18 人の好みはそれぞれでございますから その1


「……季白。お前はどう考える?」


 私室で豪奢ごうしゃな絹の着物を脱ぎながら、龍翔は信頼する部下に尋ねた。


 短い沈黙の後、季白がはきはきと答える。


「玲泉様の目的もですが、わたくしとしましては、玲泉様がなぜ、拝謁はいえつの場にいなかったのかが気になります。今日、あの時刻に、安理と明順が王城にいることを知っていた者が、我々以外にいたとは思えません。玲泉様と出くわしたのは、安理も言っていた通り、偶然でございましょう。となれば、なぜ、玲泉様があそこにいたのか……」


「理由によっては、牽制けんせいの材料となるか……」


 季白が言わんとした内容を引き継ぐ。

 龍翔が脱いだ上衣を受け取りながら、季白がこくりと頷いた。


「安理によると、玲泉様から声をかけてきたということですから、後ろ暗いところがない可能性も高いですが」


「安理は玲泉と顔見知りだったか?」


 情報収集のためだろうが、安理は驚くほど顔が広い。龍翔が把握しているのは一部だけだ。


「親しいという話は聞いたことがありませんが、お互いに顔は見知っていたのではないでしょうか。安理は顔が広いですしね。……さすがに玲泉様の『遊び相手』の一人ではないと思いますが」


 季白が恐ろしいことをさらりと言う。


「まさか。それはないだろう」


 思わず龍翔は顔をしかめて呟いた。

 龍翔自身は、自分の見目が人より多少は良いという自覚がある。


 身分ゆえ、あからさまに迫られたことはないが、異性だけではなく、同性からも熱い視線を投げかけられた経験は、嫌というほどある。


 他人の趣味にまで口出しする気は欠片もないが、龍翔自身の正直な気持ちは「勘弁してくれ」だ。


 とはいえ、欲得まみれの異性に迫られるのもご遠慮願いたいが。


 季白があっさりと首肯する。


「ええ。安理はふつうに女性が好きと公言していますしね。玲泉様のお好みも、美青年より、少女とみまごうような美少年らしいですよ」


「それでは明順そのものではないか!」


 思わず声を荒げると、季白が深く吐息する。


「まったく、困ったことです。まあ、明順の正体を知れば、手を出す気もなくなるでしょうが――」


「正体が知れるような行いを、玲泉に許すわけがなかろう!?」


 一瞬、脳裏をよぎった光景が、龍翔を激昂させる。

 もし、万が一にでもそんな事態が起こったら、誰であろうと叩っ斬ってやる。


「もちろんです。決してそんな事態を許すわけにはまいりません!」


 季白がきっぱりと力強く断言する。


「龍翔様の御為に、明珠の正体はなんとしても隠し通さねば!」

「っ!」


 無言で、季白の胸元に手を伸ばす。

 乱暴に着物の合わせを掴み、ぐい、と季白を引き寄せ。


「お前は、わたしの言いたいことを理解しているか?」


「もちろんでございます」


 息がかかるほど間近に迫った龍翔の面輪おもわに、一片の動揺も見せず、季白が主を見返して即答する。


「玲泉様などに明順の貞操をけがさせるわけにはいかぬというのは、龍翔様のお心に沿うものと思っておりますが」


「……ならば、よい」


 吐息とともに低く呟き、季白の胸元から手を放す。


 季白が「龍翔以外の者」からは明順の貞操を守る気なのは明らかだが、今はその差異を埋めている暇はない。


「……そもそも、玲泉様が本気で明順に手を出す可能性自体、少ないとわたくしは考えております」


「どういうことだ?」


 乱れた着物を直しながら呟く季白に問い返すと、季白があっさりと答える。


「玲泉様であれば、遊び相手など、よりどりみどりでございましょう? 蛟家こうけの若君のお気に入りになれるとあらば、意を曲げてでも相手になりたいと望む者は多いはず……。何も好きこのんで、機微にうとい明順などに――」


