37 好みの相手はどんな方? その1


 玲泉の思いがけない言葉に、明珠の右隣の龍翔が、ぴくりと反応した。

 ぴりっ、と紫電が走った気がしたが、明珠が反応するより早く、玲泉が大仰にため息をつく。


「ですが、この呪われた身が、それを許してくれませんのでね」


「あら! わたくしはてっきり、玲泉様は女人にはまったく興味がないものと思っておりましたわ!」


 目をまるくして意外そうな声を上げたのは初華だ。


「ですが、そうおっしゃられるということは、女性にふれると体調を崩してしまうという蛟家こうけ特有の体質さえ直すことができれば、女性も相手になさるということですの?」


 初華の問いに、周囲がざわめく。


 初華の後ろに控える侍女達は、どこか期待のこもったさざめきを。玲泉の後ろに控える少年従者達は不安そうなまなざしを主人に注ぎ。

 龍翔や季白、張宇や安理までが、黙して玲泉の返答を待つ。


 全員の注目を集めた玲泉は、悠然と視線を巡らせると、じらすように間を開けてから口を開いた。


「もちろんですよ。蛟家の嫡男ちゃくなんとして、しかるべき嫁をめとって子を生すことを、両親も望んでおりますのでね」


 玲泉の言葉に、無音の衝撃が卓に広がる。

 と、玲泉がからかうような笑みをひらめかせた。


「――が。まあ、望みはないでしょうね。蛟家には、まれに女人にふれることのできぬ男が生まれるそうですが……。誰一人として、それを克服した者はおらぬという話ですから。今までの者は次男や三男でしたので、後継ぎ問題にまで発展しなかったそうですが、何の因果か、わたしは嫡男ですから……」


 玲泉がげっそりとした様子で嘆息する。


「信じたくない両親に、さんざん試されたものですよ。子を産める年齢の女人ばかり、二百人以上も。それでも、受けつけられる女人は一人もいなかったので、さすがに両親も諦めてくれました。まあ、妹がおりますので、蛟家の血筋が絶えることはありませんしね」


「そ、それは……。玲泉様もなかなか苦労をなされたのですね……」


 張宇が穏やかな顔を引きつらせ、同情するように呟く。季白が何やら得心したように頷いた。


「そういえば、何年も前、玲泉様が本格的に出仕される前の一時期、体調不良でお姿をお見かけしない時期がございましたね。確か、玲泉様の艶聞えんぶんをよく耳にするようになったのは、その後からと記憶しておりますが……」


「ああ、その時期のことだよ。父上と母上を納得させる代わりに、今後はわたしの自由にさせてもらう取り決めだったのさ。ようやく父上も母上も諦めてくださったのでね。隠す必要もなくなったというわけさ」


 あっけらかんと玲泉が暴露する。


「龍翔殿下ほどではないとはいえ、蛟家の嫡男ともなれば、有象無象の女達から秋波を送られ、さまざまな名家から縁談が舞い込んできますからね。しかし、こちらはどう足掻あがいても嫁を娶れぬ身。わたしもいちいち体調を崩してはいられませんし、無駄な労力を省くのがお互いのためというものでしょう」


 さばさばと告げた玲泉に、龍翔が形良い眉をしかめる。


「だからといって、手当たり次第に手を出してよい理由になるまい?」

「別にわたしから無闇に誘っているわけではございませんよ?」


 龍翔の険しいまなざしをものともせず、玲泉が肩をすくめる。


「相手の方から寄ってくるのです。ならば、応えてやるのが優しさというものでございましょう?」


 玲泉の返答に、龍翔が不機嫌さを隠そうともせず鼻を鳴らす。


「そんなもののどこが優しさだ。不誠実なだけであろう? だが、おぬしと相手が好きにする分には、とやかく言うつもりはない。わたしにとってはどうでもよいことだ。しかし――」


