61 こうすれば、わたしも一緒に読めるだろう? その2


「では、膝枕はどうでしょうか? それでしたら、手をつなぐよりもふれる面が多いですし、龍翔様にも少しは休んでいただけますし……」


「膝、枕……?」


 明珠の提案が予想外過ぎて、思わずおうむ返しに呟く。


「だって、せっかく珍しく龍翔様がゆっくりできる日なのですから、少しでも休んでいただけたらと……。あの、もちろん不敬なのは重々承知しております! けど、私に思いつくのはそれくらいで――ひゃああっ!?」


 困り顔で、けれども懸命に話す言葉を遮るように、明珠を横抱きにして立ち上がる。急に揺れて驚いたのだろう。明珠がすっとんきょうな声を上げて、龍翔にしがみついてくる。


「り、龍翔様……っ!?」

 狼狽うろたえる明珠を抱き上げたまま、歩を進めた先は。


「あ、あの……っ?」


 そっと寝台に下ろされた明珠が、おろおろと龍翔を見上げる。


「長椅子でもよかったが……。お前の足が痛くなっては困るだろう?」


 説明しながら寝台に上がり、明珠が立ち上がろうとするより早く、ごろりと横になり、足を崩して座る明珠のふとももの上に、頭を預ける。


「ひゃあっ!? あ、あの……っ」

「ん? 膝枕をしてくれるのではなかったか?」


 仰向けに寝転んだまま、明珠を見上げて問うと、明珠がやけに気負った表情で「は、はいっ!」と頷いた。左手は服の上からぎゅっと龍玉を握りしめている。


「重くはないか?」


 柔らかな掛布の上なので、固い長椅子の上よりは負担は少ないと思うが……。人の頭部は重い。あまり長い間、載せていては、足がしびれてしまうだろう。


 膝枕など、してもらったのはいつ以来だろうか。まだ母が生きていた幼い子どもの頃は、母にくっついて甘えられるのが嬉しくて、抱き着いたまま、膝の上で寝こけてしまっていた気がするが。


 もしかしたら、母を亡くしてから、初めてかもしれない。まさか、明珠に膝枕をしてもらうことになるとは、予想もしていなかった。


 頭の下に、着物越しに明珠の柔らかなふとももの感触を感じて、どうにも落ち着かない。だが、同時に得も言われぬ心地よさと、気持ちが弾むようなくすぐったさを感じる。


 青年姿の時に明珠を見上げるのは初めてだ。いつもと違う角度から見る面輪が興味深くてまじまじと見ていると、視線が合った明珠が不安そうに小首をかしげた。愛らしい面輪は、緊張のせいか、うっすらと薄紅色に色づいている。


「あ、あの、どうかなさいましたか? やっぱり、お気に召しませんでした……?」


「とんでもない。膝枕をしてもらうなど母が生きていた頃以来だが、よいものだな。疲れがほぐされるようだ」


「お母様の……」

 明珠の唇が柔らかな弧を描く。


「私も小さい頃は、母さんに膝枕をしてもらって、甘えていました。母さんが亡くなってからは、私が代わりに順雪に膝枕をしてあげたり……」


 実家でのことを思いだしたのだろうか。思わず見惚れるような慈しみに満ちた笑みをこぼした明珠が、そっと右手を持ち上げる。


「母さんは、よくこうして「いい子いい子」って頭を撫でてくれて……」


 明珠の指先が優しく龍翔の髪をく。いたわりに満ちた、優しい指先。


「これは、心地よいな。癒される」

「そうですか? よかったです」


 明珠が嬉しそうにはにかむ。心をほぐしていくような指先をもっと味わいたくて、龍翔はゆっくりと目を閉じ、明珠の手に頭をゆだねた。


   ◇  ◇  ◇


 龍翔が目を閉じてくれて、明珠は内心、ほっとした。


 自分から膝枕をすると言い出したものの……。いざ、実際にしてみると、思った以上に緊張して、言うんじゃなかったと後悔していたのだ。


 心臓が轟く音が龍翔に聞こえてしまうんじゃないかと心配になるほど、どきどきしている。龍翔の秀麗な面輪が近くにあるせいだろう。


 こんな風に青年姿の龍翔を見下ろすような体勢になったことは一度もない。


 龍翔が目を閉じているのをいいことに、頭を撫でながらそうっと顔を覗き込む。


 あまりまじまじと見たことがなかったが、改めて見ると、毎日見ている明珠さえ、思わず見惚れてしまうほどの美貌だ。かといって、弱々しさは一片もなく、すっと通った鼻梁も秀でた額も、凛々しさに満ちている。


