57 甘いひとときを邪魔する気はなかったのですよ? その4


 咳きこんで紅かった明珠の頬が、一瞬でさらに紅く染まった。

 龍翔が止めるより早く。


「そ、その……。龍翔様は、夕べも大変お優しくていらっしゃいました……」


 恥ずかしげに長いまつげを伏せた明珠が、消え入るような声が告げる。


 色づいた花のように頬を染め、羞恥に身を縮めるように言うさまは、見る者の目を奪わずにはいられない愛らしさだ。


 玲泉が「おやおや、これはこれは……」と興味深げにつぶやき、初華が両頬に手を当てて、「きゃ」と身をくねらせる。


 が……。二人とも、明珠の言葉の真意を取り違えているのは確実だ。


 ――龍翔は夕べ、「優しく」明珠を寝かしつけただけなのだから。


「先ほど、明珠が迷惑をかけたと言っていたので、何があったかと思いましたが……。無事に、済まされたようで」


 玲泉が多分にからかいを含んだ視線を龍翔に向けてくる。

 が、わざわざ誤解を解いてやる必要はない。


「というか、どうして玲泉様は私が夜中にうなされて龍翔様を起こしてしまったことや、怖い夢を見てしまった私を龍翔様が慰めてくださったことをご存じなんですか?」


 紅い顔のまま、明珠が心底不思議そうに玲泉に尋ねる。


「明順――」


 龍翔が明珠を制止する前に、玲泉が疑問を口にする。


「ん? 明順。夕べ、龍翔殿下にかけた『迷惑』というのは、夜中にうなされたことだけかい?」


 玲泉の問いかけに、明珠が視線を揺らす


「ゆ、夕べはそれだけです……。いえっ、龍翔様にはいつもご迷惑ばかりおかけして、本当に申し訳ないと思っているんですけれど……っ!」


 急に龍翔に向き直った明珠が、「いつもご迷惑ばかりおかけしてすみませんっ!」とがばりと頭を下げる。


「謝ることはない。わたしは、お前に迷惑をかけられたなどと思ったことはないぞ?」


 よしよしと、うつむく明珠の頭を撫でながら、龍翔は玲泉の視線が突き刺さらんばかりにそそがれているのを感じる。


「あの、龍翔殿下。まさかとは思いますが、もしや……?」


 龍翔と明珠を交互に見やり、玲泉が信じられぬと言いたげにおずおずと問う。

 珍しく困惑に彩られた玲泉の面輪を、龍翔は冷ややかに一瞥いちべつした。


「嘲笑したいのならするがよい。わたしはおぬしのように節操なしではないのでな? 大切に慈しみたい花を、我がものと誇示するためだけに、無理やり摘もうとは思わぬ」


 決然と告げた龍翔に、玲泉が目をみはり、初華が「まあ」と小さく感嘆の声を上げる。

 季白は苦虫を嚙み潰したような表情で沈黙し、張宇はあからさまにほっとした様子で吐息している。安理は、楽しくて仕方がないとばかりに口元を緩めていた。


 告げられた内容が理解の範疇はんちゅうを超えていたのだろうか。

 玲泉はしばらく彫像のように固まっていたが、ややあって、感嘆とも安堵ともつかぬ息を、ほう、と深く吐き出した。


 端正な面輪に、得も言われぬ楽しげな笑みが揺蕩たゆたう。


「さすが、龍翔殿下でございます。わたしなどでは予想もつかぬお返事。感服いたしました」


 どこまで本気なのか、揶揄やゆしているだけなのか、判然とせぬ台詞を吐いた玲泉が、


「いやはや、実は夕べから心配していたのですが、今のお返事で安心いたしました」

 と、口元を緩める。


「龍翔殿下が最初に花をでられるのは仕方なきこと、と納得していたのですが、愛でるのはともかく、実が宿っては、と心配していたのですよ。……大切な花を、壊されるわけにはいきませぬので」


「壊す?」


 不穏な物言いに、思わずきつく眉が寄る。

 龍翔が明珠を乱暴に扱うとでも思っているのだろうか。


「見くびるな。餓狼がろうでもあるまいし、大切な花をそのように扱うわけがなかろう?」


 龍翔の反応に、玲泉がいぶかしげに片眉を上げる。


「龍翔殿下に浮いた噂がないのは、御身に流れる《龍》の血ゆえかと思っておりましたが……。ひょっとして、殿下はご存じでないのですか?」


「何が言いたい?」

 目をすがめて睨むと、


「まさか、本当にご存じでいらっしゃらないとは……」


 呆れたと言わんばかりに、玲泉がゆるくかぶりを振る。

 初華が何かに気づいたように息を飲む。初華が口を開くより早く。


 玲泉が冷ややかに龍翔を見据えて、告げる。


「《龍》の血を引く者の種をその身に宿した女人は――。ほとんどが《龍》の気に身体が耐えきれずに、早死にするのですよ」

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