72 藍圭陛下の味方はここにもおりますわ その2
浬角が苦い声で説明を続ける。
「晟都を離れることで、状況が藍圭様に不利になる可能性は、もちろん考慮いたしました。ですが、わたくしは《蟲招術》も使えぬ武人でしかありません。今回は幸い毒見役が気づけましたが、もし《毒蟲》を仕掛けられたら、わたしでは見抜けませぬ」
自分の無力を嘆くかのように、浬角が凛々しい面輪を歪める。
「皆様がおいでになる前に、少しでも婚礼の準備を進めねばならぬことも、重々承知しております。ですが、どこに間者が潜んでいるかわからぬこの状況では、藍圭様の身の安全を第一に優先するべきと判断し、わたくしが藍圭様を説得して、この離城にお連れいたしました。父が守るこの離城でしたら、
がばりっ、と浬角が卓に額を打ちつけそうな勢いで深く頭を下げる。
「晟都を出ましたのは、すべてわたくしの判断! 藍圭様には何の咎もございません! 非難されるのでしたら、どうぞわたくしめを!」
「浬角!」
浬角の謝罪に、藍圭があわてる。
「何を言う!? お前が謝ることはない! お前の進言を受け入れたのはわたしだ。ならば、
幼いながらも従者を庇おうとする藍圭の立派な姿に、明珠は感動のあまり、泣き出しそうになる。
悲愴な顔をしている二人に、穏やかに声をかけたのは龍翔だ。
「藍圭陛下、浬角殿。誤解しないでいただきたい。我々は、晟都を出られたことを責めているわけではないのです。お話をうかがう限り、浬角殿の判断は正しかったと、わたしも思います。婚礼の準備の遅れは、これからいくらでも取り戻せましょう。ですが、万が一、藍圭陛下に何事があった場合は、取り返しがつきませぬ。浬角殿が藍圭陛下を第一と考えられた判断は、間違っておりません」
「そうですわ!」
兄の言葉に深く頷いた初華が、慈愛に満ちた笑みを隣に座る藍圭に向ける。
「藍圭様が
「初華姫様……。ありがとうございます」
目の前でまばゆいばかりに輝く初華の笑顔に、どぎまぎした様子で藍圭が礼を言う。
「ですが……」
和らいだ場の雰囲気を破ったのは、龍翔の固い声だった。藍圭がはっと居ずまいを正す。
「今後のことを話し合うにあたり、まず、最も重要な点を確認させていただきましょう」
龍翔が黒曜石の瞳で藍圭を見据える。
「これを問うのが酷であるのは承知しております。ですが、藍圭陛下。あなたの口からお聞きしたいのです」
龍翔の言葉に空気が張りつめる。いつの間にか、
しん、と静まった部屋に、斬り込むような龍翔の声が響く。
「藍圭陛下。あなたは、前国王陛下夫妻を手にかけた黒幕を、誰だとお考えですか?」
「っ!?」
龍翔の言葉に明珠は息を飲む。
以前、黒幕についての話はちらりと出たが、、このように聞くということは、龍翔は黒幕の正体に心当たりがあるということだろうか。
そして、藍圭もまた、黒幕が誰か知っていると。
確かに、前国王夫妻を暗殺し、藍圭や初華をも手にかけようとするなんて、並みの地位ではできまい。
明珠は不安を隠せないまま、龍翔と藍圭を交互に見やる。
龍翔は、いったい誰が黒幕だと思っているのだろう。
藍圭を見つめる龍翔のまなざしは、厳しくも優しい。見守りつつも励ますようなまなざしは、藍圭を幼い少年ではなく、晟藍国の国王として相対しているのだと、言外に告げていた。
龍翔の視線を受け止めた藍圭が、幼い顔を引き締め、ぐっと奥歯を噛みしめる。
ゆっくりと瞬きし、見つめ返した瞳日は、強い意志の光が宿っていた。
「聡明な龍翔殿下はすでにお気づきなのでございましょう。わたしも、同じでございます。わたしは――」
藍圭が迷いのない口調で告げる。
「叔父の
藍圭の断言に明珠は息を飲む。
まさか、血のつながった叔父が、兄夫婦を、そして甥を殺そうとしただなんて、そんな。
くらくらとめまいがする。気をしっかり持たねば、椅子から転げ落ちそうだ。
「……そうですか」
恐慌に陥りかけた明珠は、龍翔の静かな声で我に返る。
龍翔の声に動揺はない。ということは、龍翔もまた、瀁淀が黒幕だと推測していたのだろう。
「藍圭陛下も我らと同じようにお考えならば、話は早い」
龍翔が淡々と言を継ぐ。
「では、もうひとつ問わせていただこう」
龍翔の声が厳しさを帯びる。
「黒幕が瀁淀であるならば、藍圭陛下は血縁である叔父をその手で捕らえ、大臣の地位より追い落とさなくてはならぬ。……そのお覚悟は、おありか?」
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