22 妹姫と楽しいお食事です? その1


「お兄様! 来てくださって嬉しいですわ! ……あら、張宇は?」


 訪れた龍翔と季白を自ら出迎えてくれた初華は、開口一番、小首を傾げた。


「すまぬ。わたしが張宇に所用を頼んでしまったゆえ、どうしても来れぬのだ。お前に会えぬことをひどく残念がっていた」


 龍翔の返答に、初華は残念そうに吐息する。


「出立まで、時間がありませんものね。乾晶から戻ってこられたばかりですもの、さぞかしお忙しいことでしょう……。にもかかわらず、今日は来てくださって嬉しいですわ。帰りには、たっぷりとお菓子をお渡ししますから、張宇に持って帰ってくださいましね」


 にこにこと笑いながら、初華が龍翔と季白を先導する。


 龍翔と同じく、初華もまた、皇帝に拝謁するためのきらびやかな衣装から、もう少し落ち着いた衣装に着替えていた。


 が、薄紅やだいだい、差し色の空色など、あざやかな色彩の衣は、十分に華やかだ。はっきりとした愛らしい顔立ちの初華にもよく似合う。


 だが、なぜだろう。約二か月ぶりに可愛い妹に会えたということもあるだろうが、隣を歩く初華の姿を目にするだけで、妙に心がさざめく。と。


「そんなにわたくしを見られて。どうかなさったのですか?」

 

