77 これは『おしおき』が必要なのも道理だな その2


 肌を撫でる呼気の熱さに吐息をこぼした瞬間、三度みたび唇が下りてきた。


 ちゅ、ちゅ、とついばむようにくちづけられ、明珠はぎゅっと唇を引き結ぶ。

 そうしないと、変な声がこぼれ出てしまいそうで。


 身体にさざなみが走る。守り袋ごと押さえつけていなければ、心臓が飛び出しそうだ。


 恥ずかしさのあまり、何も考えられない。

 龍翔の唇がふれるたび、じんじんと頭の芯までしびれていく。


 今すぐ逃げ出したくて、けれども逃げられなくて、甘い嵐に翻弄されて、このままおぼれてしまうのではないかと怖くなる。


「んっ、りゅうしょ……っ」


 息を止めているのも限界で、なんとかやめてもらおうと唇を緩めた瞬間、あられもない声が飛び出す。


「おねっ、もう……っ」


 とぎれとぎれに懇願しても、くちづけの雨はやまない。ぶつ切れのせいで届いていないのかと身をよじり、足をばたつかせると、不意に腰の辺りを撫でられた。


「ひゃあっ!?」

 驚きにすっとんきょうな声がほとばしる。


 くすぐったいような、そわりとするような不思議な感覚に、ふるりと身体が震える。


 自分の身体が自分のものではないかのようだ。龍翔にふれられるたび、身体の奥から湧き出す漣がどんどん大きくなってゆく。


 いまや嵐もかくやとばかりに渦巻く濁流に、どこか知らぬ場所へ押し流されてしまいそうだ。

 すがるように、龍翔に絡み取られた指先に力を込めると、大きな手に握り返された。


 龍翔の手も、肌を撫でる呼気も、優しい雨のように降る唇も、燃えるように熱くて融けそうだ。荒い吐息がどちらのものかすら、判然としない。


 自分でも形の掴めぬ感情が、涙となって固く閉じたまぶたからあふれ出しそうになる。

 と、ようやくくちづけの雨がやんだ。


 龍翔が身を起こす気配に、ほっ、と安堵の息が洩れる。


 けれど、恥ずかしくて目が開けられない。きっとゆでだこみたいなみっともない顔をしているに違いない。


「どうだ? すこしはわかったか?」


 低い声の問いに、こわごわと目を開ける。

 途端、射抜くようなまざなしにぶつかり、思わず身体を強張らせた。


 まるで、狼のあぎとの前にさらされているかのようだ。炯々けいけいと輝く黒曜石の瞳に魅入られ、飲まれたように指一本動かせない。


 ろくに働かぬ頭のまま、明珠はぼんやりと龍翔を見上げる。


 わかったかと問われても、いったい何のことがわからない。

 困り果て、黙って龍翔を見上げていると、苛立ったように目をすがめられた。


「お前がどれほど危険な罠に陥りかけたのか、わかったかと聞いておる」


「きけん……?」


 話の流れが掴めない。

 熱に浮かされたようにぼうっとしたまま、おうむ返しに呟くと、形良い眉がきつく寄った。


「それとも」


 明珠の手を縫いとめていた龍翔の手がほどかれ、長い指先がそっと唇にふれる。


 それだけで声が洩れそうになり、明珠は反射的に唇を引き結んだ。


 紙に墨をふくませるように、ゆっくりと明珠の唇を指先で辿った龍翔が、挑発的に口元を吊り上げる。


「玲泉に、くちづけされたかったか?」


「っ!?」

 予想だにしない言葉に思考が止まる。


 龍翔の言葉を理解した途端、千切れんばかりに首を横に振った。


「れ、玲泉様とく、くくく……っ、なんてっ! とんでもありませんっ!」


 そもそも、何をどう間違ったらそんな事態になるのだろう。まったく思い浮かばない。

 玲泉とくちづけだなんて……。考えるだけで、ただでさえ沸騰している思考が、さらに煮え立つ。


 だが、明珠とは対照的に、見下ろす龍翔のまなざしはひやりと冷たい。


「くちづけだけではないぞ?」


 龍翔が獲物をいたぶるように唇を吊り上げる。


 そっと大きな手のひらが腰の辺りにふれ、明珠は無意識に身体を震わせた。夜着の細い帯を龍翔の指先が辿り、ひどく落ち着かない気持ちになる。


「玲泉は、目的のためならば手段を問わぬ男だ。お前を手に入れるためならば、無理やり手籠てごめにすることも辞さぬだろう」


「てご、め……?」


 よくわからないものの、何やらよからぬ響きを帯びた言葉に不安げに見上げると、龍翔が困ったように眉を下げた。


「そうだな。たとえば……」


 もてあそぶように帯の端に長い指を絡ませていた龍翔の手に、不意に力がこもる。


「この帯を解いて、お前の肌を――」

「っ!」


 とんでもないことをさらりと告げられ、息を飲んで龍翔の手を掴む。


 家族でもない異性に肌を晒すなど、とんでもない。少し想像するだけで、羞恥に肌が粟立あわだつ。


 龍翔は決してそんなことをしないと承知していても、帯を握られているのはどうにも落ち着かない。


 なんとか龍翔の手を引きはがせないかと試みるが、大きな手はにかわでくっつけたように緩まない、逆に、するりと手妻てづまのように動いた手に、帯ごと片手を包み込まれ、動かせなくなってしまう。


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