72 藍圭陛下の味方はここにもおりますわ その4


 居住まいを正して椅子に座り直した藍圭が、龍翔と玲泉を交互に見やって口を開く。


「龍翔殿下も玲泉殿も、わたしが叔父上――いいえ、今や叔父とは思っておりませぬ。瀁淀を犯人と目していながら、なぜまだ捕らえられていないのかと、呆れてらっしゃることでしょう。ですが……」


「証拠が、ないのですね?」


 推測を確認するような龍翔の言葉に、藍圭が悔しげに頷く。


「そうなのです。あの夜、離宮に滞在していた者で、生き残ったのは、火事に気づいて逃げ出した下働きの者が数名と、華揺河かようがわに逃げおおせたわたしと浬角だけ……。その中で、賊の姿を見たのは、わたしと浬角だけです。他の者は、眠っていたところに、急に火事が起こって逃げ出したと……。賊の姿はおろか、火がどのようにでたかすら知らぬのです。加えて、離宮の内部は炎がすべてめつくしてひどい有様で……」


 その光景を思い出したのだろう。藍圭の面輪がいたましげに歪む。


「つまり、亡くなられた方々が賊の手にかかったのか、火事による死なのかも、わからなかったと……」


 龍翔の問いに藍圭がこくりと頷く。


「おっしゃる通りです。それゆえ、父上と母上は火事で逃げ遅れてなくなったのだと……。事故として葬儀を執り行いました。父上達の名誉のためには……。そして、人心の安寧のためには、事故とするしかありませんでした。今でさえ、賊がいたという明確な証拠を提示できぬ状態ですから……」


 両親が賊に襲われたと知っているのに、証拠がないゆえに犯人を追うこともできぬ藍圭の悔しさはいかほどだろう。


 小さな拳が、白く骨が浮き出るほど固く握りしめられる。


「ですが、わたしと浬角だけは、あれが決して事故ではないと――。敬愛する父上と母上が、卑劣な賊の手にかかったのだと知っています! 何としても黒幕を暴き、大罪の報いを受けさせてやりたいのです! だというのに……っ」


 不意に、藍圭の声が潤みを帯びる。張り詰めた小さな背は、抑えきれぬ激情に震えていた。


「賊を捜索するどころか、今のわたしは晟都から逃げ出さねばならぬほどの、王とは名ばかりの非力な身……っ! 己の無力さが情けなくて仕方ありませぬっ!」


「……藍圭陛下にお伝えするのは心苦しゅうございますが、確かに、現在の状況のままでは、瀁淀を捕らえるのは難しいかと存じます」


 憤る藍圭の怒りをいなすように告げたのは、今まで沈黙していた玲泉だった。冷や水を浴びせかけられたように、藍圭の面輪が凍りつく。


 が、玲泉はなまりでできた心ですら融かしてしまいそうなあでやかな笑みを浮かべた。


「誤解しないでくださいませ。わたしが申したのは、です。わたしは文官でございますゆえ、用兵にはうとうございますが、城を攻めるのに、真正面から攻めるのだけが攻略の手段ではございますまい。時にはからめ手も必要でございましょう」


 にこにこと優しげな笑みを浮かべて、玲泉が告げる。


「瀁淀とは、本日、ほんの短い間、言葉を交わしただけでございますが……」


 玲泉が首をかしげるのに合わせて、うなじのところで一つにまとめた、女性でもうらやむほどよく手入れのされた美しい長い髪がさらりと肩をすべる。


「端的に申し上げれば、清廉潔白な人物には、とても見えませんでしたが?」


 玲泉の言葉に、藍圭が小さく息を飲む。


「左様でございます!」

 と、立ち上がりそうな勢いで卓に手をついて乗り出したのは浬角だ。


「瀁淀殿は、以前より、汚職に手を染めていると、よからぬ噂が絶えず……っ! あのような俗物が大臣の地位につき、あろうことか、藍圭様を苦境に陥れているなど……っ! 証拠さえあれば、わたくし自らが叩っ斬ってやるものを……っ!」


 浬角がぎりぎりと奥歯を噛みしめる。頷いたのは藍圭だ。


「玲泉殿が見抜かれた通り、瀁淀は決して清廉潔白な人物ではありませぬ。亡き父上も、瀁淀に手を焼いておいででした……。ですが、相手は腐っても大臣。しかも、今や晟藍国のまつりごとの中心に居座っております。汚職の証拠を探そうにもなかなか……」


 うつむいた藍圭の面輪は苦渋に満ちている。


「ですが、ようとして行方が知れぬ賊を探すよりはまだ、見込みがございましょう?」


 玲泉がゆったりと微笑む。


「そう簡単に尻尾は掴めぬやもしれませんが、汚職をしているならば、取り交わした文書などは、おそらくどこかに大切に保管しているはず。そうした文書は、逆に使えば、取引相手を強請ゆすり、牽制けんせいする材料にもなりますからね。捨てているということはありえません。それを見つければ、瀁淀を罪に問うことが可能でしょう」


「なるほど……っ! さすが玲泉殿でいらっしゃいます!」


 藍圭が素直に感嘆の声を上げる。


「……ほう。なかなか詳しいではないか。まるで、自身にも覚えがありそうな口ぶりだな」


 黒曜石の瞳に挑発的な光を浮かべ、揶揄やゆするように唇を吊り上げたのは龍翔だ。

 なんだか龍翔にしては珍しい表情だな、と明珠は主の秀麗な面輪を見つめる。


 言われた玲泉のほうは、悠然と微笑んだ。

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