66 いっそのこと、禁呪など解けなくともよい その2
大きな目を真ん丸にしていたかと思うと、突然、何やら妙に納得した様子で「お花お花……」と呟きだした明珠に、あわてて声をかける。
求婚されるなら、花束を持って申し込んでほしいということだろうか。
龍翔の声に、明珠がきょとんと小首をかしげる。
「え? ですから、玲泉様がお花の球根をくださると……」
「お花より、食べられるお野菜の苗のほうが嬉しいんですけれど」と、真剣な表情で呟く明珠にあわてる。
「いや待て明珠。花の球根ではないぞ」
まさか、こんな誤解をされるとは、予想外過ぎた。ひとつ咳払いして、態勢を整える。
「玲泉は、お前を嫁として蛟家に迎えたいと。そう、申しておるのだ」
瞬間。
ぴしり、と明珠が凍りついた音が聞こえた気がした。
そこだけ時が止まったかのように、明珠が一切の動きを止める。
初めて見る明珠の様子に、辛抱強く反応を待っていたが、明珠はまったく動かない。
「……め、明珠?」
心配になり、おずおずと声をかけると、明珠が弾かれたようにびくりと身体を震わせた。
今にも泣きだしそうに潤んだ瞳が、
「すみません、龍翔様……。私、なんだか耳がおかしくなってしまったみたいなんです……っ。いえっ、もしかしたら、頭が変になったのかも……っ!?」
熱を確かめる気なのか、明珠がのろのろと自分の額に手を持って行こうとする。それより早く、龍翔は身を屈めると己の額を明珠のそれに押し当てた。
もし、明珠が体調を崩したというのなら一大事だ。《龍》の気の毒のことが、龍翔の思考をかき乱す。
「ひゃっ!?」
愛らしい声を上げた明珠の面輪が、さあっと薄紅色に染まる。
「熱はないようだが……」
顔は赤いものの、くっつけた額から伝わる体温は、龍翔のものとさほど変わらぬあたたかさだ。
「で、でも……っ」
明珠の瞳が不安に揺れる。至近で縋るように見つめるまなざしに、嫌でも心が乱される。
「どうした? 何が不安なのだ?」
明珠の面輪を覗き込んで、できる限り優しく尋ねる。あやすように背を撫でたが、緊張に強張った背中は固いままだ。
「突然のことで驚かせてしまったか?」
優しく尋ねたにも関わらず、明珠が
「あ、あの……っ。私の聞き間違いではなく、ほ、本当に玲泉様は、私を嫁に、と……?」
震え声の問いに、「ああ、そうだ」と否定したい気持ちをこらえて苦く頷く。
途端、明珠がぶんぶんぶんぶんぶんっ! と千切れんばかりに首を横に振った。
「無理です無茶です! 絶対何かの間違いです――――っ!」
大音量で叫んだ明珠が、怯える子うさぎのようにぷるぷる震える。
「そんなことっ、絶対ぜったいっ、天地がひっくり返ってもありえませんっ! ……あっ、あれですよねっ!? 前に玲泉様の言葉は本気にしないようにおっしゃってましたけど、今回もきっとご冗談で――」
「冗談であれば、どれほどよいか」
龍翔の地の底から響くような引く声に、明珠の言葉がふつりと途切れる。
呆然と龍翔を見上げる明珠と視線を合わせ、きっぱりと告げる。
「玲泉は本気で、お前を
途端。ふっ、と糸が切れた操り人形のように、明珠の身体から力が抜ける。
「明珠っ!?」
あわてて抱きとめたが、明珠は目を見開いたまま気を失ったかのように、龍翔に身体を預けたきり、立とうとすらしない。
わけがわからぬまま、龍翔は明珠を横抱きにすると長椅子に歩を進めた。抱いたまま腰を下ろしても、いつもは居心地悪そうに「下ろしてください!」と訴える明珠が、何の反応も示さない。
「明珠?」
いったいどうしてしまったのだろう。明珠がこうなってしまった理由がわからず、龍翔は戸惑いながら愛しい少女の面輪を覗き込んで、そっと名を呼ばう。
夢から覚めたように、明珠の瞳が揺れた。
龍翔を見上げた瞳には、今にもこぼれ落ちそうな大粒の涙が浮かんでいた。
「わ、私……っ。クビになるんですか……っ!?」
「そんなわけがなかろう!」
反射的に声を荒げると、明珠の身体がびくりと震えた。
龍翔が失言を取りなすより早く――明珠が、飛び込むように身体ごと龍翔の胸元へ
「私――っ、嫌です! 辞めたくありませんっ!」
いつもはふれようとさえせぬ絹の衣をぎゅっと握りしめて告げられた言葉に、耳を疑う。
戸惑う龍翔をよそに、明珠が大きな瞳からぽろぽろ涙をこぼしながら訴える。
「わ、私なんかがそんな願いを言える立場じゃないってわかってます! いつもご迷惑をおかけしてばかりで、今日だって、私のせいで玲泉様に謝らなければならない羽目に……っ! 龍翔様が私なんてクビにしたいとお思いになるのも当然です! でも、私は……っ」
「待て。待ってくれ、明珠。頼むから落ち着いてくれ」
出した声がうわずっている。自分に言い聞かせるように早口で明珠をなだめ、冷静になるべく深呼吸する。
明珠は口こそつぐんだものの、言葉の代わりとばかりに、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし続けている。
どうすれば愛しい少女の涙を止めることができるのか、龍翔にはわからない。
変な期待はするなと己を律しながら、できる限り穏やかな声で明珠に話しかける。
「わたしがお前をクビにするなど、決してありえん。そもそも、わたしはお前に迷惑をかけられたと思ったことなど、一度もない。むしろ、お前に苦労ばかりかけているのはわたしのほうだろう? ……お前が、もうわたしに仕えるのは嫌だと、見限りたくなるほどに」
情けなく沈んだ声で告げると、明珠がぶんぶんとかぶりを振った。涙の雫が散り、お互いの衣にしみを作る。だが、今の明珠はそれにすら気づいてないらしい。
「そんなことありませんっ! 龍翔様にお仕えして、嫌だと思うことなんて何ひとつ……っ!」
必死に言い募る明珠をなだめるように、優しく背を撫でる。
緊張のあまり、喉がからからに干上がっている。ひとつ
「その……。玲泉の求婚を、受けぬのか?」
「受けるわけがありませんっ!」
龍翔でさえ
「きっと何かの間違いに決まってます! 私が名家に嫁ぐだなんて……っ! そんなこと、絶対にありえませんっ!」
「では、間違いではなかったら?」
間違いだと明珠が言い切るのをいいことに、このままうやむやにすればいいと理性が計算高く囁くのに、感情がそれを許さない。心など手に取って確かめられないとわかっているのに、明珠の真意を知りたくてたまらない。
「間違いなどではなく、本気で玲泉がお前を嫁にと望んでいたら、どうするのだ?」
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