79 華揺河の瑠璃 その4


 船着き場に停泊するとすぐ、水夫達が港へ降りるためのきざはしを数人がかりで運んでくる。


 浬角が下船の準備が整ったと告げたところで、まず最も高位の身分である藍圭が、初華と手をつないだまま階を降りた。

 初華に傘を差しかける萄芭が無言で二人に付き従い、さらにその後に龍翔と玲泉が続く。


 階の向こうでは、瀁淀を筆頭に、出迎えの人々が膝をつき、こうべを垂れて藍圭が降りるのを待っていた。


「大臣、まずは感謝する。おぬしが留守を守ってくれたゆえ、龍華国からはるばる来られた花嫁殿を迎えに行くことができた」


 あと数歩で階が終わるというところで、藍圭が機先を制そうとばかりに口火を切る。


「少々、行き違いがあったようだが……。無事に花嫁殿をお連れした今、それを問い質すいとまはないゆえ、不問に処そう」


 行き違いとは、瀁淀達が初華を藍圭に会わせることなく晟都へ連れて行こうとした件だろう。


 藍圭の言葉は、表向きは瀁淀をねぎらっているが、内実は瀁淀への牽制けんせいが含まれているに違いない。


 口を開こうとした瀁淀を封じるように、藍圭が頭を垂れて控える出迎えの者達に告げる。


「皆の者。この方が、わたしの正妃となるため、『花降り婚』の盟約に従い、龍華国から来られた初華姫様だ。まだ婚礼を挙げていないとはいえ、式さえ終われば、晟藍国の正妃となる方。その点を心得てよく仕えてくれ。差し添え人として来られている第二皇子の龍翔殿下、高官のこう玲泉殿にも、くれぐれも失礼のなきように」


 藍圭の言葉に、出迎えの者達がいっそう深く頭を下げる。それを見て満足そうに頷いた藍圭が、おもてを上げてよいと許可を出す。


 晟藍国の人々が顔を上げた途端。


 ほぅ、と誰からともなく感嘆の吐息がこぼれる。


 幼くとも凛々しい少年国王と、紗の向こうで姿ははっきり見えぬものの、見事な刺繍が施された傘を差しかけられた初華姫。


 そして、二人を守るように左右に控える美麗な龍翔と玲泉は、まるで一幅の絵のようだろう。


 明珠からは四人の後姿しか見えないが、十分に想像できる。


 出迎えの人々は、魅入られたようにほうけた顔で見つめている者、信じられぬように何度も瞬きをしている者、うっすらと顔を頬を染めている者など、さまざまだ。


「お、おそれながら陛下」


 畏敬に打たれたように誰も言葉を発さない中、声を上げたのは瀁淀だ。


「陛下と初華姫様におかれましては、ご婚礼のご準備でお忙しいことでございましょう。龍華国の方々に、晟藍国はひなびた場所よとあなどられるわけにはまいりませぬ。龍翔殿下、玲泉様の歓待は、大臣であるわたくしに任じさせていただければと願います」


 口調だけは恭しく、さも藍圭をおもんぱかっているような口調で、瀁淀が申し出る。


 だが、先日のやりとりを見るに、藍圭から龍翔達を引き離し、瀁淀側に取り込むための策なのだろう。このように、皆の目の前で申し出られては、藍圭も断りにくいに違いない。


 藍圭が答えるより早く、龍翔が口を開く。


「大臣殿……。ああ、名は何と言ったかな?」

「瀁淀殿ですよ。先日、名乗られたではありませんか」


  玲泉が笑んだ声で指摘した。


 龍翔が瀁淀の名を忘れるはずがない。瀁淀が悔しげに顔を歪めているところを見るに、挑発なのだろう。


「ああ、そうであったな。瀁淀殿、お気遣い痛み入る。だが……。兄であるわたしにとっては、婚礼までの日々は、兄妹で過ごすことができる貴重な時間。晟藍国に嫁ぐとなれば、大切な妹と会うことも、なかなか叶わなくなるのでな。申し出はありがたいが、わたしは断らせていただこう。代わりに玲泉殿、おぬしが饗応きょうおうを受けるがよい。船での退屈な日々に飽き飽きしていたのだろう?」


 龍翔が玲泉ににこやかに微笑みかける。

 晟藍国の人々の間から、ほぅ、とふたたび感嘆の声が洩れた。玲泉が鷹揚おうように頷く。


「殿下がお許しくださるのでしたら、わたくしは少し骨休めさせていただきましょう。大臣である瀁淀殿とは、打ち合わせせねばならぬことも多いでしょうし。瀁淀殿、お世話になってもよろしいですか?」


「もちろんでございます! 龍華国の高官である玲泉様を歓待できるとは、光栄の至り……! どうぞ我が屋敷へいらしてください!」


 玲泉の問いかけに、瀁淀が喜色に満ちた声を上げ、恭しく頭を下げる。


「では、お言葉に甘えましょう。わたしも一度、王宮に向かいますゆえ、そちらの支度が整ったら迎えを寄越してもらえますかな?」


「はい! 承知いたしました!」


 微笑んで告げた玲泉に、周りの侍女達とともに、なぜか瀁淀まで顔を赤くしてこくこくと頷く。


「では、のちほど」


「ええ、王宮へ案内いたします」


 軽く頭を下げた玲泉に、藍圭が少し先に停まっている迎えの馬車を指し示す。

 藍圭達が馬車に乗り込んでから、従者である明珠達もあわただしく動き出した。


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