18 人の好みはそれぞれでございますから その2


「梅宇殿。少しよろしいですか? お話があるのですが」


 着替えた龍翔を黒曜宮から送り出した後、季白は厨房ちゅうぼうで梅宇達三人を見つけた。


 明珠の姿はない。まだ張宇に、周康と一緒に宮の案内をしてもらっているのだろう。好都合だ。


「わたくしも季白様にうかがいたいことがございました」


 梅宇が強いまなざしで季白を見返す。梅宇の一歩後ろでは、梓秋と梓冬がこくこくと頷いていた。


 梅宇の言葉を予想していた季白は、視線で厨房の片隅にある作業用の卓を示す。梅宇達がそそくさと卓につき、


「龍翔様に、いったい何が起こってらっしゃるのですか!?」


 椅子に座るより先に、季白は、身を乗り出した梅宇に問い詰められた。


「そう思われるお気持ちは、十分にわかりますが……」


 季白は嘆息しながら梅宇達に共感する。


 季白とて、遠征前の龍翔から、突然、今日の龍翔を目にすれば、「いったい何が起こったのですか!?」と問い詰めていただろう。

 まあ、季白が龍翔のそばを長く離れることなどありえないが。


 ずっと聞きたかっただろうに、龍翔の御前で問い詰めるのを我慢していたのは、さすが梅宇達という他ない。


 心中にたまっていた疑問をようやくぶつけられる機会を得た梅宇達が、更に身を乗り出す。


「いくら解呪のために大切な従者とはいえ……っ! 龍翔様の変わりようは何か深い理由がおありでございましょう!? あのように、新参者の従者に心を砕かれるなど……っ!」


 梅宇達は我が目で見たものをすぐに信じたくないらしい。


 その気持ちが嫌というほどわかり、季白は深く深く吐息した。


 今でさえ、毎日目にする光景が、いつか覚める悪夢ならと、心の片隅で願う己がいる。

 敬愛する主が、取るに足らぬ小娘を可愛がっているなど。悪夢以外の何物でもない。


「見た光景を信じたくないお気持ちは、わたしも十分、共感いたします……。が、梅宇殿達もその目で見られた通り、龍翔様はあの小娘を妙に気に入ってらっしゃいます」


 きっぱりと告げると、


「やはり……」

「あら……」

「まあ……」


 と、得心したような、理解はしたけれども納得はしたくないような、微妙な呟きが返ってきた。


 季白は一つ吐息して口を開く。


「なぜ、あのような小娘を気に入ってらっしゃるのか、わたしにははなはだ不思議でなりませんが」


 抑えようとしても抑えきれない溜息が、無意識にこぼれ出る。


「おそらく、これまでおそばにいなかった、庶民育ちの貧乏人というのを目新しく感じてらっしゃるのだと思われますが……」


「あら、でもけっこう可愛いわよね?」

「まあ、龍翔様と見比べたら、誰だって見劣りしてしまうのは仕方がないけれども」


 梓秋と梓冬が顔を見合わせる。

 梅宇は卓の上で右の拳を握りしめ、ふるふると肩を震わせていた。


「今まで、どのような美姫を目にしても、お心を動かされなかった龍翔様が、あれほど楽しげに娘をかまわれているなど……っ! いえっ、龍翔様のお喜びはわたくしどもの喜び! 害のない娘ならば、龍翔様がちょうをお与えになるのを、お止めするわけにはいきませぬが……っ」


「いえ、梅宇殿。大いに問題があるのです」


 季白の言葉に、梅宇がはじかれたように顔を上げる。


「問題ですって!? 龍翔様の御身にまだ何かっ!?」


 悲痛な声を上げる梅宇と視線を合わせ、季白は己の言葉が梅宇の心の奥底に沁み込むよう、ゆっくりと告げる。


「龍翔様はお優しい御方。あの小娘は、男女のむつみごとに対する知識が一切といっていいほどなく……っ。それをあわれんで、龍翔様は手を出しかねていらっしゃるのです」


「っ!?」

「あら!」

「まあ!」


「禁呪の解呪には明順の《気》が関わってまいります。解呪の特性を持つ明順と床を共にすれば、禁呪に何らかの変化があるやもしれぬというのに、慈悲深い龍翔様は、小娘なんぞの気持ちをおもんぱかり……っ‼」


