73 思いがけない共通点 その2


「藍圭陛下に腹違いの姉がいらっしゃったとは……。初耳です。差し支えなければ、どのような方か、うかがってもよろしいですか?」


 龍翔も藍圭の姉が気になるらしい。龍翔の問いに、藍圭がこくりと頷く。


「もちろんです。とはいえ、芙蓮ふれん姉様は、もともと王城とは別の屋敷で暮らされているので、姉というものの、あまり親しくしていないのですが……」


 しゅん、と小さな肩が落ち、明珠は思わず慰めたくなる。


「母上は、若くして父上に嫁いだものの、なかなか子宝に恵まれませんでした……。芙蓮姉様は、父上に仕えていた側妃の一人が生んだ十歳上の姉なのです。側妃の方が六年前に亡くなられたのを機に、城を出られて別の屋敷で暮らされていて……。年に何度かの行事の時しか、お会いする機会がないのです」


 藍圭の声がわずかに湿り気を帯び、明珠は小さく息を飲んだ。


 王族達が集まる公的な行事……。

 一番最近、行われたものとなれば、前国王夫妻の葬儀に他ならない。


 明珠が十二歳で母の麗珠を亡くした時は、喪主は寒節かんせつが務めた。だが、寒節は最愛の妻を亡くした哀しみで呆然自失となっており、明珠も。母を恋しがって泣くまだ五歳の順雪の面倒を見るのに精いっぱいで、葬儀の準備やら、弔問客の対応やらは、母に世話になったという近所の人々が中心になってしてくれた。


 藍圭のそばでは、芙蓮が寄り添って、哀しみをわかちあってくれたのだろうか。


 そうだったらよいのにと、願わずにはいられない。


 一人では耐えがたい悲しみも、わかちあってくれる人がいれば、乗り越えられる気がする。


 明珠も、順雪がそばにいてくれたから、母を亡くした哀しみから立ち直ることができたのだから。


 だが、龍翔が気になったのは、明珠とは違う点だったらしい。


「芙蓮姫は藍圭陛下より、十歳も年上なのですか。ということは……。失礼ながら、芙蓮姫はご結婚はされているのですか? それとも、晟藍国も、龍華国のように、王女の婚礼は難しいのでしょうか?」


 龍翔の秀麗な面輪に浮かぶ表情は硬い。


 龍華国の皇族が、《龍》という特別な蟲をび出せるように、晟藍国の王族には、《霊亀》を召喚する力があるらしい。晟藍国にも、『花降り婚』のような、特殊な取り決めがあるのだろうか。


 龍翔の問いかけに、藍圭の表情も硬くなる。


「晟藍国の姫は、同じ王族内で嫁ぐことが多いのです、芙蓮姉様はまだ嫁いではいらっしゃいませんが、婚約中でして、相手は、その……」


「お年から推測するに、瀁淀ようでんの息子、瀁汀ようていというわけでしょうか?」


 言い辛そうに言葉を濁した藍圭の後を、龍翔が引き継ぐ。


「そうなのです……」

 頷いた藍圭の方が力なく落ちた。


「芙蓮姉様が何をどこまで知ってらっしゃって、どのようなお考えを持ってらっしゃるのか、わたしにはわかりません。父上と母上の葬儀の時にお会いしましたが、瀁淀の目もあり、とてもではありませんが、こみ入った話ができる状況ではなく……。姉様がわたしの味方をしてくださるかどうかさえ、確かなことは何も言えぬのです……」


「っ」


 思わず声を上げそうになり、明珠は唇を噛みしめてこらえる。


 誰よりも辛いのは、明珠ではなく、たった一人の血を分けた姉さえ信じきれぬ藍圭なのだ。明珠が安易な同情の声を上げては、かえって藍圭に気を遣わせるだけだろう。


 もしかしたら、芙蓮姫も藍圭と瀁淀の間に挟まれて苦しんでいるのかもしれない。   


 もし明珠が藍圭の姉だったら、こんな可愛くてけなげな弟の味方をしないはずがない。


 だが、根拠も何もない希望的な推測を口にするのは無責任極まる。

 ただひとつ、明珠が確かに言えることは。


「大丈夫です、藍圭陛下! 藍圭陛下には今や、お姉様だけでなくお兄様もいらっしゃいます! 龍翔様は本当にお優しくて頼りになる方なんですよ! 藍圭陛下が晟藍国の国王としてつつがなく初華姫様とご婚礼を挙げられるように、絶対にご尽力くださいますから、ご安心ください! 私も……っ、えっと、私では何のお役に立てるかわかりませんが……っ。それでも、私にできることがありましたら、何でもいたしますから!」


 藍圭の沈んだ表情を何とかしたい一心で身を乗り出し、言い募ると、藍圭がぱちくりと目をまたたいた。虚を突かれた表情に、思いが先走るあまり、龍翔に不敬を働いてしまったことに気づく。


