24 同じ声を、聞いたのだろうか その2


 初華の声に、龍翔はぎょっとして、あわてて明珠を引き起こす。こんなところを見られたら、なんと言われることか。


 まだ紅い顔の明珠に、衝立ついたての向こうにいるといいと小声で指示し、明珠があわただしく移動するのを見てから、扉に近づく。


 薄く開けた扉の前に立っていたのは、予想通り、つい先ほど別れたばかりの初華と、隣に立つ梅宇だった。


「急に飛び出してゆかれたものですから、何事かと気になってしまいまして……。ご迷惑かと思ったのですが、来てしまいました……」


 口調こそしおらしいものの、初華の瞳は隠し切れない好奇心にきらめいている。


「それで、さっきの可愛らしい声の主は、誰なのでございましょう?」


 龍翔は額を押さえて嘆息したいのを自制する。


 飛び出す寸前、初華の好奇心をかきたててしまう懸念を、ちらりと感じはしたが、あの時はそれどころではなかったし、まさか、初華自身が黒曜宮にまでくるとは想定外だった。


「『蟲語』を話していましたけれど、蚕家の周康殿でないのは確かですわよね? 女の子かと思うくらい、高くて可愛らしい声で……」


「少女ではない。少年だ」


 諦めの吐息を一つつき、初華の言葉を訂正する。


「張宇と梅宇の遠縁で、身寄りを亡くした少年を、最近、雇い入れたのだ」


 龍翔の言葉に、梅宇がすかさず首肯する。

 初華が興味津々とばかりに弾んだ声を上げた。


「まあっ、どんな子ですの? 顔を見たいわ!」


 予想通りの反応に、龍翔は衝立を振り返り、


「明順、こちらへ」

 と声をかける。


「は、はい……」


 衝立の向こうから緊張した面持ちで出てきた明珠が、初華を見とめた途端、さっと両膝をついて拱手の礼を取る。


 衝立の影で直したのだろう、先ほど己が乱してしまった襟元がきっちりと整えられているのを見て、内心ほっとする。


「それで、どうしてお兄様が、雇いたての従者のために駆けていかれたのですか?」


 初華はまだ追及の手を緩める気はないらしい。


 探るようにこちらを見やる初華に、龍翔は、今度こそ隠さず、心の底から嘆息した。


「それが……。昨日、王城へ来たばかりだというのに、さっそく玲泉に目をつけられてしまってな」


「あら」と呟いた初華が明珠に視線を移し、


「明順、と言ったかしら。おもてを上げてごらんなさい」

 と命じる。


 おずおずと顔を上げた明珠と、初華が見つめ合う。


 愛らしい面輪を薄紅色に染めたまま、明珠はほうけたように初華を見上げている。


「わたくしの顔に、何かついているの?」


 初華が小首を傾げると、明珠は我に返ったようにあわてて面を伏せた。


「も、申し訳ございませんっ! 姫様があまりにお綺麗で……。仙女様が天から舞い降りてこられたのかと、夢見心地になってしまいました……っ!」


 身を縮ませ、あわあわと答える明珠は、耳の先まで真っ赤だ。


「やだ、お兄様! この子、反応が可愛いわ!」

 初華が弾んだ声を上げる。


 初めての皇女として、蝶よ花よと育てられ、美貌を褒めそやされることなど飽きているはずの初華だが、明珠の初心うぶな反応は、いたくお気に召したらしい。


 その気持ちは龍翔とてよくわかるが……。

 明珠が実は少女であると知っている身としては、微妙に複雑だ。まあ、初華が同性でも見惚れるほどの美貌だというのは頷けるが。


「お兄様にお仕えしているわりには、ずいぶんとすれていない反応なのね?」


「……わたしを何だと思っているのだ、それは」


 憮然ぶぜんと答えると、初華はくすくすと軽やかな笑い声を立てる。


「だって、お兄様の美貌は、老若男女問わずとりこにしてしまうでしょう? そんなお兄様のおそば近くに仕えているのに……」


「明順はまだ仕えてから日が浅い。王城へ登場したのも昨日が初めてなのだ。多少の不作法は許してやってくれ」


 今後、晟藍国せいらんこくへ旅するにあたって、初華と顔を合わせる機会も多いだろう。


 不信を抱かれぬようにと牽制けんせいすると、初華は思わせぶりに頷いた。


「女の子のような可愛らしい顔立ちに、初心な反応……。これは、玲泉様が見られたら、迷わず手を出されるでしょうね」


「大切な従者を玲泉などの毒牙にかけさせる気はない!」


 憤然と告げると、初華が得心したように頷いた。


「確かに、何も知らぬ少年が、玲泉様の毒牙にかけられた挙句、あとあと捨てられるような事態となったら……。わたくしの従者でなくとも、心が痛みますわ」


 貴人の寵愛を受けている間はよいが、飽きられた時、一方的に捨てられ、傷つくのは、いつだって身分が低い方だ。


「玲泉様がお兄様の宮へ来たがったのは、この子のせいですか?」


 今朝の龍翔と玲泉のやりとりを思い出したのだろう、初華の問いに、龍翔は苦い顔で頷いた。


「……まったく。玲泉様も困ったものですわね。ああも遊び人でなければ、名家出身の有能な官吏として、将来を嘱望されるでしょうに……」


 嘆息した初華が、兄を振り返ると明るい笑顔を見せる。


「そういうご事情でしたら、わたくしも協力いたしますわ。お兄様の従者に何かあっては大変ですもの」


「いや、嫁入り支度で忙しいお前に手間をかけるつもりは……」


 初華の心遣いは嬉しいが、明珠の正体を黙っているので、心苦しいことこの上ない。

 やんわりと遠慮したが、初華はきっぱりと首を横に振った。


「他人行儀なことをおっしゃらないでくださいませ。それに、皇女であり、女性であるわたくしがそばにいましたら、玲泉様とて、無茶はなさいませんでしょう?」


「それはそうやもしれんが……」


 確かに、初華は玲泉よけとして有能極まりないだろう。

 だが……、と龍翔が言葉を紡ぐより早く、初華が明珠に向き直る。


「大丈夫よ、明順。わたくしが玲泉様の魔の手から、あなたを守ってあげるから」


 初華の優しい声音に、「ありがとうございます」と明珠が恐縮したように頷く。


 が、龍翔は知っている。明珠のことだ。身分が高い初華に話しかけられて緊張しているせいで、おそらく内容についてはろくにわかっていまい。


 心の底から嘆息したい衝動を、龍翔はかろうじて抑え込んだ。

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