41 お嬢様さえお望みになられたら、いくらでも。 その2


「え……?」


 告げられた言葉の意味がつかめず、明珠はほうけた声を出す。

 周康が整った面輪に、菓子よりも甘い笑みを浮かべる。


「以前、お伝えしたことを覚えてらっしゃいますか? 遼淵様は、ようやく再会することができた明珠お嬢様のことを、非常に気にかけていらっしゃいます。叶うならば、正式にお嬢様を蚕家さんけに引き取り、娘としてぐうしたいと。名門・蚕家の娘となれば、菓子など思うがまま。美しい衣も、豪奢ごうしゃな住まいも、いくらでも手に入りますよ?」


「え……、ええぇぇぇぇっ!?」


 周康の言葉の意味を理解した瞬間、明珠はちぎれんばかりに首を横に振る。


「そんなっ! とんでもありませんっ! 私が蚕家に引き取られるなんて……っ!」


 思い出すのは、初めて見た時、「まるで王城のようだ」と感じた蚕家本邸の立派な建物だ。


 実際に、きらびやかな王城を見た後では、王城のほうがもっと広大で豪奢だと知っているが、蚕家本邸は、明珠が今まで見た屋敷の中でも、確実に五指に入る立派さだ。


 そんな名家に、不義の子である自分が引き取られるなんて。


「無理っ! 無理です! そんなとんでもないこと、ありえませんっ!」


 ぶんぶんぶんぶんっ! 明珠は恐怖に突き動かされるようにかぶりを振る。


「ご当主様のご厚意は、天にも昇るほどありがたいことですが、私は内々に娘と見とめてくださっただけで十分で……っ。世間にまで娘と言っていただく必要はございません!」


 ぷるぷる震えながら固辞する明珠に、周康がにこやかに告げる。


「ですが、当の遼淵様自身が、お嬢様を引き取りたいとおっしゃっているのですよ?」


「ご、ご当主様の寛大さには感じ入るばかりですが……。けれども、蚕家にはもう、清陣せいじん様という立派な跡取りがいらっしゃるではありませんか!」


 そもそも、母が明珠を身ごもった時、蚕家を出奔しゅっぽんしたのは、生まれてくる不義の子が、蚕家の家督争いの種にならぬためだ。


 結果的に生まれてきたのは男の子ではなく娘で、しかも一人前の術師になれる腕前もない半端者なのだから、今さら蚕家に入っても、清陣の家督相続に波風は立たぬだろうが……。


 それでも、亡き母の意志を無為にはしたくない。


 明珠の言葉に、ふ、と周康の目から熱が消える。

 変わって浮かんだのは、極寒の地を吹きすさぶ寒風のような冷ややかな侮蔑ぶべつだ。


「清陣様――いえ、清陣はもう、駄目です」


 周康がきっぱりと主家の嫡男ちゃくなんを呼び捨てにする。

 先ほどまでのにこやかさとの落差に、明珠は思わず身を震わせた。


「清陣が蚕家の家督を継ぐ事態はありえません。考えてみてください。宮廷術師として、皇族の方々をお守りせねばならぬ立場にある蚕家の嫡男が、封じられた『蟲殺しの妖剣』を勝手に持ち出し、知らなかったとはいえ、第二皇子を害そうとしたなど……。事件が表沙汰になることも、襲われた者が誰なのかも、明らかになることは決してないとはいえ、清陣が禁呪の使い手と通じ、秘蔵の呪物を持ち出した挙句、謹慎処分となったことは、蚕家所属の高位の術師なら、みな知っていることでございます。もはや、清陣を蚕家の次期当主としてふさわしいと認める者はおりませぬ。となれば、遼淵様の血を受け継がれているのは、明珠お嬢様、ただお一人でございます」


