80 どぉんな『おしおき』をされたのかなぁと思ってさ~♪ その3


「ってゆーか、明順チャン!」


 安理が真剣な表情でずいっと身を乗り出す。


「玲泉サマは瀁淀のところへ身を寄せることになったから、しばらくの間は玲泉サマの脅威はなくなるっスけど……。だからといって、油断しちゃダメっスからねっ!? 龍翔サマや初華姫サマが藍圭陛下の味方についてるってコトは、さっきの下船の時のやりとりで一目瞭然っスから……。王宮がすでに瀁淀に牛耳られてるんなら、周りは敵ばかりと言って過言じゃないっス。なんとしても、龍翔サマやはつかサマの弱点を突こうと躍起やっきになるに違いないっスからね……」


「……龍翔様の弱点……」


 小さな声で、安理の言葉をおうむ返しに呟く。


「つまり、それって私のことですよね……」


「いや、明順。安理は弱点と言ったが、その……。おい安理! もう少し、言いようがあるだろう?」


 力なく沈んだ声に、張宇があわてたように取りなそうとしてくれる。


「いいんです、張宇さん。ありがとうございます。安理さんの言う通りですから」

 明珠はふるふるとかぶりを振って、張宇の言葉を遮った。


「季白さんや張宇さんや安理さんと違って、私が足手まといで、龍翔様やみなさんにいつもご迷惑をおかけしているのは確かですから……」


 情けなくて胸が痛い。気を抜くと目が潤みそうになり、明珠はすがるように守り袋を握りしめた。


 この守り袋を明珠に託してくれた母のように、一流の術師だったら、きっと、もっと尊敬する龍翔の役に立てていただろう。賊に襲われた時だって、周康も怪我を負わずに済んだかもしれない。


 けれど。嘆くだけならいつだってできる。それよりも、いま明珠がするべきことは。


 明珠は守り袋を握りしめたまま、真っ直ぐ安理を見つめる。


「安理さん! お願いです! どうやったら私なんかでも龍翔様のお役に立てるのか、教えてくださいっ! 季白さんの教本で勉強したり、行儀作法の復習をしたり、《蟲》をもっと早くべるように練習したりしているんですけれど、もっと他にしないといけないことがあるんじゃないかと不安で……。これ以上、龍翔様にご迷惑をかけたくないんです! お願いします!」


 膝に額がつきそうなほど、深く頭を下げる。


 安理からの答えはない。


 明珠が龍翔の役に立ちたいだなんて、身の程知らずだと呆れられただろうか。身を固くして安理の返事を待っていると。


「も~っ! 明順チャンってば~っ!」

「ひゃっ!?」


 いきなりわしわしと頭を撫でられ、明珠はすっとんきょうな声を上げた。


「なにこのけなげで可愛いコ! 龍翔サマのお役に立ちたいから頑張るとか! こりゃあ龍翔サマも可愛がりたくなるのも道理っスよね~♪」


「あ、あのっ、安理さん……っ!? その、髪が……」


 犬でも撫でるように遠慮なく撫でくり回され、困り果てる。見えていないが、かなり乱れているのではなかろうか。


「おい安理! 明順が困っているだろう!?」

 見かねた張宇が割って入ってくれる。


「え~っ、でも張宇サンだって、褒めてあげたいって思ったでしょ~?」


「それはまあ、その通りだが……」


「いや~っ、ホントに龍翔サマは果報者だよねっ♪」

 弾んだ声を上げた安理が、ようやく頭を撫でる手を止めてくれる。


「あのさ」

「はいっ!」


 いつもよりわずかに真面目な響きを帯びた声に、ぴんっと背筋を伸ばす。


「今よりもっと成長しようとする明順チャンの姿勢は立派だけど、今は無理して背伸びをする必要はないよ? しばらくはどっちかってゆーと守りの時期だからさ♪」


「守り、ですか……?」


「そーそー」

 おうむ返しに呟いた明珠に、安理が大きく頷く。


「今は異国の初めての街に来たばかりで、誰が味方で誰が敵か、敵がどんな罠を仕掛けているかもわかんない時だからさ。明順チャンも、初めてのところに奉公に行った時は、主人はどんな性格なのか、同輩はどんな面々なのか、仕事はどんなのなのか、って、じっくり観察するデショ?」


「あっ、それは確かにそうですね!」


 わかりやすいたとえに、大きく頷く。

 実家にいた頃は、飯屋で働いていた他に、いろいろと日雇いの仕事もしていた。仕事の内容は同じでも、雇い主によって微妙にやり方が違うということは多々あった。そんな時に、自分のやり方にこだわっていては、周りと余計な軋轢あつれきを生んでしまう。


「そっ。今はそれと一緒だよ♪ じっと守りを固めて、周りの状況を見極める時だからさ。だから、無理に新しいことをしなきゃなんて、焦る必要はないんだよ? むしろ、今日、甲板にいた時みたいに、龍翔サマにくっついて守ってもらいなよ♪ そっちのほうが、龍翔サマも喜びそうだし♪」


 きしし、と悪戯っぽく笑われ、顔が熱くなる。


「あ、あれは、思わず身体が動いちゃっただけで……っ」


 玲泉が姿を現した時に、反射的に龍翔に取りすがってしまったのを、ばっちり見られていたのかと思うと恥ずかしい。


「まっ、龍翔サマのおそばが一番安全……。とは、ある意味では言い切れないっスけど……。少なくとも、明順チャンがひとりでふらふらしているより、よっぽどいいっスからね。とりあえず、明順チャンは機会あらば龍翔サマにくっつくのがいいと思うっスよ~♪ きっと楽しいコトが起こるに違いないし♪ 龍翔サマがいらっしゃらない時には、張宇サンにくっついとけばいいんじゃないっスかね? 今みたいに♪」


 安理に笑いながら指摘され、未だに張宇の袖を握りしめていたことに気づく。


「す、すみませんっ!」

 あわてて手を放して詫びると、


「別に謝ることはない」

 と、張宇が穏やかに笑ってかぶりを振った。


「安理が言う通りだ。遠慮せずにもっと頼ってくれていいんだぞ?」


「そうっスよ~♪ オレにも遠慮なく……って、言いたいとこっスけど、残念ながら、オレはしばらく留守にすることが多いっスからねぇ」


「えっ? そうなんですか?」


 一緒に王宮へ向かっているし、船にいた時のように、季白と張宇と安理の三人が、交代で初華や藍圭の警護につくと思っていたのだが。


「晟都に到着したっスからね~。イロイロと調べないといけないコトがあるんスよ。ほら、オレってば優秀っスから~♪ さっき明順チャンには、今は守りの時期と言ったっスけど、いつまでも亀の子みたいに守ってばっかりじゃジリ貧っスからね。攻勢に転じられるだけの武器を、オレが探してくるっスよ~♪」


 安理がぱちりと片目をつむる。口調こそ、飄々ひょうひょうとしているものの、頼もしいことこの上ない。


「とゆーわけで、張宇サン。オレがいない間、明順チャンのことは任せたっスよ~?」


「ああ、任せておいてくれ」

 安理の言葉に、張宇が力強く頷いた。


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