69 せめて、甘いもので口直しをしたいですね その1


「いや~、なんて言うんスか? 追い払われたクセに、おこぼれをもらえないかな~って、うろつく野良犬? みたいな?」


 船が動き出して間もなく。


 ひとり甲板に残っていた安理が、初華の船室へ来て龍翔に報告した。


 龍華国の船の進路をふさいでいた瀁淀達の船は、進路を譲った後、そのまま去らずに、わずかな距離をあけてついてきているらしい。


 初華の船室にいるのは、龍翔達だけではない。玲泉もさも当然の顔をして、萄芭が出した茶をきっしている。


「瀁淀への対応は、あのような感じでよろしかったですかね?」


 否と言われるとは微塵みじんも考えていない様子で、玲泉が優雅に微笑む。龍翔はひとくち茶を飲んで喉を潤し、頷いた。


「ああ。見事なものだった。瀁淀がおぬしを取り込もうと接触してきた際は、わかっておるな?」


「ええ。もちろん、承知しております。わたしを味方にした気になって油断したその時には……」


 玲泉が綺麗な顔には不似合いな獰猛どうもうな笑みを浮かべる。


「腹の中から、い破ってやりましょう」


 ひやり、と部屋の空気が冷える。


「そうか。それは楽しみだ」

 龍翔は鷹揚おうように頷き、にこやかに微笑む。


「瀁淀どもは、わたしと初華は取り込みにくいと思っておるだろうからな。せいぜい、都合のよい夢を見させてやるがよい」


「かしこまりました」


 凄絶な気配を霧散させ、玲泉がいつものように優雅に微笑む。龍翔の隣で身を強張らせていた明珠が、ほっとした様子で息をついた。


「ですが……」

 玲泉がふう、と残念そうに吐息する。


「せめて瀁淀達の見目がもう少しよければ、もっと意気が高まったものを……。あれでは、夢は夢でもわたしには悪夢となりそうです。せめて、甘いもので口直しをしたいですね」


 玲泉が甘く明珠に微笑みかける。龍翔は玲泉の隣に座る張宇に顎をしゃくった。


「張宇。玲泉殿が甘味をご所望らしい。お前の菓子を分けてさしあげろ」


「かしこまりました」

 主の意を汲んだ張宇が玲泉に向き直る。


「玲泉様はどのような菓子がお好みですか? 焼き菓子でしょうか? 干菓子でしょうか? お望みなら、厨房で作ってもらった生菓子もございます。いろいろ取り揃えておりますよ? 黄身のあん饅頭まんじゅう、黒蜜を絡めた揚げ菓子、甘辛いたれをかけた団子などなど……」


 説明しているうちに熱が入ってきたのか、張宇が珍しくぐいぐいと距離を詰めていく。きらきらと輝く瞳は本当に楽しげだ。


「ああ、張宇殿は甘味が好きらしいね」


 いなすように玲泉がゆったり微笑む。


「はいっ! 甘味のことならお任せください! 甘味に関することなら、そうそう他の者に引けは取りません!」


 張宇が自信満々に頷く。


 張宇といえば、龍華国の王城でも一二を争う武芸の達人と言われているが……。本

人にとっては、甘味で負けぬ方が重要らしい。


 龍翔と同じことを考えているのか、安理がけらけらと爆笑している。


 と、玲泉が悪戯っぽく微笑んだ。


「なるほど。好きな物に打ち込む姿は良いものだね。張宇殿がおすすめする甘味は、ぜひとも食べてみたいものだが……」


「ええぜひ! 俺の特におすすめは――」


 勢い込んで言いかけた張宇の頬に、玲泉が指先を伸ばす。菓子よりも甘く微笑み。


「わたしとしては、凛々しい張宇殿が告げる、菓子のように甘い言葉のほうを、味わいたいね」


 瞬間。


 びきっ! と音を立てそうな勢いで張宇が凍りつく。安理が、「ぶっひゃっひゃっ!」と吹き出した。


 その声に我に返った張宇が、ずざざざざっ、と身を引いて玲泉から距離をとる。ふれる者に逃げられた玲泉の手が、所在なく空に浮く。


「れれれれ玲泉様! ご冗談はおやめくださいっ!」


 沸騰したのではないかと思うほど顔を真っ赤にした張宇が、悲鳴のような声を上げる。が、玲泉は泰然としたものだ。


「おや、冗談ではないよ。前にも書庫で言っただろう? かの君だけでなく、その両翼も気にかかっている、と」


「あっれぇ~? 張宇サン、いつの間に玲泉サマに口説かれてたんスかぁ~?」


 安理がこの上なく人の悪い顔で張宇をからかう。


「口説かれてなんていないっ!」


 悲鳴のような声を上げた張宇に応じたのは、張宇を挟んで玲泉の反対側に座る季白だ。


「つまり、張宇を身代わりに差し出せば、玲泉様の興味の対象が一時でも移る、と……?」


「おいっ、季白! お前、何を考えているっ!?」


 すこぶる真剣な表情で呟いた季白に、張宇が噛みつく。本当は季白の襟首えりくびを掴んで揺すぶりたいのだろうが、間に玲泉がいるので、残念ながら叶わない。


 代わりとばかりに、玲泉がにこやかに季白を振り向いた。


「ああ、別に季白殿でもよいんだよ? 『両翼』の二人ともに興味があるからね」


「お言葉でございますが、わたくしはすでに身も心も龍翔様に捧げておりますので。他の者が入る余地は、一切! 髪一筋さえもございません!」


 きぱっ、と季白が即答する。


 一片の曇りもない忠誠心は心から感じ入るべきものなのだろうが……。


 なぜだろう、今は素直に心から喜べない。

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