20 まさか湯殿に乱入です!? その3


「っ!?」


 尋ねた瞬間、秀麗な面輪が強張った。


 右手を持ち上げかけ――何かを耐えるかのように、龍翔が長い指先を握りこむ。


 まるで痛みをこらえるかのような表情を見せたかと思うと、隠すように視線を伏せられた。


「龍翔様?」


 思わず前かがみになり、身を乗り出して顔をのぞきこもうとする。

 と、龍翔がぎょっ、と目を見開いた。


 両肩を掴まれ、力任せに引きはがされる。


「ひゃっ」


 あまりの勢いに、後ろに体勢を崩しそうになる。


 支えようとした龍翔の手が、一瞬、揺らめいたかと思うと、少年の小さな手に変わる。


 倒れそうになるのをかろうじてこらえ、お互いに、大きく息をついた。


「《気》がついえたか……。気分が落ち着いたなら、ちゃんと髪を乾かして、着物を替えておけ。わたしは、梅宇達に用がある。隣の張宇の部屋に行っているので、ゆっくりしておけ」


「もう、おやすみになられるこんな時間にですか?」


 いったい何の用だろうかと驚いて尋ねると、龍翔が苦く吐息した。


「禁呪の話は伝えたが、実際の姿を見せた方がわかりやすと思ってな」

「それは確かに、そうでしょうね」


 この愛らしい少年龍翔と、凛々しい青年姿が同一人物だとは、にわかには信じがたい。


 龍翔の私室は、両側の壁に内扉がついている。片方が季白の私室で、もう片方が張宇の部屋だそうだ。


 丈長の着物の裾をからげ、張宇の私室へ入っていく龍翔を見送ってから、明珠はついたての自分側へ移動した。


 元々が広い部屋なので、衝立で仕切られた明珠の区画だけでも、小さな部屋くらいの広さがある。


 合わせを緩めていた着物を直し、櫛で髪を梳いていると、内扉の向こうから悲鳴が聞こえた気がして、明珠は耳をそばだてた。


 何やら、扉の向こうがひどく騒がしい。


 どうしたのかと不安になり、明珠は遠慮がちに扉を叩くと、そっと押し開けた。


 開けた瞬間、取りすがるように少年龍翔を囲む梅宇達が目に飛び込んできて、ぎょっとする。


「おいたわしや……っ! 立派な青年のお姿から、童子のお姿になられるとは……っ!」


 今にも泣きだしそうに声を震わせているのは梅宇だ。


「《術》を使えぬのは、さぞかし心許こころもとないことでございましょう」

「本当に、禁呪をかけた術師は許せませんわ!」


 梓秋も梓冬も、ふっくらした顔を盛大にしかめている。


「ああ、ですが……」


 梓秋が、わずかに表情を緩める。


「この愛らしいお姿……。お懐かしゅうございます」

「わたくし達がお仕えして間もない頃を思い出しますわ……」


 梓秋と梓冬がしみじみと呟く。


「確かに、わたくし達が手塩にかけた龍翔様が、ご立派に成長されたことを思うと、心が震えずにはいられませんが……」


 梅宇の声が感動に震える。


 龍翔が気まずそうに侍女達から身を引こうとした。が、三人の手がそれを許さない。


「そうそう。この頃はまだおせになっていて……」

「熱もよく出されておりましたね……」

「ええ、ええ。この頃の龍翔様はほんとうにお可愛らしくて……」


 龍翔を囲む三人の目は、まるで溺愛する孫を見る祖母のようだ。


「お前達が心配してくれているのはよくわかったから、もう放せ」


 ぶかぶかの着物をまとった龍翔が、三人の手をやんわりと押しのける。

 さしもの龍翔も、梅宇達を邪険に振り払うのは難しいらしい。


「わかっているだろうが、禁呪のことは他言無用だ」


 愛らしい顔を精いっぱいしかめ、重々しく告げた龍翔に、梅宇達は、


「「「もちろんでございます」」」

 と声をそろえてきっぱりと頷く。


「わたくし達が、龍翔様の御為にならぬことをするはずがございません!」


「うむ。頼んだぞ」


 にっこりと愛らしい笑顔を見せた少年龍翔に、梅宇達が感極まった声を上げる。


 気持ちは明珠もよくわかる。

 少年姿の龍翔の笑顔は本当に愛らしくて、胸がきゅんとする。順雪と甲乙つけがたいくらいだ。


「ゆっくりしていたところを呼びつけて悪かったな。もう下がってよいぞ」


 龍翔が優しい声で梅宇達に話しかける。


「王城では気が抜けぬゆえ、この姿をお前たちに見せることは、もうあるまい」


 梅宇達が残念そうな声を洩らす。それには返さず、


「で、お前はどうしたのだ?」


 龍翔が明珠を振り返る。明珠が覗いていたのに気づいていたらしい。


「す、すみませんっ。覗き見するつもりは……。声が聞こえたので、何があったのかと……」


 あわてて扉を閉めようとすると、待て、と止められた。


「わたしも部屋へ戻る」


 龍翔の言葉に、明珠は大きく扉を開く。龍翔が入り、ぱたりと扉を閉めると、龍翔が明珠を見上げ、ほっとした表情になった。


「うむ。もう顔色は大丈夫そうだな」

「はい! あの、ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした!」


 勢いよく頭を下げる。


「過ぎたことはもう気にするな。その、それより……」


 龍翔が気まずそうに明珠に向き直る。


「梅宇達を話していたのを聞いていたのだろう? 自分の宮とは言え、王城へ戻ってきた以上、いつ何が起こるかわからぬ。それゆえ、わたしはしばらく少年の姿になるつもりはない」


「ええっ!?」

 思わず、すっとんきょうな声が出る。


 梅宇達に少年姿を見せることはないと言っていたが、夜の間だけ少年姿になるので、見せる機会がないのだと思っていたのだが。


「あ、あの。では、眠られる時は……?」

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