27 赤ん坊がどうやって生まれるか知ってます? その1


「明順。こちらへいらっしゃい。少し話があります」

「は、はい!」


 今日は一人で風呂を使った明珠は、部屋に戻ろうとしたところで梅宇に呼び止められた。


 招き入れられたのは厨房ちゅうぼうだ。

 作業用に置いてある小さな卓には、梓秋ししゅう梓冬しとうがすでに席についている。


「そこへお座りなさい」

「は、はい……」


 着替えを抱えたまま、明珠はおどおどと示された椅子に腰かける。


 いったい、何の話があるというのだろう。

 明珠の前には、くるくると筒状に巻かれた紙が置かれている。


 この紙は何だろうか。広げたら墨痕あざやかに「クビ」と書かれていたら、衝撃で気を失うかもしれない。


 明珠の対面に座る梅宇が、重々しく口を開く。


「明順。一つ確認しておきたいのですが……」


「は、はい! 何でしょうか!?」

 びくぅっ、と震えながら背筋を伸ばす。


 が、梅宇は押し黙ったまま、続きを口にしない。重苦しい、嫌な沈黙が場を満たす。


「その……。聞きたいことというのはね」

 意を決したように口を開いたのは梓秋だ。


「あなた、赤ん坊がどうやって生まれるか、知っている?」


「え? お母さんから生まれるんですよね?」


 きょとんと問い返すと、梓冬がため息をついた。苛立いらだたしげに口を開く。


「ではなくて! どうやったら赤子が授かるかと聞いているの!」


「……せ、仙女様か、天上から連れてきてくださるんじゃ……?」


 おずおずと答えた途端、三人が異口同音に深いため息を吐き出した。


「……まったく……」

「え? この子、本当に今どきの若い娘なの?」

「無知にしたってほどがあるでしょう……」


 三人が口々に呆れ混じりの呟きを洩らす。


「えっ、えっ!? 違うんですかっ!? 昔、母さんに読んでもらった本には、そんな風に書いてあったと思うんですけれど……っ!」


「つかぬことを聞きますが、母上はご健在なの?」


 梅宇の問いに、うつむいてかぶりを振る。膝の上の着替えを抱える手に、思わず力がこもった。


「いえ……。母さんは、私が十二歳の時に病で……。それからは、父と大切な弟の三人で暮らしてきたんですけど……」


「まあ……」

「それは……」


 梓秋と梓冬が同情の声を上げる。


「だからと言って、無知でいいわけではありません!」


 ぱしん! と梅宇が右手で卓を叩く。

 卓の空気が張りつめた。


「無知なばかりに龍翔様にご迷惑をおかけするなど……。許されることではないでしょう!?」


 龍翔の名に、明珠は弾かれたように顔を上げる。


 梅宇達が言いたいことまではわからないが、明珠のせいで龍翔に迷惑をかけているらしいというのはわかる。


 きっと、梅宇達はそれを明珠に教えてくれようとしているに違いない。


 じっ、と目をそらさず梅宇を見つめると、険しい表情のまま、梅宇が口を開く。


「赤子を授かるには……。いえ、この際、赤子はどうでもよいのですけれど……。とにかく、ねやで男女が共に過ごさねば、赤子は授からないのですよ?」


「あっ、龍翔様から聞いたことがあります!」

「「「龍翔様からっ!?」」」


 思わず身を乗り出すと、梅宇達三人も身を乗り出した。


「ええっと……。男女が『特別な儀式』をしたら、赤子が授かるって、龍翔様がおっしゃていたんですけど……?」


 告げた瞬間、失望の溜息が三人の口から洩れる。


 何ともいえない沈黙が場を満たし。


「……で、その『特別な儀式』とやらの内容は?」


 梅宇が頭痛をこらえるかのように、右手でこめかみを押さえながら、低い声で問う。