 龍翔が氷の刃ようなまなざしで玲泉を睨みつける。


「おぬしの方から、わたしの大切な従者に余計な手出しをしているのはどういうわけだ? わたしの従者をおぬしの『遊び相手』にしようなどと不埒ふらちなことを考えているというのなら、ただではおかんぞ?」


 甲板を渡る川風さえ凍りつかせるような、さえざえとした威圧感が場を満たす。


 さしもの玲泉も呑まれたように口をつぐんだ。

 端正な面輪が緊張を宿して強張る。


「お言葉ではございますが」


 氷のような沈黙をかすかのように、玲泉がゆるゆると口を開く。


「わたくしは最初から遊び相手を求めているわけではございません。長い一生を共に過ごせる伴侶はんりょを探しているだけでございます」


 龍翔を見やった玲泉が肩をすくめる。


「ただ、残念ながら、まだこれと想う相手に巡り逢えておらぬというわけでございまして」


「まあっ、玲泉様は意外と夢想家でいっらっしゃるのね」

 初華が楽しげに喉を鳴らす。


「ちなみに、玲泉様はどんな相手がお好みですの?」


 興味深そうに尋ねた初華に、玲泉は「そうですね……」と考え深げに腕を組む。


「まず、見目は良いのがいいですね」


「見目からなんスか♪」

 安理がおかしそうに吹き出す。玲泉が至極真面目そうに頷いた。


「一生を共に過ごすのだ。毎日、顔を合わせるのだから、何度見ても見飽きぬ美しい顔がよかろう」


 にっこりと、玲泉が龍翔と初華にあでやかな笑顔を向ける。


 確かに、龍翔や初華のような美貌は、見ているだけで眼福だ。明珠には、綺麗すぎて心臓に悪いくらいだが。

 確かに、見目麗しい玲泉の隣に並ぶのならば、それなりの容貌の者でないと釣り合わぬのも事実だ。


「あとは、一緒にいて心楽しい者がよいかと。この世は思い通りにならぬことが多きもの。そのような時に、心を慰めてくれる者がいれてくれれば、楽しゅうございましょう」


「なるほど」

 珍しく、龍翔が玲泉の言葉に同意する。が、秀麗な面輪が向く先は、玲泉ではなく、隣の明珠だ。


「愛らしい者がそばにいてくれることは癒しだな。得難えがたい喜びだ」


 明珠と視線を合わせた龍翔が、にこりと微笑む。とろけてしまいそうなほど、甘い笑顔。


 玲泉の従者達と初華の侍女達から、ほう、と感嘆の吐息がこぼれる。が、明珠はそれほどころではない。


 どきどきと心臓が跳ねている。間近で炸裂した龍翔の笑顔はまぶしすぎて、直視すらできない。


 今日の龍翔はあまり機嫌がよくないと思っていたが、愛らしい初華のそばにいるうちに、機嫌が直ってきたのだろうか。何にしろ、龍翔の機嫌が直ったのなら、明珠としても嬉しい。


「他にはございますの?」

 初華が興味津々に尋ねる。問われた玲泉は柳眉を寄せた。


「他、ですか……」

 腕を組んだまま、困ったように首をかしげる。困り顔ですら、変わらず麗しい。


「そのような相手がそうそう見つかるとは思っておりませんので、あまり具体的には……。数多くの相手と出逢ううちに、これと思う者が見つかるのではないかと」


 玲泉が思わず見惚れずにはいられないような、あでやかな笑顔を浮かべる。

 叩き斬るかのように、冷ややかな声を上げたのは龍翔だ。


「黙って聞いておれば。結局、それを言い訳に遊び歩いているだけではないか」


 龍翔の言葉に安理が遠慮なく吹き出し、張宇が笑いをこらえようとして失敗し、ごっほごっほとき込む。


「これはこれは手厳しい。では、そうおっしゃる龍翔殿下の理想の相手とはどのような者なのでしょう? ぜひともお聞かせ願いたいですな」


 笑顔はそのままに、龍翔に向けるまなざしの圧だけを強めて、玲泉が挑むように告げた。

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