71 よく、泣くのをこらえたな その3


「賊が同一人物ということは……。その背後にいる人物は、藍圭陛下のご両親を手にかけたばかりか、初華姫様まで邪魔者に思っているということですよね……?」


 明珠の声が震え、ふたたび泣き出しそうに潤む。

 龍翔はあやすように明珠の背を撫でた。


「ああ。だが、黒幕の最たる狙いは藍圭陛下であろう。初華の襲撃はおそらくおどし……。わざわざ龍華国の国内にいる間に襲撃したことからも、その可能性が高い。晟藍国に入ってから賊の襲撃に遭えば、晟藍国側の落ち度も責められるが、龍華国内にいる間なら、責任はすべて、龍華国の警備の手落ちとなるからな。初華が怯えて『花降り婚』が取りやめになれば、願ったり叶ったり。そうでなくとも、今後の牽制けんせいとなれば、というところだろう」


 顔を強張らせて主を見上げた明珠に、龍翔は視線を合わせて頷き返す。


「大丈夫だ。決して藍圭陛下を賊の手にかけさせたりはせぬ。そのために、一日も早く陛下との合流を、と昼夜を問わず晟藍国へと航行してきたのだから。我らともにいる限り、賊など、決して藍圭陛下に近づけさせたりせぬ」


 力強い断言に、ようやく明珠が表情を緩ませる。


「そうですよね! 龍翔様がいてくださったら大丈夫ですよね!」


 明珠の純粋な信頼は嬉しいが、事はそう簡単ではない。


 前国王夫妻と藍圭の命を狙ったということは、黒幕の狙いは間違いなく晟藍国の王位だ。


 であれば、黒幕を捕らえぬ限り、藍圭は狙われ続けるだろう。


 龍翔達が晟藍国にいて守っている間はよいが、永遠に滞在できるわけではない。なんとかして黒幕を捕縛せぬことには、藍圭に安寧の日々は訪れぬ。


 藍圭亡き後、晟藍国の王位を継げる者となれば、黒幕は瀁淀で間違いないだろうが……。


(どうやって、証拠を掴むかが問題だな)


 前国王夫妻が暗殺されてから、すでに三か月近くが過ぎている。さらには、離宮は焼け落ち、国王夫妻が賊の手にかかったという証拠すらない。浬角の証言があるだけだ。


 浬角の証言だけでは、大臣として権勢を振るう瀁淀を追い落とすにはあまりにも心もとない。


(瀁淀がこれから何か罪を犯してくれれば、それを理由に処罰することも可能なのだがな……)


 今日会った瀁淀の様子を見る限り、叩けばほこりの一つや二つは出てきそうだが。


「龍翔様?」


 明珠の声に、思惑に沈んでいた龍翔は、はっと我に返る。


 悪巧わるだくみをしていたろくでもない顔を、明珠に見られてしまっただろうか。


 龍翔の傲慢ごうまんだと、十分承知している。


 それでも、この純真無垢な少女には、人間のきたない面など、叶うならば見せたくない。


「あ、あの……」


 龍翔の動揺を知ってか知らずか、明珠が恥ずかしそうに頬を染めて龍翔を見上げる。


「も、もう大丈夫になりましたので、そろそろお放しいただきたいのですけれど……」


 照れている様子が可愛くて、思わずさらにぎゅっと抱き寄せると、明珠が小さく悲鳴を上げた。


 涙はすっかり止まったようだが……。龍翔がまだ、明珠を離したくない。


 明珠があわてた様子で、腕をほどこうとぐいぐいと押してくる。


「り、龍翔様!? 泣いたせいでご迷惑をおかけした私が言えることではないとわかっておりますけれど……っ。本当でしたら、藍圭陛下をお迎えするために昼食の準備をしなくてはならないのでは……!? 玲泉様や季白さんにも、ご迷惑がかかってしまいますし……」


「まだだ」

 明珠の言葉を強い声で封じる。


 自分でも、みっともないとわかっている。

 それでも、明珠の口から玲泉の名前が出ると、どうにも冷静でいられなくなる。


「そのように泣きはらした顔では、外に出てゆけぬだろう?」


 告げると、明珠の眉がへにょんと下がった。


「あ……。すみませんっ。そうですよね。こんなみっともない顔で出ては、藍圭陛下にもご心配を……」


「……そういうことにしておくか」

 苦笑して、片手で明珠の頬を包む。


 羞恥しゅうちに薄紅色に染まった頬も、潤みを帯びたつぶらな瞳も、ほのかにつやめいていて、ずっと腕の中におさめていたくなる。


 こんな明珠を、玲泉などに見せられるわけがない。


 明珠の両の目元にくちづけ、《癒蟲》をび出す。


「あ、あの!?」


 明珠がうろたえた声を出すが、かまわない。

 手のひらと唇に伝わる熱に、理性が融けそうな心地がする。


「り、龍翔様! もう。本当に大丈夫ですからっ! これ以上は、心臓が壊れてしまいます!」


 悲鳴混じりの明珠の声に、龍翔はようやく自制する。確かに、このまま続けていては、蜜の香気をこぼす唇に、我を忘れてくちづけてしまいそうだ。


 揺らぐ理性を奮い立たせて腕をほどくと、明珠が罠から逃げ出す子うさぎのように、素早く龍翔の膝から下りた。


 が、手が届かぬところまでは行かずに立ち止まったかと思うと、ぺこりと頭を下げる。


「あ、あのっ、申し訳ございませんでした! ご立派な御召し物を着てらっしゃるのに、私、その……っ」


 恥ずかしいのか、語尾がもごもごと消えていく。


「で、でもあの、慰めてくださって……。ありがとうございましたっ」


 気合いを込めた声で告げた明珠が、さらに深く頭を下げる。が。


「……あ、あの……。やっぱり、怒ってらっしゃいますか……?」


 いつまでも黙りこくっている龍翔に、明珠が不安そうに声をかける。


「そ、それとも呆れてらっしゃるんでしょうか……?」


「いや……。何でもないのだ。謝ってくれるな。わたしが、お前の涙をとめたかったのだから」


 緩みそうになる口元を覆っていた手を外し、龍翔はできるだけ穏やかに明珠に微笑みかける。


 言えるわけがない。


 逃げようとしつつも、立ち止まって礼を言う明珠の純真さが愛らしすぎて、もう一度抱き寄せたくなったなど。

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