78 変な夢を見て、寝ぼけてしまって その2


「え……?」


 手を放した龍翔に「龍玉を」と優しくうながされ、明珠は解放された手で夜着の上から守り袋を握りしめ、固く目を閉じる。


 龍翔の指先がほどいて乱れたままの髪をかき分け、頬にふれる。

 思わず肩が震えそうになるのを、唇を引き結び、かろうじてこらえた。


 もし、いま明珠がもう一度飛びのいたりしたら、今度こそ、取り返しがつかないくらい龍翔を傷つけてしまう。


 大きな手のひらが頬を包み、そっと上を向かせる。

 緊張に引き結んだ明珠の唇に、宝物にふれるように龍翔の唇がふれ。


「……どうだ? 嫌ではないか?」


 一瞬ふれるだけのくちづけを落とした龍翔が優しい声で問う。


「は、はいっ」

 目を開けた明珠は、視線を合わせてこくりと大きく頷く。


「龍翔様とのく、くくく……っ。えっと、そのっ、いつものようにどきどきしちゃいますけれど……っ。嫌じゃない、です……、っ!?」


 告げた瞬間、とろけるような甘い笑顔にぶつかり、ぱくんっ、と心臓が大きく跳ねる。


 一瞬で燃えるように熱くなった顔を見られまいとうつむこうとしたが、頬を包む手に阻まれる。


「そうか。お前に嫌がられていないと知って、安堵した」


 心からほっとした様子で呟いた龍翔の面輪が、ふたたび下りてきて、明珠はあわてて目を閉じた。


 柔らかな龍翔の唇が、そっと明珠のそれをふさぐ。


 慈しみに満ちた、優しいくちづけ。

 一瞬で終わった先ほどとは比較にならない長いくちづけに、ただでさえ速かった鼓動がさらに速くなる。


 ゆっくりと唇が離れ、はっ、と詰めていた息を吐き出すと、くすりと笑んだ龍翔の吐息が肌を撫でた。


「前にも言っただろう? そのように唇を引き結ばれては、なかなか《気》が出てこぬ」


「す、すみません……っ」


 頭ではわかっているつもりなのだが、いつも、いざくちづけると、いつも緊張のあまりそれどころではなくなってしまう。


「お前と長くくちづけられるのは嬉しいのだがな」

「ふぇっ!?」


 甘く囁かれた言葉に、ぼんっと羞恥が限界を突破する。かと思うと、ふたたび龍翔の唇が下りてきた。


 閉じきれなかった唇に深くくちづけられる。「んぅ」と洩れた声は、お互いの吐息にまぎれ、ほどけて融ける。


 頭の後ろを包んでいた手がすべり、指先が耳朶をくすぐる。甘いさざなみに震えた背をぎゅっと抱き寄せられた。


 頭がくらくらして、何も考えられなくなる。息が苦しくなりかけたところで、ようやくくちづけがやんだ。


 これでもう十分だろうと身を離そうとすると、


「すまぬが、まだだ」

 耳からあごへと流れるように動いた指先が、くい、と顎を持ち上げる。


「今日は晟都せいとへ到着する。何も起こらぬとは思うが……。不測の事態が起こった時に心おきなく術が使えるよう、《気》は大いに越したことはない」


 肌にふれる呼気に、目をつむっていても龍翔の面輪がすぐ近くにあるのだとわかって緊張する。


「それに」

 ふと、龍翔の声が剣呑な響きを帯びる。


「夢の中とはいえ、お前が玲泉にくちづけられるなど、考えただけで冷静ではいられぬ」

「っ!?」


 かぷりと軽く下唇をまれ、驚愕に息を飲む。


「夢の記憶など、わたしが彼方へ消し去ってやる」


 熱情のこもった声が肌をあぶったかと思うと、ぐいと顎を持ち上げられ、唇をふさがれる。


 先ほどまでのくちづけとは明らかに違う、荒々しささえ感じるくちづけ。

 反射的にかぶりを振って逃げようとしたが、顎を掴んだ手が許してくれない。


「ん……っ」


 背中に回された手のひらに背筋を撫でられ、変な声が飛び出しそうになる。


「明珠」

 一瞬、唇を離した龍翔がかすれた声で名を呼ばい、ふたたびくちづける。


 名前を呼ばれただけなのに、そこにこもる甘い熱に、身も心も融けてしまいそうだ。とろりと蜜のように形なく崩れてしまうのではないかと思う。と。


「可愛い明珠」


 不意に甘い声で囁かれ、明珠は膝から崩れ落ちた。


「明珠っ!?」

 龍翔が抱きとめてくれたが、まともに答えるどころではない。


 夢の中でも「可愛い明順」と玲泉に同じことを囁かれたが、破壊力が違う。


 耳に心地よく響く蜜の声音は、まるで心臓を鷲掴わしづかみにするようで……。鼓動が跳ね回って仕方がない。


「どうした?」

 いぶかしげに問う龍翔を、半泣きになりながら見上げる。


「ゆ、夢でお会いしても『おしおき』なんですか……?」


 昨日、龍翔に言われた通り、今後、決して玲泉と二人で会う気はないが、自分でもどんな内容になるかわからない夢の中までは、どうしようもない。


 どうすれば龍翔の言いつけを守れるだろうかと困り果てていると、龍翔がふはっと吹き出した。張り詰めていた空気が霧散する。


「すまぬ。夢の中までは、自分ではどうしようもないものな」


 明珠が立つのを支えてくれた龍翔が、笑いながらよしよしとあやすように頭を撫でてくれる。


「お前がおかしな夢を見てしまったのも、元はといえば、わたしが夕べ、お前を怖がらせてしまったからだろうに……。玲泉の名に、ついあおられてしまった。すまなかったな」


 優しく頭を撫でてくれる龍翔は、明珠が知るいつも通りの優しい主でほっとする。


「で、では、もう《気》も十分でしょうから、よろしいですよねっ!? お放しくださいっ」


「……仕方あるまい」


 なぜか名残惜しそうに腕をほどいた龍翔から、明珠はそそくさと距離をとった。


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