26 脅す輩を、客とは認めん その1


「し、失礼いたします……」

 片手で茶器が載った盆を支えながら、明珠はそろそろと扉を開けた。


 と、すかさず玲泉の声が飛んでくる。


「やあ、明順。今日も昨日と変わらず愛らしいね」


「ふえっ!?」

 思わず盆をひっくり返しそうになり、あわてて両手で持ち直す。


 さっと立ち上がった季白が歩み寄り、盆を受け取ってくれた。


「もうよいですよ。下がりなさい」


 季白の声は、いつも以上に冷ややかだ。


 「はい」と頷き下がろうとしたところで、玲泉がすこぶる不満そうな声を上げた。


「ええっ、ようやく来てくれたと思ったら、もう下がってしまうのかい? せっかくだから、一緒にお茶はどうだい? 残念ながら、昨日は早々に帰られてしまったしね」


 黒曜宮の応接室。

 部屋の中央にある卓に向かい合わせに座っているのは龍翔と玲泉だ。


 午後になってすぐ、玲泉が差し添え人の打ち合わせのために、黒曜宮へやってきたのだ。


 龍翔が王都に戻ってくる以前から準備が進められていたとこともあり、出立はもう、明後日に迫っている。


 晟藍国せいらんこくへの道中でも打ち合わせの機会はあるものの、出立前に龍翔と玲泉の間ですり合せしておかねばならぬ件は、山とある。


 昨日、季白とはすでに打ち合わせしたらしいが、龍翔の指示を仰がねばならぬ事柄も多いらしい。


 が、黒曜宮に来た玲泉が開口一番に告げたのは、


「お茶を出すのなら、明順に供してもらいたい」

 という指名だった。しかも、


「明順が来るまで、のんびり世間話でもいたしましょうか。お忙しい龍翔殿下と違って、わたしは今日は予定を空けてきておりますから。ゆっくり待たせていただきますよ」


 という笑顔の脅しつきで。


 龍翔と玲泉の間に、どんな駆け引きがあったのか、明珠は知らない。


 だが、結局、明珠が茶を運ばされたということと、龍翔が秀麗な面輪をしかめているところから察するに、時間を浪費するわけにはいかぬと、譲歩したのだろう。


「明順に茶を運ばせたのだ。もう十分だろう!」


 玲泉の言葉に、龍翔が柳眉を逆立てる。

 が、玲泉は季白が目の前に置いた茶の器を押しやりながら、優雅に笑う。


「明順は茶を運んでくれたが、供したのは季白殿ではありませんか。約束が違います」


「あの……」


 勝手に退出するわけにもいかず、龍翔のそばに控えていた明珠は、戸惑った声を上げる。


 玲泉が押しやってしまった器を、明珠が渡せばよいのだろうか。


 動こうとすると、はっしと龍翔に手を掴まれた。


「玲泉などに近づくな。ろくでもないことを企んでいるに違いない」


「ひどいですね、殿下。別に、近くに来た明順を取って食いなどしませんよ」


「ふだんの言動を顧みてから言え」


 からからと笑う玲泉に対し、龍翔は不機嫌極まりない。黒曜石の瞳には、ありありと警戒が宿っている。


「わたしとしては、つまらぬ打ち合わせの間、明順がそばに座ってくれているだけで心楽しいのですがね?」


「明順には明順の仕事がある。無為にこの場にいさせろと?」


 刺すような龍翔の視線に、玲泉は優雅な所作で肩をすくめてみせた。


「客をもてなすのも従者の務めでございましょう? では、こうされてはいかがです? 心配ならば、明順はわたしの手の届かぬところに座らせておけばよろしいでしょう? わたしも、せっかく参ったのに帰るのは手間でございますから」


