72 藍圭陛下の味方はここにもおりますわ その3


 刃のような視線が藍圭を射抜く。


 自分がその視線にさらされているわけでもないのに、明珠の身体が勝手に震え出す。


 こんな厳しい表情をした龍翔を、明珠は見た記憶がない。


 明珠が知る龍翔はいつも優しくて、明珠のような身分が低い者ですら気遣ってくれ、寛大で……。


 だが、それが龍翔のすべてというわけではないのだと、目からうろこが落ちた心地になる。


 今ここで藍圭に相対しているのは、「龍華国第二皇子」の龍翔なのだ。龍華国の皇子として、晟藍国国王である藍圭に問うている。


 いったい藍圭はなんと答えるのだろうと、明珠は心配でたまらない。


 わずか八歳の少年に、叔父を追い落とす覚悟があるかどうか問うなんて……。

 もし明珠が藍圭の立場だったら、情けないが、絶対に決断できない自信がある。


 幼い藍圭に龍翔の問いは酷ではないかと、明珠ははらはらしながら藍圭を見守った。


 藍圭は、血の気の引いた顔を強張らせていた。緊張にだろう、細い肩がかすかに震えているのを見て、明珠の心まで、刃を突き立てられたように痛くなる。


 だが。蒼白な顔をしつつも、藍圭は己を奮い立たせるように真っ直ぐに背を伸ばし、唇を引き結んで正面から龍翔の視線を受け止めていた。


 揺れる心を押し留めるように、一度、ぐっと奥歯を噛みしめた藍圭が、ゆっくりと口を開く。


「龍翔殿下のご心配は、もっともでございます。ですが」


 藍圭が昂然こうぜんおもてを上げる。


「わたしは、瀁淀ようでんの甥である前に、晟藍国の国王です。たとえ叔父といえど、逆賊を捨ておくことはできません。何より」


 藍圭の澄んだ瞳に、強い意志の光が輝く。


「わたしの両親を殺したのが叔父であるならば、そのかたきを打つべきは、息子のわたししかおりませぬ」


 藍圭のきっぱりした声が、張り詰めた空気を切り裂く。

 明珠は胸に迫る感動のあまり、目が熱く潤んで涙がこぼれそうになる。


 幼くても、藍圭の心はすでに、「晟藍国の国王」なのだ。


 きっと、明珠には思いも及ばぬ哀しみや苦しみを味わったに違いない。だが、それを乗り越えて背筋を伸ばして端然と座る藍圭を、心から支えたいと思う。


 そう思ったのは、明珠だけではなかったのだろう。


「藍圭様」


 初華がそっと隣に座る藍圭の手を握る。


「藍圭様のお覚悟、しかと受け止めました。ですが、藍圭様お一人にお辛い思いをさせる気はございません。どうか、妻となるわたくしにも、藍圭様の重荷をお分けくださいませ」


「初華姫様……っ!?」


 藍圭が驚いた顔で初華を振り返る。

 初華が見る者の目を奪わずにはいられないあでやかな笑みを浮かべた。


「先に申し上げておきますが、夫婦となるのですもの。余計な気遣いは不要でございます。これでも、権謀術数渦巻く龍華国の王城で幼い頃から過ごしてまいりましたのよ? 必ずや藍圭陛下のお力になれるという自負がございます」


 遠慮しようとする藍圭の退路を断つように、初華が笑顔で矢継ぎ早に告げる。


「それに」

 初華が、藍圭の手を握った指先に、力を込める。


「賊に襲われたのはわたくしも同じでございます。これは、わたくし自身の安全のためでもありますもの。ですから、変な遠慮はなさらないでくださいませ」


 愛らしく「ね?」と首を傾げた初華を見つめる藍圭の目が潤む。引き結んだ唇がわななき。


「ありがとう、ございます……っ」


 声を詰まらせながら頭を下げた藍圭の小さな身体を、初華がそっと抱き寄せる。


「藍圭様のお味方は、今や浬角殿と魏角殿だけではございませんわ。わたくしも、兄の龍翔達も藍圭様のお味方でございます。藍圭様の重荷をすべてになうことは叶いませんが、せめてその一端なりとも、共に背負わせてくださいませ」


 心に染み入るような初華の声音に、藍圭の小さな肩が震えるのが見えた。明珠自身も、涙をこらえるのに精いっぱいだ。


 涙をこぼさぬよう、ぐっ、と唇を噛みしめていると、ぐす、と鼻をすすりあげる音が聞こえた。


 自分が発したものではない音に視線を巡らせると、魏角と浬角の親子が、今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で必死に涙を堪えていた。


 二人とも、武人らしくいかつい顔をしているので、ともすれば憤怒の表情をした仁王のようにも見えてしまう。


「申し訳ございません。情けない姿をお見せしました」


 しばしの間を置いて、初華から離れて身を起こした藍圭が、手の甲で目元をぬぐってから詫びる。


 上げた面輪は、目元が少し赤いものの、苦痛に歪んている様子はなくて、明珠は心からほっとした。声も心配していたより力強い。


「藍圭陛下のご心中はお察しいたします。どうか、お気になさらないでください」


 龍翔が穏やかな声で応じる。


 真っ直ぐに育っていこうとする若木を見守るかのような慈愛のまなざしは、明珠もよく知るいつもの龍翔のもので、ほっと安堵した。

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