75 手合わせだけじゃすみません!? その2


「玲泉。文官であるおぬしがか?」


 秀麗な面輪をしかめて、龍翔が甲板に現れた玲泉を見つめる。鋭い視線を、玲泉はゆったりと笑って受け流した。


「それをおっしゃるならば、龍翔殿下も武官ではございませんでしょう? ……それとも」


 玲泉の口元に、揶揄やゆするような笑みが浮かぶ。


「文官であるわたしにさえ勝てる気がしないと? 名高い武官である張宇殿ならば、負けても言い訳が立ちますしね。お優しい張宇殿ならば、主人の顔を立てるという可能性もありえますし」


「そのようなことは決していたしません!」

 張宇が即座に否定する。


 同時に、夏の陽気すら凍えるような冷気が龍翔から放たれた。


「わたしがお前に負けるのを恐れていると? そう言いたいわけか?」


 玲泉を睨みつける黒曜石の瞳は、刃のように鋭い。

 龍翔の隣では季白が渋面になり、安理は「うわーっ」と呟きながら、二人を交互に見ている。


「とんでもございません。ですが、勝負はしてみぬことにはわかりませんでしょう? それに、わたしも頼りになるということを……。明順を賊の凶刃から守ったのは、単なる偶然ではないと知ってほしいですから」


 龍翔の怒気をものともせず、玲泉が明珠に甘やかな笑みを向けてくる。


 自分に向けられた怒気でないと承知していてさえ、明珠は震えてしまうというのに。優美な外見からは想像もつかない玲泉の肝の太さには、ある意味、感心してしまう。


「おぬしが庇う機会など、この先、あるとは思えんがな。だが、わざわざわたしと模擬戦をしたいというのなら、こちらも否はない。相手をしてやろう」


 玲泉に応じた龍翔が、秀麗な面輪に挑発的な笑みを浮かべる。


「では、龍翔殿下の胸をお借りするとしましょう」


 優雅に微笑んだ玲泉が張宇から木剣を受け取り、龍翔の前へと歩む。合わせて、明珠は張宇と一緒に後ろへ下がった。


 筆より重い物など、持ったことがないと言いたげな優美な風情の玲泉なのに、歩む姿は堂に入ったものだ。

 そういえば、明珠と周康が賊に襲われた時、庇ってくれた玲泉は賊の刃を見事に受け止め、反撃していたと思い出す。


 季白も文官なのに剣を巧みに使うし、玲泉もああ見えて剣術に優れているのかもしれない。


「怪我をさせる気はない。が……。もし万が一、何かあった場合は、《癒蟲》で治してやるゆえ、安心せよ」


 玲泉と相対した龍翔が、剣を構えながら告げる。


「それはそれは、お優しいことでございますね。でしたら……。ぜひとも、明順に癒してもらいたいものです」


「どこまでもふざけたことを! すぐに戯言ざれごとなど、叩けぬようにしてやろう」


 龍翔が玲泉を睨みつける。玲泉もまた、すらりと木剣を構えた。


「初撃はおぬしに譲ってやろう」

 隙なく剣を構えたまま、龍翔が悠然と告げる。


「では、お言葉に甘えさせていただきましょう」


 応じた玲泉が一礼したかと思うと、やにわに動いた。

 優美な姿からは想像もできないほど鋭い突きが繰り出される。


 明珠は思わず息を飲む。が、龍翔は全く危なげなく木剣でいなし、返す刀で玲泉の木剣を狙う。


 紫電のように鋭い刃を、だが玲泉は見事に受け止めた。


「ほう。意外とやるようだな」


「たった一合で負けをきっしては、頼りないと思われてしまいますからね」


 挑発的に笑んだ龍翔に、玲泉もまた、口元を吊り上げる。


「どこまで強がりが続くやら。では、次はこちらの番だな」


 いうが早いが、今度は龍翔が攻撃に転じる。

 風を斬ってふるわれた木剣を、玲泉が受け流す。


 かあんっ、とぶつかり合った木剣が高らかに鳴ったと思った時にはもう、龍翔が二撃目を繰り出していた。


 玲泉が身をひねり、すんでのところでかわす。


「すごい……っ」

 龍翔と玲泉の戦いに魅入ったまま、明珠はかすれた声で呟く。


 二人の戦いは、張宇と浬角のものとは、また別の迫力がある。


 張宇と浬角は虎がぶつかり合っているような雄々しさに満ちあふれていたが、龍翔と玲泉の二人は、まるで背中に目に見えぬ翼が生えているかのようだ。


 まるで、二匹の鷹が天空で競い合っているような。二人で息の合った剣舞を踊っているようにさえ見える。


「玲泉様が剣で戦われている姿を見るのは初めてだが……。まさか、ここまで剣が巧みでいらしゃるとは思いもよらなかったな」


 龍翔と玲泉の戦いに驚いているのは明珠だけではないらしい。明珠と一緒に後ろに下がった張宇も、二人に視線を据えたまま、感嘆の声を上げる。


「龍翔様も玲泉様も、本当にすごい御方なんですね!」


 剣など、ふれたこともない明珠には、龍翔と玲泉がどれほど強いのかわからないが、それでも十分すごいのだとわかる。


 乾晶の街から《堅盾族》の村へ赴く途上、賊に襲われたが、その時は《眠蟲》で眠らされてしまったため、明珠は龍翔の戦う姿を見ていない。すべて、眠っている間に終わってしまった。


 賊に応戦した時の龍翔も、こんな感じだったのだろうか。


 だが……。

 今は模擬戦であり、使っているのも木剣とわかっているため、感嘆とともに安心して魅入っていられるが、相手が賊で、真剣で戦っているのだとしたら……。


 そう考えた途端、周康とともに賊に襲われた時の恐怖を思い出し、無意識に身体が震え出す。


 龍翔と玲泉の剣戟けんげきはまだ続いている。が、玲泉のほうは息が上がってきているようだ。と。


 かあんっ!


 ひときわ高い音が鳴り響く。


 龍翔の木剣がすくい上げるように玲泉の木剣を跳ね上げる。

 たまらず玲泉の腕も上がり、胴が空き――。


 鋭い剣撃にしびれたのか、玲泉の手が木剣の柄から放れる。

 打ち上げられた勢いのまま、回転する木剣が風を斬って明珠に迫り――、


「《盾蟲》!」

「明順っ!」


 身動きもできず、ぎゅっと目をつむった明珠の耳に、龍翔と張宇の声が同時に響く。


 ふっ、と顔に影がかかったと思った時には、がんっ、と硬い音が響いていた。


 いつまで経ってもやってこない衝撃と痛みに、おそるおそる開けた目に真っ先に飛び込んで来たのは、明珠を庇って立つ張宇の広い背中だ。


「ち、張宇さん……?」


「明順、大丈夫か?」

 振り返った張宇の足元には、木剣が転がっている。


「張宇さんこそお怪我はっ!?」


「大丈夫だ。龍翔様の《盾蟲》が、俺に届く前に木剣を打ち落としてくれたから」


「よかった……っ」

 呟いた瞬間、安堵のあまり身体から力が抜ける。


 へたりと甲板にくずおれそうになったところを、駆け寄ってきた龍翔の力強い腕に抱きとめられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る