69 せめて、甘いもので口直しをしたいですね その2


 玲泉が残念そうに肩をすくめる。


「おやおや。季白殿にはあっさり振られてしまったね。やはり、ここは張宇殿に……」


「いえいえいえっ! 俺も無理です! 絶対無理ですっ! 俺も龍翔様にすべてを捧げてお仕えすると決めておりますのでっ!」


 ぶんぶんぶんぶんぶんっ! 張宇が精悍せいかんな面輪を強張らせてかぶりを振る。


 はぁ、と玲泉が芝居がかった様子で嘆息した。


「まったくもって、龍翔殿下がうらやましいことです。わたしが欲しいと思うものを、すべてお持ちでいらっしゃる」


 龍翔が答えるより早く、安理がくちばしを突っ込んだ。


「それはやっぱり、人望の差ってヤツじゃないっスか~? ってゆーか、玲泉サマ、みさおを立てるって、昨日おっしゃったばかりじゃないっスか? もう前言撤回なさるんで? まっ、オレは遊び人の玲泉サマらしくていいと思うっスよ~?」


「いや、もちろんちゃんと立てるよ? これは気晴らしだからね。張宇殿の反応が楽しくて、つい深追いしてしまった」


「おぬしの気晴らしにわたしの従者を使うのはやめてもらおう」


 ぷるぷると必死な顔で首を横に振る張宇を横目に、龍翔は玲泉に釘を刺す。


「気晴らしがしたければ、おぬしの従者達と戯れるか、瀁淀にでも用意してもらえ。きっと喜んで準備してくれるぞ?」


「瀁淀が用意するものなど」


 はっ、と玲泉が嘲笑を浮かべる。


「あのような俗物が、わたしが本当に欲するものを用意できるとは思えませんね」


「やはり、お前も瀁淀をそう評すか」


 龍翔も玲泉の辛辣しんらつを咎める気はない。「ええ」と表情を改めた玲泉が頷いた。


「あれはまごうことなく俗物ですね。龍華国の王宮に巣食っているのと同じ、権力と富を満たされることなく貪欲どんよきに求める亡者ですよ」


 刃のように鋭い玲泉の声には、一片の容赦もない。が、否定する気は欠片も湧かない。龍翔も、同じ印象を抱いていた。


「玲泉。おぬしはどう見る?」


 あえて主語を明確にせずに問うと、玲泉は端麗な面輪をしかめた。慎重に、言葉を紡ぐ。


「今の段階では、まだ何とも……。大それたことができるほどの胆力の持ち主には見えませんでしたが……。ですが、小心者にも大罪を犯させてしまうほど、玉座というものは人を惑わす輝きに満ちているようでございますから」


 と、玲泉がいつものからかうような軽やかな笑みを浮かべる。


「まあ、わたしはそんな面倒で重責を負わねばならぬ立場など、頼まれても御免ですが。欲しがる者の気が知れません」


 皇位争いに身を投じる龍翔を揶揄やゆするかのような口調。


 だが、龍翔にとっては玲泉の考えなど、どうでもよい。皇位を得なければ、龍翔に待つのは死のみなのだから。


「小心者の俗物が、玉座へ身の程知らずの欲を抱いたか、それとも――『誰か』にそそのかされたか」


 震雷国しんらいこくの介入を危惧する龍翔の言葉に、しん、と卓に沈黙が落ちる。


「その点も見極めねばならんな。玲泉。瀁淀と接触した際には、その点についてもしかと調べておいてもらいたい。本当に瀁淀が下手人がどうかも含めて、な」


 龍翔の言葉に玲泉が優雅に頷く。


「もちろんでございます。龍華国の高官の一人といたしましても、震雷国と事を構えるのは、避けたい事態でございますから」


 「ですが……」と玲泉が表情を曇らせる。


「どうした? 懸念があるのなら何でも申してみよ。わたし一人では気づけぬこともあろうからな」


 有能な官吏である玲泉が気にかかることならば、捨てておけない。思わず身を乗り出すと、玲泉は端麗な面輪に憂いを浮かべて嘆息した。


「公務とはいえ、瀁淀のような美しさの欠片もない俗物と懇意にするふりをしなければならぬとは……。嫌気のあまり、心身に不調をきたしてしまいそうでございます」


「……は?」


 呆気あっけにとられた龍翔を無視して、玲泉がよいことを思いついたとばかりに満面の笑みでぽん、と手を打つ、


「ここはやはり、任務をつつがなく遂行するためにも、愛らしい明順に癒してもらう必要がありますね」


「ふぇっ!?」


 突然、名前を出された明珠が、すっとんきょうな声を上げる。


 「馬鹿げたことを申すな!」と龍翔が怒鳴るより早く、玲泉を睨みつけて冷ややかな声を上げたのは初華だった。


「癒しでしたら、ご自身の従者にお求めくださいませ。わたくし、昨日の明順への仕打ちをまだ許しておりませんのよ? 明順を困らせるのは、わたくしが許しませんわ」


 初華の愛らしい顔立ちは険しく張り詰めている。声もいつになく固く、厳しい。


「これは残念。初華姫様に禁じられたら、仕方がありませんね。ですが……」


 玲泉がゆるやかに首をかしげる。


「初華姫様のご機嫌が麗しくない理由は、わたしだけが原因ではないように思われますが?」

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