71 よく、泣くのをこらえたな その1


「ひゃっ!?」


 龍華国の船内に入り、人目が途切れた途端、龍翔は振り向くと、後ろをついてきていた明珠を横抱きに抱き上げた。


「り、龍翔様っ!?」


 あわてふためいた声を上げる明珠をよそに、玲泉に一方的に告げる。


「玲泉殿。藍圭陛下達を昼食にお招きする準備はお任せしたい。季白、お前は手伝いを」


「かしこまりました」

 季白が苦々しい顔で、それでも主の命に即答する。


「おやおや」

 からかうような声を上げた玲泉が、ふう、と芝居がかった仕草で吐息した。


「仕方がありませんね。今回は特別ですよ。明順のために、今はおとなしく引いてさしあげましょう」


「感謝する」


 謝意を述べると、玲泉が意外なものを聞いたとばかりに目を見開いた。

 これ以上、余計なことを言われぬうちにさっときびすを返す。


「あ、あの! 下ろしてください!」


 腕の中で身動みじろぎする明珠の抵抗は、あえて無視する。

 無人の廊下を進み、龍翔の船室へ入る。


 扉を閉める間も惜しく。


「よく、今までこらえたな」


 視線を合わせて微笑み、ねぎらいを口にしたとたん、明珠のつぶらな瞳にぶわ、と大粒の涙が盛り上がった。


「わたっ、わたし……っ」


 絹の衣をよごしてはいけないと思ったのか、あわててふところから手巾を取り出した明珠が、手巾を目元に押し当てる。


 もう片方の手は、すがるように服の上から龍玉を握りしめていた。


「ら、藍圭陛下が、ご気丈にも泣くのをこらえてらっしゃたのに……っ。じ、実際に前国王ご夫妻にお会いしたこともない私なんかが、泣いては申し訳ないと、思って……」


 ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、しゃっくりをあげる明珠を、龍翔はぎゅっと抱きしめる。


「そうか。それで我慢したのか。偉かったな」


「だ、だって、私が泣いたりしたら、きっとお優しい藍圭陛下は、お気を遣われて……っ」


 先ほどまで龍翔達は、離城で藍圭と従者の浬角りかくから、前国王夫妻が亡くなった夜のにあった出来事を聞いていた。


 実際に説明したのは藍圭ではなく、側仕えの浬角だったのだが……。


 藍圭にとっては、両親が亡くなった夜のことは、やはり思い返すだけで心の負担がかかるのだろう。


 浬角の話が終わった時には憔悴しきっていた藍圭を休ませるため、いったんお開きとなったのだ。


 ちなみに初華は「わたくしは藍圭様と一緒におります」と主張し、護衛の張宇、安理とともに、まだ離城に残っている。


 今後については、龍華国の船で昼食をとりながら話し合おうということで、龍翔は明珠達と一緒に、一足早く戻ってきたのだが……。


 正直、龍翔は浬角が話し始めた時から、後ろに控える明珠が心配で仕方がなかった。


 藍圭が幼くして国王になった事情を知っただけで、涙していた明珠なのだ。当日の夜のことを聞くのはさぞつらかろうと……。途中で泣き出すようなら、張宇に託して中座させようとも考えていたのだが、


 明珠は、最後まで泣かなかった。


 今にも泣きだしそうに、大きな目いっぱいに涙をため、唇をみしめて、ぎゅっと量のこぶしを握りしめ……。


 それでも、明珠は藍圭の前では決して泣かなかったのだ。


「すまぬ。お前にはつらい思いをさせたな」


 申し訳なさで胸が痛くなる。

 苦い声で詫びると、明珠がぶんぶんとかぶりを振った。


「ち、違います! 龍翔様が謝られる必要などございませんっ。私が勝手に、哀しくなっただけで……」


「何を言う」


 泣きじゃくる明珠を横抱きにしたまま、部屋の奥の長椅子に腰かけ、龍翔は強い声で告げる。


「人のことを思いやって涙するお前の優しさは、得難い美点だ。それを褒めることはあれ、責めるなど、決してありえぬ」


 華奢きゃしゃな身体に腕を回し、愛しい少女を優しく抱き寄せる。せめて、少しなりとも明珠の哀しみを癒せられたらよいと思いながら。


 ぽろぽろぽろぽろと涙を流す明珠の背をあやすように撫でながら、龍翔は浬角から聞いた話を思い返した。



 浬角は前国王夫妻が亡くなった夜のことを、かなり正確に記憶していた。


 いや、忘れようにも忘れられないと言った方が正しいか。


 国王一家が離宮へ滞在するのは、例年のことだったらしい。日中は家族三人でつつがなく過ごし、夜は国王夫妻と藍圭がそれぞれ別室に引き払い――。


 藍圭の側仕えである浬角は、夜半に違和感を覚えたらしい。

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