47 私、大変なことをしでかしてしまって……。 その2
来るだろう衝撃に身を固くしたが……。痛みは来ない。
張宇を下敷きにしたのだと気づいて、明珠は混乱の極みに陥った。
「ひゃあぁぁっ、すみませんすみませんっ!」
わたわたとあわてふためいて張宇の上から退こうとするが、なぜか身体が動かない。
「明順っ、ちょっと落ち着いて。大丈夫だから」
耳元で張宇の声が聞こえる。予想以上の近さに思わず身体がかちんと強張った。
「放すけど、暴れないかい?」
問われてようやく、張宇に抱きとめられていたせいで動けなかったのだと知る。
腰には腕が巻きついているし、背中には固い胸板が当たっている。
……ということは。
先ほどはからずも見てしまった張宇の姿が脳裏に浮かび、こくこくこくこくっと頷く。恥ずかしくて頭が
「じゃあ……」
張宇の腕が緩んだ途端。
さかさかさかっ! 四つん這いで距離をとろうとした明珠は、ごんっ、と固い何かに額を強打した。
「いたっ!」
「明順っ!?」
座り込み、両手でじんじんと痛む額を押さえると、すっとんきょうな声を上げた張宇が駆け寄ってきた。
「ちょっ!? いったい……!?」
「ううう、すみません……。目をつむっていたら、方向を誤ったみたいで……」
「目を!? なんでまた……?」
不思議そうに呟いた張宇が、得心したように「ああ」と頷く。
「ごめん。俺は別に見られたって何ともないけど、明順はそうじゃないよな。……もう少しだけ、我慢してくれるか?」
いつも通りの穏やかな声にこくんと頷くと、
「ちょっとごめんな」
謝罪の言葉と同時に、ふわりと抱きあげられた。
「ひゃっ」
思わず声を上げた明珠に、
「衝立の向こうに連れてくだけだから」
と優しい声で告げた張宇がすたすたと歩きだす。と、すぐにふわりと何か柔らかいものの上に下ろされた。
「あっちへ戻ったら声をかけるから、少しだけ待っていてくれよ」
張宇の足音が遠のき、衝立の向こうから「もういいぞ」と声をかけられる。
おそるおそる目を開け、明珠は自分の寝台に座らされたのだと気がついた。
「悪い。手早く着替えるから、もう少しだけ待っていてくれ」
衝立の向こうから、張宇があわただしく着替える衣擦れの音が聞こえてくる。
「いいえっ、大丈夫です! お気になさらないでください……」
ほどいたまま、
「待たせたな。着替え終わったから、もう大丈夫だぞ」
「は、はい……」
衝立の向こうを覗くと、紺色の着物を着、腰に『蟲封じの剣』を
引いてくれた椅子に座ると、隣に張宇が腰かけた。
「それで、その……。玲泉様にばれたっていうのは……?」
おそるおそる問われ、明珠は膝の上に置いた手を握りしめた。
「賊に襲われた時に、玲泉様が駆けつけて庇ってくださって……」
「あー……」
なぜか張宇の顔がうっすらと赤くなる。
「明順って、一応、いつもさら……いや、何でもない」
張宇が赤い顔のまま、明後日の方向を向いてかぶりを振る。
「だが……。そういう理由なら、仕方がないんじゃないか? 龍翔様もお怒りに……。あ、いや、少なくとも明順を怒りはなさらないだろう? 玲泉殿なら、さすがに叩っ斬られないと思いたいし……」
張宇にものすごく不穏なことを呟かれ、泣きたくなる。
「龍翔様は、悪いのは賊だっておっしゃって慰めてくださったんですっ。でも、玲泉様が変な冗談をおっしゃったせいで、ものすごくお怒りになられて……っ」
「変な冗談?」
張宇が首をかしげる。
「わ、私などと仲良くなりたい、と……」
告げると、張宇が息を飲んで固まった。
「それは……っ! 龍翔様もお怒りになられただろうな……。というか、玲泉殿はやはり明順にふれても大丈夫だったのか?」
そら恐ろしそうに呟いた張宇の問いに、明珠はこくりと頷いた。
「はい。手を握って確認されたのですが、なんともなく……。玲泉様ご自身も、とても驚いてらっしゃいました……」
その後、玲泉に手にくちづけされたことまで思い出してしまい、頬が熱くなる。
龍翔といい、玲泉といい、ただでさえ高貴な方々で緊張するというのに、二人とも冗談好きだなんて、本当に心臓に悪すぎる。
というか、今なにより恐ろしいのは。
「……季白さんがこのことを言ったら、怒髪天を
考えるだけで身体が震えだす。張宇も顔を強張らせた。
「あー……。それはまあ、うん……」
どれほど叱責されるだろうか。
減給だろうか、膝詰めで一日中説教だろうか。
お願いだから、借金倍増だけは勘弁してほしい!
怒り狂う季白を想像して
「だ、大丈夫だ! あまりに無体な仕打ちは、龍翔様が許されるはずがない! 俺だって……。季白相手にどこまでやれるかわからないが、頑張ってなだめてみるから!」
「張宇さん……っ」
張宇の優しさに、涙がにじみそうになる。
「ありがとうございます……っ。気をしっかり持って、季白さんのお説教にも耐えてみせます!」
ぐっ、と拳を握りしめて気合いを入れると、張宇が穏やかに微笑んだ。
「無理はしなくていいんだぞ。そんなに不安なら、俺もその場にいるよ」
張宇の言葉は頼もしいことこの上ないが、甘えてばかりいるわけにはいかない。
「ありがとうございます! でも、これからも張宇さんにはご迷惑をかけてしまうでしょうから……。季白さんのお説教は一人でが、頑張りますっ!」
だめだ。言葉と裏腹に、季白の剣幕を想像すると、つい声が震えてしまう。
と、張宇にぽふぽふと優しく頭を撫でられた。
「そんな怖がらなくてもいい。……いやまあ、季白が怖いのはよくわかるが……。龍翔様も俺もついているんだから。だから、頼むから一人で抱え込まないでくれよ?」
張宇の声は、不安を
「ありがとうございます……」
賊に襲われてから、初めて落ちつける時間を持てた気がする。
龍翔も慰めてくれたが、今日の龍翔はいつもとどこか違っていた。明珠が心労をかけすぎてしまったせいだろう。
険しさをたたえていた龍翔の秀麗な面輪を思い出すだけで、きゅう、と胸が痛くなる。
敬愛する、大切な主人。
これ以上、龍翔に迷惑をかけるような真似は絶対にしたくない。
「張宇さん! ご面倒をかけて申し訳ない限りですけれど……。龍翔様の従者として恥ずかしくないよう、今後とも季白さんと一緒にご指導ください! 私、一生懸命頑張りますっ!」
よしよしと頭を撫でてくれる張宇を見上げて告げると、柔らかく苦笑された。
「うん。明順が望むならもちろんかまわないよ。頑張り屋なのは明順のいいところだけど……。せめて今くらいは、気を緩めてゆっくりするといい。頑張るためには、休むことも大事だぞ?」
春の陽だまりのように優しい張宇の指先と声。
もし、兄がいたならこんな感じなのかなと、ふと思う。
幼い時から順雪の姉として、母が亡くなってからは母親代わりとして気を張って毎日を過ごしてきたせいか、明珠はどうにも甘えるのは苦手だ。何か、悪いことをしているような気持ちになってしまう。
けれど、張宇の言葉はいつも水がしみ込むように明珠の心を潤してくれる。
「はい……」
明珠は素直に頷くと、甘えるように優しく髪を撫でてくれる張宇に身を寄せた。
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