37 好みの相手はどんな方? その2


「わたしに厳しいことをおっしゃるからには、龍翔殿下の理想の君は、さぞ素晴らしいのでしょうな?」


「そのようなもの」

 玲泉の問いに答える龍翔の声は、先ほどと同様に冷たい。


「考えたこともないな。仮にも第二皇子であるこの身が、己の思うようになるわけがなかろう?」


 堅苦しいほどの龍翔の答えに、玲泉が楽しげに喉を鳴らす。


「望めば、どのような美姫でも侍らせられる御方が、謙虚なことを。しかし、そのような殿下がご執心とは……。ますます、その者の魅力を知りたくなりますな」


 瞬間。ぴりり、と不可視の雷が空気を震わせる。

 龍翔から発せられた冷ややかな怒気に明珠はあわてて尊敬する主を振り向いた。


「龍翔様?」


 明珠の声に、我に返ったように、龍翔が一つ吐息する。だが、黒曜石の瞳は、刃のように鋭く玲泉を睨みつけたままだ。


 龍翔に睨みつけられているというのに、玲泉の笑みは変わらない。ぱん、と軽く手を合わせ、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて口を開く。


「ところで、明順の好みはどうなのか、ぜひとも聞いてみたいところだね」


「ふぇっ!?」

 突然、自分の名が出てきて、すっとんきょうな声が飛び出す。


「それはわたくしも気になりますわ!」

 すこぶる楽しげに同意したのは初華だ。初華が身体ごと明珠を振り向く。


「明順は、誰か気になる者はおりますの?」

「気になる方、ですか……」


 わくわくっ、と瞳を輝かせながら問うた初華の言葉を、明珠はおうむ返しに呟いた。


 気になる者、と問われたら、もちろん。


「いつも気になるのは、実家にいる弟の順雪のことです!」


 きっぱりと答えると、安理が「ぶひゃっ!」と吹き出した。

 張宇が穏やかに苦笑し、季白が頭痛がすると言わんばかりに額を押さえる。その向こうの玲泉の従者達からは、なぜか失笑された。


「おと、うと……?」


 珍しく、玲泉が呆気にとられた顔をする。明珠はかまわず大きく頷いた。


「そうです! まだ十一歳なんですけれど、すごくしっかり者で賢くって……! 世界で一番可愛い弟なんです!」


「ふ、ふふふ……」

 玲泉を横目に、初華が楽しそうに鈴が転がるような声を上げる。


「そうね。わたくしとお茶をしている時も、いつも教えてくれるものね。どんなに明順が弟のことを可愛がって、大事にしているか」


「その、離れている分、やっぱり気になってしまいまして……」


 大事な順雪の存在は、常に明珠の心の中にある。

 「気になる者」と言われたら、順雪以外、ありえない。


「なるほど、弟とは……。これは一本取られてしまったな」

 玲泉が口の端を上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「愛らしい明順が、世界で一番可愛いと断言するとは、どんな美少年か気になるね。ちなみに、わたしの従者達と弟くんと、どちらの方が可愛いのかな?」


「えっ、それは……」


 「順雪です!」と反射的に答えかけて、玲泉の少年従者達の視線の鋭さに明珠は言葉を飲み込んだ。


 少年従者達の視線は、先ほどからずっと敵意に満ちている。表向きは笑顔だが、明珠を見据える目だけが、恐ろしいほどに鋭い。

 年若い従者の中で、卓についているのは明珠一人だ。しかも、龍翔と初華の間というとんでもない位置で。少年従者達にしてみれば、なぜ明珠だけ特別扱いされているのかとおもしろくないに違いない。


 そんな中で「もちろん順雪が一番です!」と能天気には言えない。

 が、明珠にとっての一番は順雪だ。嘘はつきたくない。


「その……」

 明珠は慎重に言葉を選ぶ。


「もちろん、玲泉様の従者様達は、皆様、順雪がかなわないほど容貌が優れてらっしゃいます。でも、私にとって、順雪は、たった一人の大切な弟なんです。だから、私にとっては、一番可愛いのは順雪です!」


 玲泉の目を真っ直ぐに見つめ、断言する。

 誰になんと言われても、そこだけは譲れない。


 言い切ると、玲泉が意外そうに目を開いた。と、得心したように破顔する。


「たった一人の弟、ね……。確かに、わたしにも一人妹がいるが、女人が苦手なわたしでさえ、妹は可愛いと思うからね。なるほどなるほど」


 玲泉が龍翔に流し目を送る。


「龍翔殿下のこと。容貌だけの者に惑わされるとは思っておりませんでしたが、かように受け答えも初々しく面白いのでしたら、納得でございます」


「あー……。玲泉様、龍翔様に好みを聞いたんでしたら、ここは話の流れ的に、初華姫にもお好みを聞いておいた方がいいんスかね?」


 ぴりぴりとした龍翔の雰囲気を感じ取ったのだろうか。季白の背後に立って控えている安理が、話題をそらすように発言する。


「あら、わたくし?」

 安理の言葉を受けた初華がにっこりと微笑む。


藍圭らんけい様が、わたくしの好みそのままでしてよ?」


 己が嫁ぐ相手を挙げるのは、当然の返答だろう。だが、初華の嬉しそうな声音に、単なる社交辞令ではない響きを感じ取り、明珠はあでやかに微笑む初華を見やる。


「初華姫様がお嫁入りされる藍圭様は、どんな御方でいらっしゃるんですか? 私、お名前しか存じ上げていないのですが……、きっと素敵な方なのでございましょうね!」


 初華がこれほど嬉しそうな笑顔で答えるのだ。きっと素晴らしい方に違いない。


 「あら」と初華が小首をかしげた。

「明順はお兄様から何も聞いていないの?」


「も、申し訳ございません……」

 明珠は冷や汗をかきながら身を縮める。


 もしかして、随行する従者ならば当然、知っておくべきことだったのだろうか。

 季白の視線が鋭くなった気がして、心の中で「ひぃぃっ」と震える。


 が、初華は気分を害したわけではないらしい。


「嫌だわ。謝らないでちょうだい。乾晶けんしょうから帰ってきてすぐ、晟藍国へ出立だったのですもの。さぞかし慌ただしくて、話を聞く暇もなかったことでしょう」

 と、逆にいたわってくれる。


「それに、わたくしも藍圭様にお会いできたのは、『花降り婚』の要請にいらっしゃった時の一度だけですもの」


 初華が白魚のような繊手せんしゅを頬に当て、残念そうに吐息する。


「ええっ!? 一度だけなんですか!?」

 驚いて聞き返すと、


「貴族や皇族の婚姻なんて、そういうものなのよ。婚礼の時まで、顔を見る機会がないこともあるのだもの」


 と、平然と返された。庶民の明珠には、想像もつかない世界だ。


「そ、それで、藍圭様はどんな御方だったんですか?」

 問うと、兄そっくりの悪戯っぽい笑顔が返ってきた。


「ふふふ。明順は、どんな御方だったと思う?」

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