、お前と食べたいのだ。いくら美味なものでも、一人きりで食しては、味気なかろう? わたしはお前とがよい。お前も甘いものは好きだろう?」
「はいっ、大好きですっ!」
反射的に大きく頷くと、なぜか龍翔が小さく息を飲んだ。うっすらと赤らんだ秀麗な面輪が、甘やかな笑みに彩られる。
「……そうか。ならば、決まりだな。お前が喜んで食べたと知れば、張宇も喜ぼう」
「で、では、ありがたくいただきます。ですが……。玲泉様は瀁淀様のところへ赴かれたというのに、のんびりしていていいのでしょうか……?」
明珠にできることなど、ろくにないと知っているが、それでも、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「お前は生真面目だな。玲泉のことなど、気にしてやる必要はない。
龍翔がやけに確信を持った口調で断言する。
「それに、菓子はお前への褒美でもあるのだ。遠慮はいらぬ」
「褒美……? いえっ、わたしはご褒美をいただけることなんて、何も……っ」
「何を言う?」
さっき以上にぶんぶんと両手を振ると、龍翔に優しく頭を撫でられた。
「先ほど出してくれた茶。所作がずいぶんと美しくなっていた。わたしの知らぬところでも、練習していたのだろう?」
「そ、それは……っ。いえっ、まだまだ至らないところばかりですので……っ」
明珠はぷるぷるとかぶりを振る。
龍翔に気づいて褒めてもらえるなんて、気恥ずかしさで顔が熱くなってしまう。
こんな風に、従者のわずかな努力まで気づいて褒めてくれるなんて、やっぱり龍翔は二人といない素晴らしい主人だ。
「では、お菓子を持ってまいりますね!」
ぽかぽかと心があたたかくなるのを感じながら、明珠はいそいそとおやつの用意をした。
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