77 これは『おしおき』が必要なのも道理だな その1


「明順。よいか?」

「は、はいっ」


 扉を叩いて問われた龍翔の声に、まだ髪を束ねもせず夜着の帯を結んでいた明珠は、跳び上がって答えた。


 安理の言う『おしおき』に怯えながら、手早く沐浴を済ませたのだが、龍翔が戻ってくる方が、わずかに早かったらしい。


「す、すぐに開けますのでお待ちくださいっ!」


 龍翔が入ってきたら、真っ先に土下座しよう。

 そう思いながら小走りに扉に近づき、かんぬきを外す。


 扉を開けると同時に、

「申し訳ござ――」


 土下座しようとした明珠は、龍翔に腕を掴まれて阻まれた。かと思うと、横抱きに抱き上げられる。


「あ、あの――っ」


「禁じたというのに、わたしがおらぬ間に玲泉に会おうとしたそうだな?」


 もう一度、謝罪を紡ぐより先に、龍翔の低い声に唇を縫いとめられる。こわごわと見上げた秀麗な面輪は、激しい怒りをはらんで張り詰めていた。


「も、申し訳ございません……っ」


 ぎゅっと固く目をつむって、かすれ声で詫びる。

 恐ろしくて龍翔の顔を見られない。身体が勝手に震え出しそうになり、明珠はすがるように両手で服の上から守り袋を握りしめた。


「……何か弁解は?」


 龍翔の硬い声に、目をつむったままふるふると首を横に振る。


 気を抜くと涙がこぼれそうだ。言いつけを一方的に破ったのは明珠だ。非は明珠にあるというのに、泣いてしまったら優しい龍翔を困らせてしまう。


「ありません。龍翔様の言いつけを破って、申し訳ありませんでした……っ」


 どうか、龍翔が声と身体の震えに気づきませんようにと祈りながらもう一度謝ると、深い吐息が降ってきた。


「安理から、玲泉への無礼を謝らねばとお前が思い悩んでいるところを、甘言でつけこまれたと聞いた。間違いないか?」


 問われて、無言でこくりと頷く。


「玲泉に言葉巧みに誘われ、わたしが不在にもかかわらず、無防備に扉を開いたと……」


 ぎり、と龍翔が奥歯を噛みしめた音が聞こえる。


「くそっ、玲泉め……っ! やはり昼間、首を斬り飛ばしておくべきだったな……っ!」


 激昂のあまり、きしむような声で告げられた過激な内容に、思わず目をみはって見上げる。首を斬り飛ばすなんて、尋常ではない。


「あ、あのっ、龍翔様っ!? その、玲泉様には手にく、くくく……っ、えーとっ、手にふれられただけですから、首を斬るなんて、そんな……っ!」


 おろおろと告げると、黒曜石の瞳がすがめられた。


「……なるほど。これは安理が『おしおき』が必要だときつけるのも道理だな」


「えっ!?」


 『おしおき』のひと言に思わず身を強張らせた明珠を横抱きにしたまま、龍翔が部屋の奥へ歩を進める。


 衝立ついたての向こうに置かれているのは、龍翔用の立派な寝台だ。

 なぜこちらに、と疑問に思う間もなく、寝台にそっと横たえられる。


「あ、あの……っ!?」


 柔らかな敷布の上に身を起こすより早く、龍翔も寝台に載ってきた。明珠の身体の両脇に手をつき、覆いかぶさってきた長身に、逃げ場をふさがれる。


 明珠を見下ろす龍翔の面輪は、ひどく硬い。まるで、今にもあふれ出しそうな激情を、無理やり押さえつけてでもいるように。


「本当に、玲泉が指先へのくちづけだけで済ませていたと?」


 え? と問い返す間もなく、秀麗な面輪が大写しになる。

 かと思うと、龍翔の唇が乱暴に明珠の口をふさいだ。


「っ!?」

 息を飲んで、ぎゅっと固く目をつむる。


 なぜ、急にくちづけられたのかわからない。が、驚愕に頭が真っ白になって、考えるどころではなかった。


 「んぅ」とくぐもった声を上げてあらがっても、龍翔の唇は離れない。守り袋を持っていないほうの手で押し返そうとしたが、大きな手にあえなく絡めとられ、逆に寝台に縫いとめられる。


 湯上りの龍翔の体温にあぶられ、身体がけてしまいそうだ。


 窒息するのではないかと不安になったところで、ようやく龍翔の唇が離れた。

 空気を求めて、はっ、とあえいだ瞬間、ふたたび龍翔の唇が下りてくる。


「んん……っ」


 呼気まで奪うかのような深いくちづけに、ふたたび混乱の極みに叩き落される。


 逃げ出したいのに、明珠に覆いかぶさる引き締まった体躯たいくは、身動みじろぎさえ許してくれない。


 このまま、龍翔の熱に翻弄され、融けて柔らかな寝台に沈み込むのではなかろうか。


 羞恥と混乱のあまり、涙がこぼれそうになったところで、ゆっくりと龍翔の面輪が離れた。


 は、とれた吐息が肌を撫で、その熱さにふるりと身体が震える。


「不用意に玲泉を招き入れていたら……。このように、無理やりくちづけされていたやもしれんのだぞ?」


 怒りを孕んだ低い声に、明珠はぼう、と熱に浮かされたまままぶたを開ける。


「……? 玲泉様も《気》が必要なのですか……?」


 玲泉までもが禁呪に侵されているという話は、ついぞ聞いた覚えがないのだが。


 まとまらない思考のまま、ぼんやりと問うと、龍翔の面輪が困り果てたように歪んだ。

 何度教えても計算を間違える徒弟に、どう教えればよいかと思い悩むように。


「《気》など得られずとも」


 甘い響きを帯びた囁きが耳朶じだにふれる。


「この愛らしい唇は、いくら味わっても飽きることがないだろう?」

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