57 甘いひとときを邪魔する気はなかったのですよ? その3


「何っ!?」


 玲泉の言葉が、火薬のように卓の真ん中で炸裂する。熱気にあぶられたように顔をしかめたのは季白だ。


震雷国しんらいこくですが……。それは厄介ですね……」


 震雷国とは、晟藍国のさらに南に位置する大国だ。龍華国とは、晟藍国を挟んで睨み合う関係でもある。

 晟藍国は海沿いの小国のため、内陸部では龍華国と震雷国で国境を接している部分もかなり広い。


 歴史書によると、かつては、大陸東部の覇を競い、干戈かんかを交えたことも何度もあるそうだ。が、ここ数十年は内陸部の国境沿いで小規模な小競り合いが起こっている程度で、表向きは平穏を保っている。


 ……あくまでも、表向きはだが。


 今代の震雷国の皇帝は、対外政策に積極的だという噂を聞いている。その震雷国が、晟藍国に手を伸ばしているとなると。


「これは……。対応を誤れば、大事になるやもしれぬな……」


 龍翔は低い声で呟く。顔を引き締めた季白が頷いた。


「場合によっては、晟藍国を舞台に、龍華国と震雷国が相争う事態になりかねませんね」


 昔から、晟藍国は龍華国と震雷国の緩衝国としての役割を果たしてきた。

 代々の国王によって、時に龍華国寄り、時に震雷国寄りと、様相を変えつつも、交易で得られる豊かな富を基盤に、小国なりの巧みさで、巧く両国の間を渡り歩いてきたのだが……。


「今回の『花降り婚』は、震雷国からすれば、龍華国が晟藍国を支配しようと手を伸ばしてきたと、捉える可能性が高いでしょうね……」


 季白が険しい顔で告げる。頷いたのは玲泉だ。


「『花降り婚』では、龍華国の血を引く王子が、次代の国王になる未来は起こりえぬとはいえ、龍華国皇女が正妃となる事態は、震雷国にとっては、面白いものではないだろうね。何しろ、藍圭陛下はまだ幼い。その分、正妃となられる初華姫様の影響は大きくならざるを得ないだろう。幼くして即位された分、藍圭陛下の治世が長くなるであろうことを考え合わせると……。震雷国が『花降り婚』の中止を画策したとしても、おかしくはないかと」


「玲泉。つまり、昨日のことは震雷国が裏で糸を引いていると? おぬしはそう考えておるのか?」


 あえてぼかした龍翔の問いに、玲泉は形良い眉を寄せてかぶりを振る。


「いえ、その可能性も否定できぬと申し上げたいだけでございます。震雷国の手の者が、龍華国の皇女を手にかけたとなれば、戦は免れますまい。さすがに、震雷国がそこまで愚かな策を取るとは思えませんが。あらゆる可能性を考慮しておいたほうがよいのはたしかでございましょう。雑魚を吊り上げたと思ったら、その尾にさめが食らいついていた……という可能性も、ないわけではございませんから」


「……なるほど」


 玲泉の言葉に、龍翔はゆっくりと首肯する。

 やはり、玲泉は官吏としてはすこぶる有能だ。


 鮫――震雷国が、瀁淀をそそのかして賊に襲撃させた可能性は、玲泉が指摘する通り、まったくないとは言えない。


 背後に震雷国がついているというのなら、瀁淀への対応も慎重を期さねばなるまい。龍翔としても、震雷国と事を構える気はまったくない。


「瀁淀の背後に震雷国がついているとして……。「いつ」からついているのかも、調べる必要があるな……」


 龍翔の言葉に、季白達が緊張をにじませる。


 藍圭が『花降り婚』を申し込んだことを知り、震雷国が瀁淀に近づいたのならば、まだよい。

 だが、もし前国王が亡くなる前だとすると……。


 龍翔が想像したことを他の者も思い描いたのか、食卓に重苦しい沈黙が落ちる。


 明珠一人だけは状況がぴんと来ないようだが、周囲の雰囲気を感じ取って、緊張した面持ちで身を縮めている。


 政治など、これまで縁のなかった明珠にしてみれば、不安ばかりが増大していることだろう。

 愛らしい面輪を不安と緊張に曇らせているさまを見ると、今すぐ慰めたい気持ちに駆られる。


 初華の差し添え人に選ばれたと知った当初は、こんな状況になるとは、予想だにしていなかった。


 単に、龍翔を宮中から遠ざけておくために第一皇子派、第二皇子派が手を組んだのだと思っていたが……。晟藍国に近づくにつれ、どんどん不穏さが増してくる。


 だが、大切な妹を、正常の不安定な晟藍国に一人で嫁がせることを思えば、差し添え人に選ばれたことは喜ぶべきことだろう。


 玲泉が気が重たいと言いたげに吐息した。


「しかし……。もうすぐ晟藍国に着くというのに、この状況では、初華姫様を藍圭陛下の元へ送り届けておしまい、というわけにはいかぬようですね」


「何を言う? 元より、龍華国の代表として、初華と藍圭陛下の婚礼に出席するのが差し添え人の務めではないか。言っておくが、わたしは初華が晟藍国で幸せに暮らせると確信するまで、龍華国へ戻る気はないぞ? そこまで滞在できぬというのなら、玲泉、おぬしは差し添え人の務めを果たした後、先に戻るがよい」


 玲泉が差し添え人でさえなければ、今すぐ華揺かよう河に叩き落して帰らせているものを、と思いながら告げると、玲泉が「とんでもございません!」と勢いよくかぶりを振った。


「晟藍国での長期滞在はわたしも望むところでございます。明順と一緒にいられる機会を喜ばぬことがありましょうか」


「明順をおぬしなどと一緒にいさせるわけがなかろう!?」


 思わずとげとげしい声を出すと、玲泉が「それは残念極まりないことでございます」と吐息する。


「ですが、こうして一緒に卓を囲んで話をするだけでもよいのです。明順の愛らしい姿を目にするだけで、心楽しくなりますので。焦る必要はございません。最終的に、わたしを選んでくれればよいのですから。まずは、お互いの人となりを知ってゆけば、おのずと情も湧いてまいりましょう。……ねぇ、明順」


「ふぇっ!? ごほっ、ごほっ!」


 ちょうど茶を飲んでいた明珠が、不意に玲泉に話を振られて、目を白黒させる。


「大丈夫か?」


 龍翔は急き込む明珠の背をあわてて撫ででやった。と。

 好奇心に目を輝かせて、玲泉が明珠に問う。


「……で。夕べの龍翔様はどのような感じだったのかな?」

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