 明珠は膝の上の着替えを握りしめ、しゅんと肩を落とした。


「すみません。わかりません……」


 そういえば、『特別な儀式』の内容については、龍翔から何も教えてもらっていない。


 仙女が赤子を授けてくれるのだから、きっと荘厳な神事みたいなものだろうと思うのだが……。


「……お祈りをして、赤子を授けてくださるように仙女様にお頼みするとか……ですか?」


 おずおずと問うと、梅宇のこめかみにひくりと青筋が浮かんだ。


「ああもう、まどろっこしい! そこの紙を見てごらんなさい」

「は、はい!」


 怒りに満ちた梅宇に命じられ、明珠はあわてて卓の上に置かれた紙に手を伸ばした。


 意外としっかりした手触りの紙を急いで開き、視線をやった瞬間。


「きゃ―――――っ!」


 思わず悲鳴を上げて、明珠は紙を放り出した。


   ◇ ◇ ◇


「何があったっ!?」


 龍翔と安理が息を切らせて厨房に飛び込んでくる。

 が、椅子からずり落ち、床にへたり込んだ明珠は、答えるどころではない。


 衝撃で、頭が真っ白になっている。

 羞恥のあまり、頭が沸騰ふっとうしそうだ。


 耳元で心臓ががなり立てているかのように、ばくばくと音がうるさい。


「明順っ!?」


 椅子の陰にへたり込んでいる明珠を見つけた龍翔が目を見開く。


「や……っ!」


 伸ばされた龍翔の手に、明珠は反射的にびくりと身を震わせて、主の手を振り払った。


「っ!」


 ぱしっ、とふれた指先に、龍翔が弾かれたように手を止める。


 秀麗な面輪が鋭いとげで刺されたように歪む。

 痛みをこらえるような表情に、明珠まで刺されたように、ずくりと心臓が痛くなる。


 以前、まだ明珠が龍翔の本当の身分を知らなかった時に、同じような表情を見たことがある。

 蚕家の庭で泣きじゃくっていた明珠を見た時の英翔と同じ、傷ついた顔だ。


「そ、その……っ」


 何と言えばよいかわからず、けれども龍翔を慰めたくて、言葉にならぬ声を紡ごうとして。


「いったい、何があったのだ? なんだこれは?」


 龍翔が、卓に放り出した丸まった紙に視線を向ける。

 長い指先が紙に伸び。


「だ、だめですっ!」


 明珠は腰を浮かせて、両手で龍翔の手を押しとどめようとした。

 が、肌にふれた途端、火傷やけどしたように、ぱっ、と手を離してしまう。


 龍翔の形良い眉が、いぶかしげにぎゅっと寄る。


「あのっ、その……っ」


 いったい、何をどう説明すればいいのかわからない。はっきりわかるのは、紙に描かれた内容を龍翔に見られるわけにはいかないということだけだ。


 泣きそうになりながら、こいのように口をぱくぱくさせていると、龍翔が小さく吐息した。


 明珠から視線を外した龍翔が、凍りついたように動きを止めている梅宇達を、ぐるりと見回す。


 梅宇達が怯えたように身体を強張らせた。


 青い顔で押し黙る三人は、龍翔の苛烈な視線に射抜かれて、口を開くことすらできぬらしい。と。


「げっ!?」


 龍翔の後ろにいた安理が、卓の上の紙を見て、あわてた声を上げる。


「これは、お前の仕業か?」


 龍翔が鋭いまなざしで安理を振り返る。安理は珍しく、目に見えて狼狽うろたえた。


「ええ――っ!? オレのせいなんスか!? いやだって、まさかこーゆー使い方をするとは思わないっスよ! オレはてっきり……」


「てっきり、何だ?」


 安理から視線を外さぬまま、龍翔が素早く紙を掴み取る。明珠が止める間もなかった。

 長い指先が丸まった紙を開き。


「っ!?」


 中を見た途端、龍翔が絶句する。


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