48 恋の幻想など、儚く消えましょう? その1


 総督や船長に、まもなく夜になるが出航する旨を伝えた龍翔は、船の周りに何十匹もの《光蟲》を召喚した。


 雨は一時よりは弱まっているものの、まだしとしとと降り続いている。

 宵闇が迫る中、雨に濡れて何十匹もの光蟲が飛びまわる様は、光がにじんで幻想的だ。遠くから見ても、さぞ目立つに違いない。


 賊を捕えていないが、晟藍国への出航を決めたのには理由がある。


 もし、『花降り婚』の妨害のために初華を害そうとしたのなら、淡閲で無為に時間を費やすのは得策ではない。


 晟藍国の内情がわからぬ以上、一日も早い到着を目指した方がいいだろう。光蟲は、夜間に航行するのに支障がないようにと召喚したものだ。


 本来なら、船付きの術師が召喚するのだが、今夜の分はすべて龍翔が召喚した。術師の技量にもよるが、術師は己が召喚した蟲が強制的に還された場合、それを察知することができる。

 まさか、今夜のうちに再度の襲撃があるとは思えないが、念のためだ。


「いや~っ、オレが街に羽を伸ばしに行ってた間に、大変なコトになってるみたいっスね~」


 総督が船を降り、船長が出航の準備のために向かったのと入れ違いで、淡閲の街に遣わしていた安理が戻ってきた。


 街で情報収集をしている間に、船が襲われ、周康が怪我をした情報も耳にしたのだろう。

 口調は軽いものの、さすがにいつもの剽軽ひょうきんさは影をひそめている。


「すまんが、周康が抜けた分、今まで以上に働いてもらうぞ」


 張宇がいるとはいえ、早く明珠のところへ戻ろうときびすを返すと、龍翔が光蟲を召喚する間、待っていた初華と玲泉、季白も後に続いた。


 三人をつきあわせる必要はなかったのだが、明珠が娘であると知られてしまった以上、玲泉から目を放すわけにはいかぬし、初華を一人にするわけにもいかないので、仕方がない。


「初華、お前は一度、自身の船室へ戻るか? 賊の襲撃に、侍女達も落ち着かぬことだろう。今後は警備を今まで以上に厳重にするゆえ、無闇に不安がる必要はないと、お前の口から伝えてやってくれ。お前の護衛には、季白と張宇と安理を交代でつける。ひとまずは季白、お前が警護についてくれるか?」


 安理にはこれから淡閲の街でどんな情報を得たのか、報告を受けねばならない。内容によっては、初華が不安をおぼえる可能性もある。


 妹への気遣いから船室に戻るよう促したのだが、案に相違して、初華はきっぱりと首を横に振った。


「侍女達のことは、萄芭とうはに任せておけば大丈夫ですわ。それより、わたくしも安理の話を一緒に聞きとうございます。安理は淡閲の街に行っていたのでしょう?」


「だが……」

 眉を寄せた兄を見上げ、初華は固い決意を乗せた声で告げる。


「お兄様。『花降り婚』で嫁ぐのはわたくしですのよ? お兄様のお心遣いは嬉しゅうございますけれど、わたくしはもう、小さい子どもではありません。嫁ぎ先の晟藍国の世情を知る機会があるのでしたら、どうしてそれを逃したりするでしょう?」


 初華の表情も声も、晟藍国の正妃として国を支えてみせるのだという、真摯な覚悟に満ちている。

 庇護するつもりの妹に逆に諭され、龍翔は素直に詫びた。


「そうか……。すまぬ。お前を軽く見ているつもりはないのだが、つい、まだ幼い妹のように扱ってしまうな」


 兄の言葉に、初華はふふふ、と嬉しげに大きな目を細める。


「謝らないでくださいませ。いつまでもお兄様に可愛い妹だと思っていただけるのは、嬉しゅうございますわ」


「初華姫様が龍翔殿下の船室に行かれるのでしたら、ぜひわたしもご一緒させていただきたいですね。差し添え人として、わたしも晟藍国の状況は気になりますから」


 飄々ひょうひょうと口をはさんだのは玲泉だ。思わず睨みつけたが、玲泉の悠然とした表情は変わらない。龍翔に続いて、初華も目を怒らせた。


「玲泉様は、指し添え人であることにかこつけて、明順に会いたいだけでございましょう?」


「玲泉。おぬしこそ、従者のしつけをしたらどうだ? 唯連いれんと言ったか。周康が怪我を負ったのは、唯連が季白の邪魔をしたせいやも知れぬのだぞ!?」


 唯連のせいで、玲泉に明珠が娘だとばれたのかと思うと、女みたいなあの顔を殴りつけてやりたい凶暴な気持ちに襲われる。


 龍翔の怒気に満ちた声に、玲泉はゆったりと微笑んでみせた。


「わたしにしてみれば、いくら褒めても褒め足りませんがね。おかげで、生涯の伴侶を見つけられたのですから」


 見る者がとろけるような甘い笑みで、玲泉が歌うように告げる。いつもなら茶々を入れそうな安理までもが、無言だ。


 龍翔自身は、玲泉と個人的なつきあいは今回の旅までなかったものの、高官のため、やりとりしたことは何度もある。


 が、これほどまでに幸せそうに笑う玲泉は、見た記憶がない。


 龍翔が知る玲泉は、宮中一の遊び人とうたわれながらも、どこか斜に構えたような、笑顔の裏に隠し切れぬ退屈さを覗かせている男だった。


 その玲泉が、明珠を想ってこんな顔をしているのだと思うと、どうしようもなく心がざわつく。


「生涯の伴侶?」


 玲泉の言葉に、季白がいぶかしげに眉を寄せる。玲泉がにこやかに季白を振り返った。


「ああ、季白殿。ものは相談なのだが、明順をわたしに譲ってくれるよう、龍翔殿下を説得してくれないかい? 見返りは……そうだな、明順が手に入るのなら、蛟家は龍翔殿下派になってもよいかな。必要なんだろう? 強力な後ろ盾」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る