70 離城の少年国王 その3


 離城といいつつ、砦の中は武骨かつ実用的で、ふつうの砦と大差なかった。


 魏角ぎかくによると、かつては避暑用の小さな城だったらしいが、何十年も前に王の御幸は途絶えており、砦に改築されてからは華揺河の運航を見張る用途として使われているのだという。


 城であった頃の名残はわずかに残っていて、龍翔達が通されたのは、壁に古式ゆかしい浮彫の彫刻が施された砦の中でも立派だと思われる部屋だった。


 部屋の中央には大きな卓が置かれているが、藍圭と魏角と浬角りかく、龍翔と初華と玲泉の六人が座ると手狭になる。季白達は壁際に並んで控えていた。


「さて……」


 ひと通り全員の紹介が終わったところで龍翔は口火を切る。

 むろん、正体を隠している明珠だけは、表向き張宇の親類となっているため、「ろう明順」と張宇と同じ家名を名乗ったが。


 口火を切った龍翔を咎める者は誰もいない。


 この場にいる者の身分でいうなら、晟藍国の国王である藍圭が最も格が高くなる。が、晟藍国と龍華国では、龍華国のほうが格上だ。


 龍華国の皇子と、晟藍国の国王を並べれば、同列か、皇太子でない分、藍圭のほうが少し上か……。


 だが、藍圭は自分の年齢と、妻となる初華の兄という立場から、龍翔を立ててくれるつもりらしい。黙して龍翔の言葉を待っている。


 が、龍翔自身、幼いとはいえ、国王である藍圭をないがしろにする気など、欠片もない。恭しく藍圭に申し出る。


「藍圭陛下。わたしは陛下が龍華国のご来訪された際は公務で王都を離れており、お目通りすることが叶いませんでした。それゆえ、藍圭陛下が『花降り婚』を申し込まれた事情も、初華から伝え聞いただけでございまして……。差し支えなければ、わたしも藍圭陛下のお口から経緯をうかがいたく存じます」


 龍翔の言葉に、藍圭が幼い顔を強張らせる。


 安心させるように、龍翔はできるだけ穏やかに微笑んで語りかけた。


「陛下。最初に申しあげておきます。初華は『花降り婚』で晟藍国へ嫁ぐことになりましたが……。晟藍国の国王にではなく、花嫁となるために参ったのです」


 いったん口をつぐみ、己の言葉が藍圭の心に沁み込むのを待つ。


 藍圭のつぶらな瞳が驚きにみはられたのを確認してから、龍翔は視線を合わせ、柔らかに微笑んだ。


「わたしも龍華国の第二皇子でございますが、その前に初華の兄でございます。わたしは初華の幸せな結婚のために、差し添え人として参ったのです。大切な妹の夫となられる方なら、わたしにとっても大切な義弟おとうと。本日初めて会ったばかりでご信用いただくのは難しいやもしれませぬが……。わたしのことを義兄あにと思って頼っていただけましたら、嬉しく存じます」


「龍翔殿下……っ!」


 藍圭の少年らしい高い声が、感極まったように潤む。

 一瞬、龍翔は藍圭が泣きだすのではないかと心配になった。が。


 ぐすっ、と藍圭よりも早く、背後で鼻をすする音がする。


 振り向くと、張宇達と並んで壁際に控える明珠が、今にも泣き出しそうになるのを必死でこらえるように、唇をきゅっとみしめ、鼻をすすりあげていた。


「明順?」


 驚いて問うと、龍翔の声にはっと表情を強張らせた明珠が、あわてて深く頭を下げる。


「も、申し訳ございませんっ! 藍圭陛下のご立派なご様子と、龍翔様のお優しさに感極まってしまいまして……っ」


 明珠が涙声で答える。その隣では、季白が藍圭達がいなければ、今すぐ怒鳴りつけたいと言いたげな鬼の形相で、明珠をにらみつけていた。


 季白に叱責されてはかわいそうだと、龍翔が取りなすより早く。


「お優しい龍翔殿下の従者は、殿下と同じく心根のよい方でいらっしゃるのですね!」


 藍圭が弾んだ声を上げる。


「従者を見れば、主人の人となりがわかるともいいます。初めて会ったわたしを思いやって、涙を流してくれる従者をお持ちの龍翔殿下は、先ほどのお言葉とおり、お優しくていらっしゃるのでしょう」


 ぴんと背筋を伸ばした藍圭が、深々と頭を下げる。


「龍翔殿下。お願い申し上げるのは、わたしのほうでございます。晟藍国の国王といえど、わたしはろくな力を持たぬ卑小の身。殿下を義兄上あにうえと頼ってよいのでしたら……。初華姫様を誰にはばかることなくお迎えするためにも、どうか、わたしにご助力をたまわりくださいませ」

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