 話すうちに、季白の中で明珠に対する怒りがどんどん大きくなってくる。


 もちろん、蚕家を発った日の夕方、龍翔に差された釘を忘れたわけではない。

 龍翔の言葉を、季白が忘れるなどありえない。


 だが。


「解呪の手がかりが目の前にあるというのに、それを試さぬ道理がありましょうか!? いえ、ありませんっ! 小娘が世間知らずすぎて、龍翔様が手を出しかねるというのなら……っ」


 季白はぐっ、と拳を握りしめる。


「年頃の娘にふさわしい知識を教え込んでやればいいのです!」


 媚薬を使った企みは失敗し、龍翔の激怒を買った。


 ならば、正攻法で攻めればよい。


 男の季白が教えるのは、またもや龍翔の怒りを招きそうだが、その点、同性の梅宇達なら安心だ。


 それに季白は、長年、親身になって仕えているこの三人に、龍翔がなんだかんだ言って甘いのを知っている。乾晶を発つ前に、わざわざ三人のために土産を探しているほどだ。

 加えて、嫁入りや出産の経験がある三人なら、教師として申し分ない。


 季白の熱弁に、梅宇が探るような視線を向ける。


「一つ、確認しておきますが……。その、季白様は、ゆくゆくはあの娘を、龍翔様の寵妃ちょうひとしてぐうするおつもりなのですか?」


「はっ!」

 問われた瞬間、反射的に鼻で笑う。


「あの小娘に求めているのは、解呪の効果だけですよ。龍翔様のおそばにはべる女人なら、もっとふさわしい方がいるはずです! あんな、無知で無謀で世間知らずな小娘など……っ! ただ……」


「ただ?」

 季白の呟きに、梅宇が小首をかしげる。季白はゆるりと首を横に振った。


「いえ。まだこれは確認していない情報ですので……」


 思い出されるのは、蚕家での遼淵の様子だ。


 《龍》が絡んでいるためだろう。二日前、明珠を応対した遼淵は、すこぶる上機嫌だった。


(解呪の後も、遼淵殿が小娘を気に入り続けるのなら、あるいは……)


 当主の遼淵自身は、己の好奇心を満たすことが第一で、政治になど全く興味を持っていないが、それでも宮廷術師として名をせる蚕家の影響力は大きい。


「とにかく! 梅宇殿達のお力で、あの幼稚な小娘に、真っ当な知識と、龍翔様のおそばにお仕えする心得を、叩きこんでやっていただきたいのです! 骨のずいまでっ!」


「季白さんにそこまで頼まれたら、引き受けないわけにはいきませんけれど……。明順ちゃんっていくつなんです?」


 口を開いたのは梓秋だ。


「本名は明珠と言います。が、ここでは必ず明順でお願いいたします。年は十七ですが」


「さすがに十七歳なら、いくら無知でも多少の知識は……」

 梓冬が眉をひそめながら呟く。


「甘いです! あの小娘の愚かさを見くびってはなりません!」


 季白は卓を打ちつけたい衝動を、拳を握りこんで何とかこらえる。


「あの小娘は龍翔様と同室になるとわかった時に、何と言ったと思います!? 何をしたら赤子ができるかすら知らないのですよ!?」


「「「……えっ?」」」

 三人が、異口同音に固まる。


「あら……。それは相当ねぇ……」

「……そんな娘に、わたくし達で教えられるのかしら……?」


 梓秋と梓冬が、表情を曇らせて呟く。

 きっぱりとした声を出したのは梅宇だ。


「季白様のおっしゃりたいことはわかりました。龍翔様の御為ならば、どのような娘であろうとも、この梅宇が仕込んでみせましょう。ただ――」


 梅宇が鋭い視線で季白を見据える。


「仮にも龍翔様のおそばにはべるのです。人となりなどは、こちらでしっかり確かめさせていただきますよ?」



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