21 黒曜宮にはいられません!? その1


 皇帝が文武百官と拝謁はいえつする龍正殿りゅうせいでんには、今朝も大勢の高官が詰めかけていた。


 昨日、龍翔が乾晶からの帰還を皇帝に報告した時よりも多いのは、このたびの『花降り婚』が、龍華国を挙げての式典だからだろう。


 昨日よりもさらに豪奢ごうしゃな衣をまとった龍翔の隣には同じくきらびやかな玲泉が、そして二人の前には、天女と見まごうほど美しくめかしこんだ初華が、深くこうべを垂れ、皇帝の宣旨せんじを受けている。


「初華よ。『花降り婚』の『花』として、そちを晟藍国せいらんこく王、藍圭らんけい殿の元へ遣わす」


 あまり抑揚のない皇帝の声が、宣旨を下す。


 今上帝きんじょうてい龍禅りゅうぜんは、御年五十一歳。


 長年、美食と放埓ほうらつに明け暮れている身体は、皇帝だけに許された金色こんじきの龍が刺繍された衣の上からでもわかるほどに、たるんでいる。


 よく言えば、大国・龍華国の皇帝として、豊かさの象徴であるといえるが、どうにも覇気に欠けるという印象がぬぐえない。


「藍圭殿の正妻として、よく務めを果たせ」


 娘を遠い他国に嫁がせるにしては、あまりにも冷え冷えとした言葉が、無気力に紡がれる。


「謹んでお受けいたします」


 対して、深々とこうべを垂れて発された初華の声は、快活に響く。


「龍華国皇女の名に恥じぬよう、身を慎んで努めます」


 はきはきとした初華の声に、龍翔は内心で安堵する。


 『花降り婚』という突然の運命の変転を嘆いていたらどうしようかと心配していたが、少なくとも、今この場にいる初華は、龍翔のよく知る、明るく華やかな妹姫だ。


 とはいえ、気の強さゆえに、内心を押し隠している可能性は大いにあるが。


 初華の言葉に、何の感慨も抱いた様子もなく頷いた皇帝が、次いで、龍翔と玲泉に視線を向ける。


「初華の差し添え人は、龍翔と玲泉、そちらに命ずる」


「「謹んでお受けいたします」」

 龍翔と玲泉は声をそろえて答える。


「龍翔。わしの名代として、龍華国の権威を、晟藍国に知らしめよ」


「陛下のご期待に応えられますよう、身命を賭して任じまする」


 龍翔はさらに深く、頭を下げる。


 前回、乾晶に派遣された時とは異なり、今回は、皇帝の名代という立場だ。


 また王城から遠く引き離されるのは困るが、逆に言えば、豊かな晟藍国と顔をつなげる好機でもある。


(……つつがなく任を果たせられればの話だがな……)


 いまだに捕らえられぬ刺客の術師。晟藍国の内情、明珠に興味を持つ玲泉など、不安要素は尽きない。


 だが、望むものを手に入れるために、一歩一歩、着実に進んでいくしかない。


 かしずく高官達には目もくれず、皇帝が近侍きんじとともに退出すると、広々とした龍正殿の空気がわずかに緩んだ。


 初華が立ち上がったのに合わせて、龍翔と玲泉も立ち上がり、龍正殿を出る。


 高官達も、身分が高い者から順に、退出していく。その中には玲泉の父親であるこう大臣の姿もあった。


「お兄様! お帰りなさいませ!」


 龍正殿を出、人波から少し外れたところで、一歩先を歩いていた初華が、笑顔で龍翔を振り返る。


「乾晶でのお務め、お疲れ様でございました。副総督、貞の不正を見抜かれただけではなく、『黒い砂嵐』と呼ばれ恐れられる砂波国軍を追い返されるだなんて、さすがお兄様ですわ!」


 明るい笑顔で褒めたたえる初華に、「運が良かっただけだ」と返す。


 乾晶で、明珠が晴晶のかたくなな心をほどかねば、きっと砂波国の騎馬軍団への対応が、間に合わなかった。


 ぎりぎりの綱渡りを、運よくなんとか渡り切ったようなものだ。


 龍翔が言を継ぐより早く、初華が口を開く。


「お兄様。この後、わたくしの宮へ来てくださるのでしょう? よろしければ、昼食もこちらで召し上がられません? 侍女達もお兄様や季白の話を聞きたがるに決まっているもの。ちゃんと、張宇のためにお菓子もたっぷり用意しているのよ?」


 苦虫を噛み潰したい気持ちを押し隠し、


「いや、一度、黒曜宮へ戻らせてもらおう。冠をつけていては、堅苦しくて気詰まりだしな」


 と笑顔で答えた龍翔は、その表情のまま、後ろをついてきていた玲泉を振り返る。


「玲泉殿。貴殿も来ないか? ともに初華の差し添え人となった身。事前に打ち合わせしておいた方がよいことは山とあるだろう?」


 龍翔達が晟藍国へと旅立つのは三日後だ。驚くべき短さだが、晟藍国は一刻も早く『花降り婚』を、と望んでいるらしい。


 もっと早くに玲泉を振り切っておけばよかったと、龍翔は後悔する。


 本当ならば、玲泉など招きたくはない。玲泉がいれば、初華は決して本心を明かさぬだろう。


 だが、今日の午後は龍翔や季白達が黒曜宮にいないと知られてしまった。


 玲泉の性格だ、龍翔のいないうちに、黒曜宮を訪れる好機だと考えるに違いない。

 ならば、龍翔の目の届くところに引き留めておいたほうが安心だ。


 龍翔の誘いに、玲泉は「とんでもないことでございます」と恐縮したようにかぶりを振る。


「わたくしなどが、龍翔殿下と初華姫の語らいの邪魔をしては、心苦しゅうございます」


「遠慮などいらぬぞ。ともに晟藍国へ行く仲ではないか」


 笑顔で圧をかけると、玲泉が柔らかに口元を緩めた。


「龍翔殿下の寛大なお心に感謝いたします。ですが、あいにく、本日は先約がございまして……。よろしければ、またの機会に黒曜宮にうかがわせていただいてよろしいでしょうか?」


 「断る」と即答したい衝動をこらえ、龍翔はさも恐縮したように眉を寄せる。


「玲泉殿にご足労をかけては申し訳ない。わたしが玲泉殿の執務室へ伺おう」


 玲泉はゆったりとかぶりを振る。


「それこそ、恐れ多いことでございます。龍翔殿下にはお教えいただきたい儀もございますので。わたくしがうかがいまする」


 表面上はにこやかな――けれども、まなざしに火花を散らして、龍翔と玲泉は見つめ合う。


 通り過ぎて行く高官や従者達が、興味深そうに三人を見つめていく。


 この三人でいると、嫌でも衆目を集めてしまう。


 誰が何を聞いているかわからぬところで、明順の名が出される事態は、断固として避けたい。


 何と言って玲泉を追い払うか悩んでいると。


「まあ! それでは、わたくしもお兄様の宮へ遊びに行きたいわ!」


 龍翔と玲泉の間に漂う不穏な空気など、まるで読んでいないかのように、初華が楽しそうに手を打ち合わせる。


 あえて空気を読んでいないのは、龍翔には明白だ。


「ねえ、お兄様。よろしいでしょう?」


 正直なところを言えば、たとえ初華であろうとも、あまり宮には来てほしくないのだが。


 可愛い妹に小首をかしげて顔をのぞきこまれては、龍翔に断るすべがあろうはずがなく。


「わかった……。出立前に、機会があればな」


 龍翔は、深く吐息しながら頷いた。


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