「そ、そのっ、私などが龍翔様のお心を代弁できる立場ではないのはわかっているんですけれども、その……っ」


 何と言えばよいかわからずあわあわとしていると、不意に隣に立つ龍翔にぽふぽふと頭を撫でられた。幼い子どもをあやすような、優しい手のひら。


「明順の言う通りです。義兄あにとして、藍圭陛下と初華の晴れやかな未来のためにご尽力することをお約束いたしましょう」


 藍圭に向き直った龍翔が、穏やかに微笑んで告げる。その姿は明珠が心に思い描いていた姿そのままで、やっぱり龍翔様は誰よりも頼りになる御方だと、そんな主にお仕えできていることが、心から嬉しくなる。


 と、藍圭が雲間から太陽が顔を出すように明るく微笑んだ。


「義兄上、ありがとうございます。義兄上だけに頼りきりにならぬよう、わたしも精いっぱい努めます。ですが……。不思議でございますね」


 藍圭が口元をほころばせる。


「逃げるように晟都を出、汜涵しかんの離城にいた頃は、明るい未来が見えず、毎日を暗闇の中で過ごしておりましたのに……。初華姫様や義兄上、玲泉殿にお会いできただけで、目の前に道がひらき、進むべき道がわかったような気がいたします。きっと、初華姫様や皆様のご人徳や――」


 明珠に視線を移した藍圭が、にっこりと笑みを深める。


「心優しい従者殿のお心にふれたおかげですね」


「藍圭陛下……っ!」

 感動のあまり、声が震える。


 愛らしすぎる笑顔に胸がきゅんきゅんしすぎて、気をしっかりもっていなくては、膝からくずおれてしまいそうだ。

 こんなに可愛いなんて、反則過ぎる。


「わたしも、義兄上のような立派な人物になれるよう、努力いたします! どうぞ、これからもご指導くださいませ」


 尊敬のまなざしで龍翔を見上げていた藍圭が、深々と頭を下げる。


「もちろん、わたしでよろしければ、いくらでもお教えいたしましょう」


 龍翔が秀麗な面輪に優しい笑みを浮かべる。藍圭を見つめるまなざしは、ほれぼれするほど柔らかい。


「ですが、焦られる必要はございません。藍圭陛下は、国王として一番大切なものをすでにお持ちでいらっしゃいますから」


「一番大切なもの、ですか……?」


 きょとんと藍圭が小首をかしげる。「ええ」と龍翔が笑顔のまま頷いた。


「一番大切な……。国王として、晟藍国をよりよくしていこうとする気概きがいを、藍圭陛下は幼いながらも、すでにしっかりお持ちでいらっしゃる。あと藍圭陛下に必要なものは、経験を積む機会と時間だけだと、わたしは思っております」


「あ、義兄上にそのように言っていただけるなんて……っ。嬉しいです!」


 ぱあっと輝いた藍圭の面輪が、薄紅色に染まる。思わず抱きしめたくなるような愛らしさだ。

 龍翔が穏やかな笑顔で頷いた。


「時間と経験と言われても、藍圭陛下はお困りになられるかもしれません。どちらも、一朝一夕に手に入るものではございませんから。ですが、今すぐ手に入れなくてはと焦られる必要はないのです。藍圭陛下には、これからまだまだたくさんの時間がございます。どうか、初華とともに二人で経験を積みながら歩んでいただけたらと……。兄として、そう願っております」


 早く大人にならねばと焦燥に駆られているだろう藍圭の心の内を読んだかのような、耳に心地よく響く優しい声。


「初華姫様と、二人で……」


 噛みしめるように呟いた藍圭が、決然と面輪を上げた。

 龍翔を真っ直ぐに見上げるまなざしには、強い意志の光がきらめいている。


「はいっ! まだまだ未熟者のわたしですが。義兄上からお預かりする初華姫様を幸せにできるよう、力を尽くして頑張ります!」


 事情を知らぬ者には、今回の『花降り婚』は、政略結婚にしか見えないだろう。けれど、藍圭と初華の二人なら、間違いなくお互いを想い合う素晴らしい夫婦になるに違いないと、明珠は確信する。


「きっと、初華も藍圭陛下と同じお心でございましょう。兄として、初華のお相手が藍圭陛下でよかったと、心より思っております。どうぞ、妹をお頼み申しあげます」


 龍翔もまた、藍圭に頭を下げる。


 もし、季白がこの場にいたら、明珠と一緒に「龍翔様……っ! なんと素晴らしいお心映えでございましょう……っ!」と、感涙していたに違いない。


 この感動を他の者と分かち合えないことを残念に思っていると、ふと藍圭の背後に控える浬角と目が合った。


 武人らしく大柄でいかつい顔をした浬角もまた、今にも男泣きしそうな表情で、ぐっと唇を噛みしめている。きっと、明珠も同じような表情をしているに違いない。


 言葉は交わさずとも、お互いに通じ合うものを感じ取り、主に心酔する従者達は、言葉にできぬ感動を視線に乗せ、力強く頷き合った。

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