「あれほど愛らしい者も、そうおらぬだろう?」


 明順をこき下ろす季白に思わず言い返すと、泥団子を口につっこまれたような表情が帰ってきた。


 が、賢明にも、口に出しては何も言わない。

 無言で龍翔の肩に絹の衣をかけ、


「……まあ、龍翔様を筆頭に、人の好みはそれぞれでございますから……」


「玲泉の好みなど、知る気もないがな。とはいえ、決して明順の正体を知られるわけにはいかん。明順を黒曜宮から出さぬよう、いや、人目にさえふれさせぬよう、梅宇達にも重々伝えておいてくれ」


「かしこまりました。もともと、明順を宮から出す気はございませんでしたが……。本人にも、重々言い聞かせておきましょう」


「厳しすぎる物言いはするなよ。お前はどうも、明順に厳しすぎるきらいがある」


「……わたくしは、龍翔様と張宇がことさらに甘いのだと思いますが。明順を目立たせなくないのでしたら、娘として特別扱いするのではなく、他の従者と同じように扱うべきではございませんか?」


 季白の正論に、口をつぐむ。


 明順にはどうにも甘くなってしまうという自覚はある。


 これまで、気心の知れた男の従者しかそばにいなかったため、初めての年頃の娘の従者に対し、戸惑いもある。何より。


「明順をお前や張宇と同じように扱えぬのは仕方がなかろう。お前と張宇はわたしの両翼。誰よりも信頼する従者なのだから。……どうした?」


「いえ! 今後とも、誠心誠意、この身のすべてでもって龍翔様にお仕えさせていただきたいと、気持ちを新たにしているだけでございますっ!」


 なぜか突然、身を震わせ始めた季白に問うと、喜色に満ちた声が返ってきた。

 何はともあれ、季白がやる気を出してくれるのはよいことだ。


「王都に滞在できる時間は限られているからな。午後からは、王城内を回ってくる。また遠くへ行くとなれば、あれこれと調整せねばならんことも多いしな。季白、お前は?」


「わたくしも各省庁へまいりますが……。まさか、龍翔様お一人で出られる気ではございませんよね!?」


 帯を締めた龍翔に季白が食ってかかる。


「張宇は宮に残していくが、心配せずとも大丈夫だ。《気》もまだ十分にある。さすがに警備の厳しい王城で狙われることはあるまい。だからこそ、敵はわたしを王都から引き離そうとしているのだからな」


「ですが、供の一人もつけぬなど……っ! 軽んじられます!」


「ならば、周康を連れてゆけばよいだろう。周康を連れ歩けば、嫌でも目立つ。目くらましにもちょうどよい」


 今朝、王城で馬車を下りた時の高官たちの反応を思い出し、薄く笑う。


 遼淵りょうえんの高弟、周康が龍翔につき従っているのを見て、動揺した者は多かったはずだ。


 どの派閥にも属さず、常に自由気ままな蚕家の遼淵が、まさか龍翔と組んだのか、と。


「確かに、周康殿でしたら、供としてうってつけでございますね。せいぜい連れ回して、宮中のお歴々の心をさざめかせてくださいませ」


 季白が人の悪い笑みを浮かべる。が、きっと龍翔も同じような表情をしているだろう。


 周康は野心の強い若者だ。師である遼淵の覚えがめでたくなるよう、そして自身の出世のために、そつなく動いてくれるに違いない。


 帯を締めた龍翔は深く吐息する。


「まったく……。なぜ、よりによって明順なのだ。わたしや他の者ならば、手酷てひどく拒絶するなりなんなり、自身で断るのだろうが……」


 明珠の場合、あまりに初心うぶすぎて、不安しかない。


「そもそも、男色というものがあること自体、知らぬようだからな……」


「団子と言っていましたね。あの世間知らずは」

 季白が呆れを隠さず嘆息する。


「世間知らずではなく、真っ当に育ってきたというべきだろう。……危なっかしいのは否定せんが」


 玲泉が明順に迫るなど、考えただけで吐き気がする。


 しかも、明珠のあの無防備さだ。自分が狙われているということすら、なかなか気づかないのではないかと、心配で気が変になりそうだ。


「……季白。何でもよい。明順を宮の一室に閉じ込めておける仕事を考えておけ。書類仕事でも縫物ぬいものでも、何でもよい」


「かしこまりました」

 龍翔の言葉に、季白は恭しく一礼した。

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