23 とっても危険なおつかいです? その2


 供の男の片方には、見覚えがある。


 黒曜宮を出てすぐ、「ちょっと待っていてくれ」と明珠を残し、張宇が近づいて何事か話していた男だ。


 軽いやり取りだった上、低い声だったので、どんな会話を交わしたのか、明珠には聞こえなかったが、張宇が珍しく険しい顔をしていたのと、話しかけられた男は、すぐにきびすを返して立ち去ったので、まさか、またすぐに出会うとは、予想だにしていなかった。


「玲泉様ともあろうお方が、従者を使って後をつけさせるなんて、姑息こそくな手段を取られるとは。蛟家こうけの名が泣きますぞ」


 いつも穏やかな張宇が、珍しく険しい声で、玲泉を糾弾する。


 どうして書庫に玲泉が現れたのだろうと驚いていたが、どうやら、後をつけられていたらしい。


 長身の張宇の向こうから、楽しげに笑う玲泉の声が聞こえた。


「だが、言いふらしたりはしないだろう? 言いふらせば、嫌でも宮中の人々の興味を引かざるを得ないからね。わたしがそれほど執心している少年は何者か、と。それは、そちらも望むところではないだろう?」


 張宇がぎり、と奥歯を噛みしめたのか、明珠の目の前の広い背中に力がこもる。


「おお、怖い怖い」

 玲泉が言葉とは裏腹に、軽やかな笑い声を立てる。


「張宇殿が番犬を務めるとは、『花びらの君』は、よほど大事にされていると見える」


 花びらの君とは誰のことだろうか、と明珠は首を傾げる。


 口ぶりからすると明珠のことらしいが、宮中の人々は、典雅なあだ名をつけるのが作法なのだろうか? だとしたら、なんと優雅なことだろう。


 明珠の思考を張宇の厳しい声音が破る。


「そもそも、なぜこれほど明順を気にかけられるのです? 確かに、明順は愛らしくはありますが……。玲泉様の『お気に入り』には、もっと華やかな容姿の者もおりましょう?」


「なぜ? 決まっているだろう?」


 張宇の問いに、玲泉が呆れたように声を出す。


「昨日の安理といい、今日の張宇殿といい。かの君が、これほどご執心なのだ。どんな者か知りたいと思うのは、当然の好奇心だろう?」


「好奇心!? それだけで明順を追い回していると!?」

 張宇の声が尖る。


「いや、愛らしいとも思っているよ? 君がどいてくれて、もっとよく話させてくれたら、他の魅力も見つけられるだろうけどね。というわけで、邪魔をしないでくれるかな?」


「お断りいたします」


 張宇が刃のような鋭さで即答する。


「明順をあなたの『遊び相手』になど、させません」


 視線を玲泉から逸らさぬまま、張宇が低く告げる。


「明順。俺が合図したら、すぐに書庫の奥に逃げろ」

「で、でも……」


 明珠が何の役にも立たないのは知っている。が、だからといって、張宇一人に三人を任せて逃げてよいものか。


 明珠の迷いを読んだかのように、ちらりと一瞬だけ明珠を振り返った張宇が、いつもの優しい笑みを浮かべる。


「大丈夫だ。たとえ、三対一でも、奥には通さない。龍翔様に言われたことを、覚えているだろう?」


「は、はいっ」


 明珠は懐に隠した《互伝蟲》を服の上からぎゅっと掴む。


 本当は今すぐ呼びかけたいが、『蟲語』を聞かれるのはまずい。

 季白からは、蟲を操れるということを、決して他人に知られるなと厳命されている。


「おやおや。三対一でも通さないとは、頼もしいことを。さすが、龍翔殿下の片翼と言うべきかな?」


 耳に心地よい玲泉の声は、相変わらず軽やかなのに、圧が増した気がする。


「試してみますか? 玲泉様はともかく、従者の二人には遠慮はしませんよ」


 対する張宇の声はいつも通りで、頼もしいことこの上ない。


「おや、わたしは気遣ってくれるのかい。嬉しいね」


 玲泉の声が弾む。


 一歩、玲泉が踏み出す足音がした。

 張宇の背に緊張が走る。


「実を言うと、花びらの君も気になるけれど、それよりもずっと以前から、かの君にも心とらわれているんだよね」


 軽やかな玲泉の歩み。張宇が油断なく身構える。


「そして、かの君の両翼である、君と季白殿にも――」


 どこか甘く、蠱惑的な玲泉の声。

 気圧けおされたように、張宇がじり、と半歩退いた。


 くすり、と玲泉が楽しげに笑う。


「花びらの君が駄目なら、張宇、君に相手をしてもらったっていいんだけれどね?」


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