 だが、龍翔の美貌の中で一番印象的なのは、強い意志をたたえて星のようにきらめく黒曜石の瞳だと明珠は思う。


 心の奥底まで貫くような真っ直ぐなまなざしは、そばにいる者にまで、龍翔が求める未来を一緒に見てみたいと思わせる力がある。


 きっと、季白や張宇や安理も、龍翔が追い求める大願を叶える一助になりたいと願って、仕えているに違いない。


 自分も、もっと龍翔の役に立てたらいいのに、と情けなくなり、明珠はうつむいて唇を噛みしめる。


 確かに、禁呪の解呪は明珠にしかできないが、それはたまたま明珠に解呪の特性があっただけで、明珠の努力の結果というわけではない。

 今だって、膝枕なんて、それこそ誰にでもできることだ。


 頭を撫でる手を止めぬまま、明珠はもう一度、尊敬する主の面輪に視線を向けた。


 今はまぶたを閉じているせいか、いつもよりもさらに柔らかい雰囲気がする。


 いつも公務で忙しいので、せめて船旅の間くらいはゆっくりしてほしいと思っていたのに、明珠の正体が玲泉にばれてしまったせいで、休むどころではなくなってしまった。


 どれほど心労をかけているのかと思うと、申し訳なくて涙が出そうだ。せめて、今だけでも、ゆっくり休んでほしい。


 絹の衣に包まれた胸板は、呼吸に合わせてゆっくりと上下している。明珠に気を遣ってだろう。最初、あまり体重をかけないようにと浮かせ気味にふとももの間に乗せられていた頭は、首の力が抜けて、ずっしりとした重みを伝えてくる。


 柔らかな布団の上とはいえ、少し足がしびれてきた。が、せっかく龍翔が安らいでくれているのだ。起こすなど論外だ。というか。


(龍翔様、寝入ってらっしゃる……?)


 先ほどより、呼吸が深くなっている気がする。ためしに、ずっと頭を撫でていた手を止めたが、龍翔はぴくりとも反応しない。


 夕べ、夜更けに叩き起こしてしまったせいで、きっと睡眠が足りていなかったのだろう。


 迷惑をかけてばかりの自分がほとほと情けなくて、明珠は守り袋を握る手にぎゅっと力を込めた。と。


 不意に、龍翔がもぞりと動く。かと思うと。


「ふわっ!?」


 突然、ごろりと寝返りをうった龍翔が、明珠の腰に両腕を巻きつけてくる。


 ぐいっ、と引き寄せられた拍子に、身体がかしぐ。あっ、と思ったが、左手で守り袋を握りしめたままでは、手をついてふんばることも叶わない。


 ぼすんっ、と掛け布団の上に横倒しになる。倒れた明珠にかまわず、ぎゅうっと龍翔の腕に力がこもり、おなかの辺りに顔が押しつけられる。


「あ、あの……っ」


 恥ずかしさのあまり呼びかけようとして、自制する。せっかく寝入っている龍翔を起こすのは忍びない。


 龍翔には眠ってもらったまま、腕をほどいて抜け出そうと試みるが、腰に回された腕はにかわでくっつけたように緩まない。むしろ、外そうとすればするほど、逃さないとばかりに力がこもって、苦しさを覚えるほどだ。


 そういえば、母を亡くしたばかりの順雪も、こんな感じだったと思い出す。夜、眠る時は必ず明珠に抱きついて、顔をうずめるようにして眠っていた。


 すでに青年である龍翔が、順雪のように母親を恋しがっているとはまったく思わないが、今朝は、龍翔が幼い頃に失くした母の話が出ていた。もしかしたら、心の奥底に封じていた哀しみが、眠ったことで無意識に出てきたのかもしれない。


 そう思うと、胸がきゅぅっと絞られるような痛みに襲われて、明珠は思わず守り袋を握っていないほうの手を龍翔の背に回した。


 少しでも龍翔の寂しさがまぎれますようにと祈りながら、よしよしと頭や背中を撫でる。明珠に撫でられても、龍翔はすよすよと心地よさそうに眠ったままだ。


 なんだか、大きくなった順雪に甘えられているようで、自然と口元が緩む。


 恐れ多くて、間違っても龍翔本人にも季白にも言えないが、なんだか可愛らしいとさえ感じてしまう。


 抱きつかれているのは恥ずかしいが、眠っているうえに、顔も見えないので、今の状態なら耐えられる気がする。何より、明珠のせいで睡眠不足なのだから、起こすなど論外だ。


 どうか、龍翔が健やかに眠れますようにと祈りながら、明珠は龍翔を撫で続けた。


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