「脅す輩を客とは認めん。厚顔無恥もはなはだしいな」


 龍翔から冷ややかな怒気が立ち昇る。

 険悪極まりない雰囲気に、明珠は思わず口を開いていた。


「わ、私がここにいても、何のお役にも立たないと思うんですけれど……?」

 三人の視線が集中して、明珠はびくりと身を縮める。


「明順の言う通りです。この場にいても、何の役にも立ちません。むしろ邪魔です」


 季白が切り捨てるように断言する。反論したのは玲泉だ。


「わたしは楽しいですがね。愛らしい者が近くにいれば、務めに打ち込む気も湧くというものでしょう?」


「……?」


 明珠には玲泉が何を言いたいのかさっぱりわからない。見目麗しいものを見ていれば、やる気が湧くというのなら、龍翔こそ適任だと思うのだが。


 龍翔が秀麗な面輪をしかめたまま嘆息する。


「明順。わたしの隣に座れ。さっさと打ち合わせをすませるぞ。これ以上、無為なことに時間を費やす暇などない」


「は、はい」


 龍翔の命に従わない理由はない。明珠は素直に頷くと、龍翔が示した椅子に急いで座る。

 大きな卓を挟んで玲泉が斜め向かいに座っている上に、龍翔と季白の間の椅子なので、居心地悪いことこの上ない。


 季白に鋭い視線でにらまれ、内心、ひいぃっ、と泣きそうになりながら明珠はひたすら身を縮める。


打ち合わせが始まっても、正直、明珠に口を出せることなどない。むしろ、初めて耳にする内容ばかりだ。


 晟藍国へは船で川を下って旅をしていくのだということも、初めて知った。


 数十年に一度の慶賀を民衆に広く知らしめすべく、皇帝の御幸用の何十人もが乗れる豪華な船で、優雅に旅をするのだという。


 明珠は昨日、会ったばかりの初華姫の麗しい姿を思い描く。


(花嫁姿は、さらにお綺麗なんだろうなぁ……)


 同性の明珠でも思わず見惚れずにはいられない華やかな美貌なのだ。

 きっと、三国一の美しい花嫁よと、たたえられるに違いない。


 叶うなら、一番端っこでよいので、初華姫の花嫁姿を一目だけでも見ることができたなら、と心から願う。

 それだけで眼福で天にも昇るような気持ちになれるだろう。


 明珠がぽややんと空想にひたっている間にも、龍翔と玲泉、季白の三人はてきぱきと打ち合わせを進めていく。


 連れていく供の人数の調整、晟藍国への贈答品の最終選定、細かな日程などなど……。


 先ほどまで、あれほどやる気のなさそうだった玲泉だが、打ち合わせが始まった瞬間、有能な官吏に早変わりしていた。


 一を聞くだけで龍翔や季白が言いたい内容を的確に把握して意見を述べ、必要とあれば新しい案を出すその姿は、まるでもう一人、物腰の柔らかな季白がいるかのようだ。


 無駄口一つ叩かず明珠に視線を向けることすらない。


 龍翔が玲泉の態度に苛立っていた気持ちも理解できる。これほど有能な人物が、無為に時間を潰すなんて、損失に他ならない。


 ましてや、今は一刻の時間も惜しい龍翔だ。怒りたくなっても仕方がないだろう。


(……というか、私、本当に座っているだけで、何のお役にも立っていないけれど……。いいのかな、こんなので……?)


 とにかく邪魔だけはするまいと、身を縮めていると、船に乗り込む人員の最終確認をしていた玲泉が、


「ところで」

 と不意に視線を上げた。


「本当に、劇団も楽団も乗せなくてよろしいのですか? 晟藍国までは、約半月の船旅。無聊ぶりょうを慰める者が必要では?」


「そういった者達は不要だと、初華も申しておった。何より、初華のたっての願いで、日中だけではなく、夜も航行するのだ。おそらく、十日もかかるまい」


 龍翔の説明はにべもない。


「初華いわく、初めての遠出ゆえ、風景や風物を見て楽しみたいのだそうだ。それに、劇はともかく、音楽ならば、初華の侍女にも楽器をたしなむ者が何人もおろう。何より――顔も知らぬ輩を、船に招き入れたくはない」


 不穏な響きを帯びた龍翔の低い声に、明珠はぴしりと背筋を伸ばす。


 玲泉の涼やかな目元が、わずかにすがめられた。


「それは、初華姫が狙われる可能性がおありだと?」

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