 歩調を緩めた初華が、頭一つ高い兄を見上げる。


「わたくし、嬉しすぎてはしゃぎすぎてしまったでしょうか?」

「いや、そんなことはない」


 笑顔でかぶりを振り、龍翔は不意に気づく。


 姿勢が良いので、実際の身長より背が高く見えるが、初華と明珠は、体格がよく似ている。


 何度も、この腕に抱き寄せたことのある少女。

 明珠に背格好が似ているというだけで、無意識に反応してしまうなど。


「……わたしも、久々にお前に会えて嬉しいだけだ」


 内心の苦笑を押し隠し、龍翔は柔らかに妹に微笑んだ。


  ◇ ◇ ◇


 初華が龍翔と季白を案内したのは、初華に与えられた瑪瑙宮めのうきゅうの中でも、こじんまりとした部屋だった。


 居心地よさそうに調度が整えられたこの部屋には、龍翔も何度も足を踏み入れたことがある。

 奥まった小部屋は、人に聞かれたくない話をするのにうってつけだ。


 六人ほどが座れる卓の上には、すでに豪勢な料理が並べられていた。もし、ここに明珠がいれば、歓声を上げていただろう。


 が、もちろん皇女である初華は平然としたものだ。


「どうぞ、おかけになってくださいまし」

 と、宮の女主人らしく、ゆったりと告げる。


 杯に酒をつごうとした侍女を、龍翔は、

「今日は酒はよい」

 と押しとどめた。


「どうなさったのですか? お身体の調子でもお悪いのですか?」


 初華が心配そうに愛らしい面輪をしかめる。


 途中で茶に変えるものの、最初は酒で乾杯するのが、初華との食事の慣例だ。

 龍翔はあわててかぶりを振った。


「違う。体調が悪いわけではない。その……。乾晶にいる時に、飲まされ過ぎて失態を犯してしまってな。それ以来、酒を飲まぬようにしているだけだ」


 今、思い返しても、総督主催の宴の夜、あれほど酔ってしまったのか、理由がわからない。


 季白と張宇と安理以外の者の前で、酔った姿など、見せたことがないというのに。

 まさか、明珠の前で、記憶を失うほど酔っ払ってしまうとは。


 あれ以来、ずっと酒を断っている。もともと、特に好きというわけでもないので、何の問題もない。


 晟藍国へ行けば、歓迎の宴などで嫌でも飲まねばならぬ事態はあるだろうが、その時は気をつけるほかない。


 龍翔の返事に、初華が目を円くする。


「ええっ!? お兄様が酔って失態を犯されるなんて……っ! 何があったのです!?」


「いや、ただ少し、度を過ぎてしまっただけだぞ?」


「わたくしですら、お兄様が酔ったお姿なんて、見たことがないのに……。ねえ、季白。何があったの?」


 初華がどことなく悔しげに季白に問う。


 一瞬、乾晶でのことを季白が口にするのではないかとあわてたが、季白はにっこりと初華の視線を受け止めると、淡々と口を開いた。


「乾晶は北西地方最大の交易都市でございますから。異国から渡ってきた初めて飲む美酒に、さしもの龍翔様も、加減を誤られたのです」


「そう、なの……? でも、一度も酔われたことのないお兄様が……」


「晟藍国にも、きっと遠い国々の美酒があることでしょう。晟藍国の宴では、初華様も龍翔様が酔われたお姿を目にする機会に、恵まれるかもしれませんよ?」


 季白の言葉に、龍翔は今日の目的を思い出す。


「わたしのことはよい。それより、初華。今日訪ねたのはほかでもない。お前に、聞きたいことがあったからだ」


 龍翔の言葉に、初華がそばにいた侍女達に目配せする。


 三人の前にうやうやしく茶器を置いた侍女を最後に、侍女達が皆、丁寧に一礼して退出していく。部屋の中に残されたのは龍翔達三人だけだ。


 龍翔は侍女達には目もくれず、大切な妹姫の表情の変化を欠片たりとも見逃すまいと、初華を見つめたまま、問いを紡ぐ。


「初華。今回の『花降り婚』だが……。龍華国のために、と自分の意志を曲げて、無理をしてはおらぬか?」


 龍翔が何よりも心配しているのはそこだ。


 兄の欲目ではないが、初華はかなり頭が回る。


 龍華国皇女としての義務と、晟藍国との国力の差、国益などを勘案し、たとえ己の意思が周囲の望みから外れていても、本心を悟らせずに、周りの望むままに振る舞えるほどに。


 そして、年若く病弱な腹違いの妹、優華ゆうか姫の身代わりをためらいもなく努めるほどに、情が深い。


 今の龍翔の立場では、皇帝、ひいては国の決定をくつがえすほどの力はない。


 だが、初華に何か望みがあるのならば、龍翔の力の及ぶ限り、叶えてやりたいと思っている。


 龍翔の問いに、初華は再び目を見開いた。かと思うと。


「ふふっ。お兄様は、本当にお優しゅうございますね」


 初華が嬉しくてたまらないとばかりに微笑む。


「ですが、ご心配はいりません。今回の『花降り婚』は、わたくし自身、とても楽しみにしておりますのよ? だって、正々堂々とこの王城から出て、異国へ行けるのですもの!」


 初華の弾んだ声に、龍翔は胸を突かれる。


 皇子である龍翔とは違い、皇女達は、王城から出ることすら滅多に許されぬ窮屈きゅうくつな身だ。

 儀式などで王城を出る際には、ものものしい警備がつく。


 それもこれも、ただ、《龍》の血脈を他の勢力に奪われぬためだけに。


 頭ではわかっていても、皇女の身の不自由さは、男の龍翔には、きっと一生実感できぬだろう。


 王城の外に憧れる初華の気持ちは痛いほどわかるが。


「だが、嫁ぎ先の晟藍国は、かなり政情が不安定なのだろう? 国王夫妻が暗殺され、わずか八歳の少年が新王だなど……っ!」


 思わず言い返すと、初華の真っ直ぐなまなざしにぶつかった。


 強い光を宿した瞳で龍翔を見つめたまま、初華はきっぱりと告げる。


「それでも、ですわ。危険や苦労は承知の上です。それでも――この華やかな牢獄ろうごくから出られる機会があるのなら、わたくしは躊躇ためらわずに、それにすべてを賭けてみせます」


 思わず息を飲んだ龍翔に、初華は見る者を魅了せずにはいられない華やかな笑みを浮かべる。


「それに、むざむざと利用される気など、まったくありません。わたくしの実力は、お兄様もご存知でしょう?」


「それはもちろんだ」

 龍翔は深く頷く。


 《龍》の気さえ、顕現けんげんしなかったものの、初華の術師としての実力は、並みの術師を軽くしのぐ。

 さらには、皇女として厳重な警護に守られた初華に、そうそう危険が及ぶとは思えない。だが。


「兄として、妹を心配するのは当然のことだろう?」


 真摯しんしな想いを声に乗せて告げると、くしゃりと初華の愛らしい面輪が、今にも泣き出しそうに歪む。


「初華……」


 まだ二人とも幼い頃、互いの立場などよくわかっていなかった頃を連想させる表情に、龍翔は思わず身を乗り出し、大切な妹へ手を伸ばした。


 頬にふれた龍翔の手のひらに、初華が愛おしそうに頬ずりし。


「本当に、お兄様はお優しすぎますわ……」


 初華が、潤んだ声で呟く。

 だが、その声は嬉しさに満たされていて。


「お兄様のそのお気持ちだけで、わたくし、何だってできそうな気がいたします」


 瞳を潤ませて呟く初華に、なぜか隣の季白が深く頷いて同意している。


「ありがとうございます。お兄様のお気持ちは、十分に伝わりましたわ」


 初華がそっと、龍翔の手を頬から外す。

 椅子に座り直した龍翔に、初華は打ち明け話をするように、悪戯いたずらっぽく微笑んだ。


「ですが、ご安心下さいませ。初華は、本当に望んで嫁ぐのです。ほんの少しだけですけれども、藍圭らんけい様にもお逢いしたのですよ?」


 藍圭らんけい。それが、晟藍国の現国王である八歳の少年の名だ。

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