80 どぉんな『おしおき』をされたのかなぁと思ってさ~♪ その2


「あなたがそう言うのなら、仕方がないですね。確かに、玲泉様は、あなたや明順が苦手とする性格をなさっておられますから……。玲泉様の相手をするなら、安理が適任なのですが……」


「ちょっとぉ~っ! 季白サン!? その言い方だと、玲泉サマだけじゃなく、オレまで性悪みたいじゃん!?」


 安理が頬をふくらませて抗議の声を上げる。が、季白の表情は小動こゆるぎもしない。


「わたしは一言も、玲泉様は性格が悪くて、放蕩者ほうとうもので、よりによって龍翔様の泣き所を的確についてくる不埒者ふらちものだなんて、言っていませんよ? あなたが勝手に勘繰かんぐっているだけでしょう?」


「言ってる! オレ以上にひっどいコトをさらっと言ってるっスよっ!」


 即座にツッコんだ安理が、こわごわと季白の顔を覗きこむ。


「季白サン、実はかなり玲泉サマにお怒りっスか……?」

「当たり前でしょう」


 切れ長の目に冴え冴えとした怒りを宿す季白の表情は、恐ろしいことこの上ない。


「わたしの大切な龍翔様が、家柄と能力だけは高いものの、人格は龍翔様の足元にも及ばない。いいえ、むしろ地の底に沈んでいるに等しい俗物に、お心をわずらわされるなど……っ! これが不快にならずにいられましょうか!? いえ、最初は渡りに船だと思ったのですよ。この上ない片づけ先が見つかったばかりか、蛟家の支援まで得られるとは、なんと素晴らしいのだろうと。それが……っ!」


 季白がぎりぎりと奥歯を噛みしめる。鬼気迫る様子に、明珠は思わず張宇と肩を寄せ合った。


「ああっ! 叶うならば、今からでもあの時に戻って、聞かなかったことにしてしまいたい……っ! わたしが心から敬愛申しあげる龍翔様が、よりによって、よりによって……っ!」


「ひいぃぃぃっ!」


 背中と言わず全身からどろどろと恐ろしげな黒雲の幻を立ち昇らせ、睨みつけてくる季白に、明珠はこらえきれぬ悲鳴をほとばしらせて張宇の腕に取りすがる。


 これほど、季白を激怒させるなんて、やはり、夕べ玲泉と会おうとしたことは、とんでもない失態だったのだ。龍翔が『おしおき』をしたのも当然だ。


「季白サン!? 季白サーン! 龍翔サマを思う季白サンの忠義は痛いほどわかったから! だからちょっと落ち着いてっ!? ねっ、ここで怒り狂っても、何の解決にもなんないからっ!」


 季白がここまで激昂するとは予想外だったのだろう。安理があわてた様子で季白の眼前でぶんぶんと手を振って、正気に戻そうとする。


 安理の言葉が届いたのか、ややあって、季白が身体の中に渦巻く怒気をなだめるかのように、ゆるゆると息を吐いた。


「確かにそうですね。わたしとしたことが、少々取り乱してしまいました。このところ、心に負担がかかる出来事が多かったものですから……」


 季白がもう一度、大きく息を吐く。


 賊に襲撃され、周康が怪我を負ったことといい、明珠の正体が玲泉にばれてしまったことといい、藍圭と合流出来たものの、瀁淀を失脚させられるだけの証拠を集めなければならないことが判明した点といい……。


 龍翔の右腕でである季白には、頭が痛い難問が多すぎるのだろう。


「あのっ、季白さん! 私なんかじゃお役に立てることなんてないかもしれませんが……。できることがあったら、何でも言ってくださいっ! 私、頑張りますっ!」


 すこぶる怖い上司とはいえ、季白は共に龍翔に仕える大切な仲間だ。


 張宇の腕に取りすがりながらも、勇気を振り絞って告げると、季白がくわっ! とまなこを見開いた。


 一瞬、そのまま目玉が飛び出すのではないかと、はらはらする。と。


「安理……。わたしはもう、駄目かもしれません……」


 突然、くたりと、季白が隣の安理に力なくもたれかかる。


「うわっ!? 季白サン!?」

 珍しく、安理が素で驚いた声を上げる。


「ま、まあ、気持ちはわからなくもないっスけど……。オレや季白サンでもどうしようもないくらいの天然鈍感っぷりっスもんねぇ……」


 おーよしよし、と、安理が幼子にでもするように、もたれかかる季白の背中を撫ででやる。


 季白は、首が折れるのではないかと心配するほど、がっくりとうなだれたままだ。


「わたしには、この大馬鹿者を教育するのは無理かもしれません……。役に立てることなど、明らかにひとつしかないとわかりきっているというのに、この天然鈍感な大うつけは……っ!」


 哀しげに力なく呟いていた季白の声が、しかし後半に行くにつれ、だんだんと熱を帯びてゆく。


「いえっ! きっとこれは、この世の者とは思えぬ尊さに満ちあふれた龍翔様に嫉妬した神仙が企んだ試練に違いありませんっ! この程度の試練に、決して膝を折ったりなどするものですかっ! この大うつけを龍翔の隣に立つにふさわしいよう教育せよというのなら……っ! たとえ、それがどんな無理難題だったとしても、龍翔様の御為おんためならば、この季白、全身全霊をもって取り組んでみせましょう……っ!」


 安理から身を起こし、しゃきっと背筋を伸ばした季白が、天井を見据えて拳を握りしめる。


「この程度の無茶振りなど、龍翔様にお仕えしているわたしには日常茶飯事! このようなことで龍翔様の敬愛が曇ることなどありえませんっ!」


 目をらんらんと光らせた季白が断言する。


 明珠には、季白が言っている内容の半分もわからないが……。季白が龍翔への崇拝に燃え盛っていることだけは、嫌というほどわかった。


「ふ、ふふふ。ふふふふふ……っ」


 おどろおどろしい様子で、くぐもった笑いをこぼす季白の姿に、嫌な予感を覚え、ぞわりと背中が粟立あわだつ。


「あの、季白さん……?」


 張宇の腕を握りしめていた手を放し、そっと季白に伸ばそうとすると、張宇の大きな手に包まれ、押しとどめられた。


「明順……。悪いことは言わない。今はそっとしておいてやれ……」


「そうっスね……。これ以上、刺激を与えて、季白サンが本格的に壊れても困るっスから……」


 安理も深刻な表情で張宇に同意した。

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