「ちょっ、ちょっと待ってください……っ!」


 とうとうと語る周康を、明珠は泡を食って押し留める。


「清陣様が謹慎って……っ!? 乾晶けんしょうからの帰り、蚕家に寄った時には、ご当主様の口から、清陣様は元気にしてらっしゃると聞きましたけれど……!?」


「ええ、元気でいらっしゃいますよ」

 周康の唇に冷笑がひらめく。


「謹慎させられている座敷牢で、俺は無実だ、たばかられて罠にかけられたのだと、毎日、飽きもせずにわめき散らしては、秀洞しゅうどう殿を困らせているそうですよ」


 温度を感じさせぬ周康の声音に、明珠は身が寒くなる。


 脳裏によみがえるのは、英翔を遼淵の隠し子だと誤解し、『蟲殺しの妖剣』で害そうとした時の清陣だ。


 『蟲殺しの妖剣』のせいで正気を失っていたとはいえ、狂気と嫉妬に満ちた清陣の姿は、いま思い出しても、全身が震えだすほど恐ろしい。


 あの時は、英翔を守らなければと必死で恐怖など吹き飛んでいたが、もし清陣が自分が廃嫡され、明珠が後継者となると知ったら、どれほど怒り狂うことだろう。


 明珠は無意識に両腕で己の身体をぎゅっと抱きしめる。


 あんな怖い思いは、もう二度としたくない。


「どう考えても、私が蚕家に引き取られてよいことがあるとは思えません! むしろ、余計な混乱を引き起こすのではないですか? ご当主様の血を引いているとはいえ、私は正式な娘ではありませんし、何より、術師と名乗れる腕前もない半端者です。そんな私が蚕家に引き取られたら、ますます家督争いが混乱するのではありませんか?」


「何をおっしゃいます」

 明珠の言葉に、周康が意外そうに目をみはる。


「お嬢様の実力は、一人前の術師を名乗ってもおかしくないと、わたくしは思っておりますよ。その……。確かに、高位の《蟲》も扱える術師には、遠く及ばぬでしょうが……。お嬢様は、他の者にはない、希少な解呪の特性をお持ちではないですか。その一事だけで、蚕家の次期当主たる資格を、十分にお持ちです!」


「ええぇっ!?」

 周康に断言され、明珠は勢いよくかぶりを振る。


「そんな……っ! 買いかぶり過ぎですっ! 龍翔様の禁呪を解くことすらできていないのに……っ!」


「逆でございます。《龍》の力を封じるほど強力な禁呪を、いっときとはいえ。緩めることができるなど……。これは、遼淵様ですらなしえなかった快挙でございます。明珠お嬢様は、もう少し、ご自身を高く評価されてもよろしいかと」


「そう言われましても……」


 周康は熱っぽく語るが、明珠としてはどうしても素直に頷けない。


 かつて、実の母に「ふつうの術師にはなれない」と告げられた言葉は、それが明珠を守るために言われたかもしれないと知った今もなお、明珠の心を縛りつけている。


 何より、龍翔に仕えるようになってから、母・麗珠以外の術師に遭った経験が、己の実力を客観的に知る指標になっている。

 幾人もの術師を見たからこそ、はっきり言えるのだ。周康が言いづらそうに告げた通り、明珠の術師としての実力は、彼らに遠く及ばないと。


 だというのに、たまたま母から解呪の特性を引き継いだだけの明珠が彼らを差し置いて高く評価されるなど、もってのほかだ。

 解呪の特性は、母から受け継いだだけで、明珠の努力で手に入れたものではないのだから。


 明珠は、決して蚕家に入る気はない。何といえば周康は納得してくれるだろうと思い悩んでいると。


「血のつながった実のお父上が、生き別れの娘を手元に置きたいと望まれているのですよ? 血のつながらぬ育ての親に、義理立てでもなさっているのですか?」


「っ!? 義父さんとはともかく、たとえ、半分しか血がつながっていなくても、順雪は大事だ大事な弟なんですっ!」


 自分でも予期しないほどの大声が出る。

 気がたかぶりすぎて、じわりと目に涙が浮かぶ。


 にじんだ視界の向こうで、周康が困り果てた顔をしているのが見えた。

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