17 美少年を見つけて放っておくワケがないっスよ その2


 梅宇は真剣な表情で龍翔に向き直る。


「龍翔様はすでに初華姫様の『花降り婚』については聞き及んでらっしゃいますか?」


「ああ。おととい、蚕家に寄った際、遼淵から聞いている。わたしが差し添え人に選ばれたこともな。陛下より正式な勅命が下るのは明日と、今日の拝謁の際に伝えられたが……」


 龍翔の言葉に頷いた梅宇が口を開く。


「龍翔様が乾晶に赴かれていた半月ほど前のことでございます。宮中で口止めがされておりますので、わたくしも人伝えに聞いただけでございますが。人の口に戸は立てられぬものでございますから……」


 前置きをした梅宇が話し出す。


瓓妃らんひ様が、おたわむれで玲泉様のお手にふれられたそうです。玲泉様は、すぐに振り払われたそうなのですが、その……。その場でご気分がお悪くなり、嘔吐おうとされてしまったと……」


瓓妃らんひ様の前でですか!?」


 季白が目を見開いて問い返す。


「そのように聞いております」

 梅宇がきっぱりと頷いた。


 瓓妃というのは、第一皇子・龍耀りゅうようの生母だ。実家は龍華国でも名うての大貴族でもある。


「うひゃあ~っ!」

 と、安理が恐ろしそうに首をすくめた。


「瓓妃様にふれられて吐いちゃうって……。「玲泉サマは女人にふれると調子を崩す」って噂は、おんなけのための誇張かと思ってたっスけど、そりゃ、本物っスねぇ……」


「しかし……。伯母上が聞いた話が本当なら、なぜ明順の時は無事だったんだ?」


 張宇が凛々しい眉をひそめて呟く。


「えー、そりゃ、化粧の濃ゆーいオバサマと、可愛いコちゃんとなら――」


「そんなわけがないでしょう!?」

 季白が目を怒らせる。


「玲泉様は蛟家こうけの跡取り息子。蛟家では、玲泉様の女嫌いをなんとか克服させようと、手を尽くしていると聞きます。それこそ、若い娘など、百人以上試していることでしょう! その上で、受けつけぬという話なのですから!」


 季白が厳しい声音で反論する。


「明順」

 龍翔が明珠を振り返った。


「本当に、玲泉に手を握られたのか?」

 真剣なまなざしに緊張しながら、こくんと頷く。


「は、はい。ちょっとだけですけど……。確かに、手を握られました。あの……っ」


 不安のあまり、声が震える。


「わ、私、不敬罪か何かで罰されちゃうんですか……っ!?」

「そんなこと、わたしが許すわけがないだろう!」


 即座に言い返した龍翔が、明珠が肩を震わせたのを見て、深く吐息する。


「安理。もう一度確認するが、本当に、玲泉は平然としていたのだな?」


「そうっス」

 安理がきっぱりと頷く。


「少なくとも、オレの目には、調子を崩されたようには見えなかったっス。オレも、時間差の可能性は疑ってるんで、龍翔サマがお望みでしたら、この後にでも、本当に調子を崩していないかどうか、調べてまいりますけど……」


「ああ、頼む。ついでに梅宇が聞いた瓓妃との噂についても、調べてきてくれ」


「了解っス。……で。そのぉ~」


 安理がびくびくと龍翔を見やる。


「何だ? まだあるのか?」


 不機嫌そうに問うた龍翔に、安理は珍しく腰が引けた様子で、怯えながら言を継ぐ。


「そのぅ……。玲泉サマってば、明順チャンに興味を持っちゃったみたいで……。イエあの、龍翔サマにちゃんと許可を取ってくださいって牽制けんせいはしたんスけどね? その……」


 凍えるような威圧感を増した龍翔に、安理が「ひ――っ!」と情けない声を上げる。


「だって、あの場でどーすりゃよかったんスか――っ!? まさか、明順チャンの正体をバラすわけにはいかないでしょ!? そもそも、出会ったこと自体が想定外だったんスから‼ ましてや、明順チャンにふれても平然としてるなんて……っ! いや、それは正体がバレずに済んでよかったかもしれないっスけど! 玲泉サマが美少年を見て、放っておくワケがないじゃないっスか――っ!?」


 安理が自棄ヤケになったように叫ぶ。

 明珠もあわてて後に続いた。


「龍翔様! 安理さんは悪くないんです! むしろ、黙っているようにっている安理さんの忠告を無視しちゃったのは私で……っ! 申し訳ありませんっ! 悪いのは私なんです! 叱るなら私を叱ってくださいっ!」


 身体ごと龍翔を振り向いた明珠は、空いている方の左手で卓の下の龍翔の手を握ると、深く頭を下げる。


 そのまま、龍翔の叱責をじっと待っていると。


 小さく吐息した龍翔が、ぽふぽふとなだめるように明珠の頭を撫でる。


「故意ではない不慮の出来事まで、叱責するわけがないだろう? 蛟家こうけの玲泉に目をつけられたのは厄介だが……。お前を玲泉の毒牙になどかけさせぬ。なに、数日もすれば、我々は初華の刺し添え人として、晟藍国せいらんこくへ赴くのだ。王都から離れれば、玲泉とて……」


「恐れながら……」


 強張った表情で梅宇が口をはさむ。


「先ほどご報告した件でございますが……。瓓妃様は威厳を傷つけられたと、玲泉様にひどくお怒りで……。玲泉様の顔など見るのも嫌だ、しばらく出仕を取りやめさせてほしいと、陛下に直談判なさったほどでございまして。ですが、陛下とて蛟家の若様をないがしろになさるわけにはいかず……」


「つまり、玲泉も初華の差し添え人に選ばれていると?」


 不機嫌極まりない龍翔の声に、己の罪でもないのに、


「左様ございます……」

 と梅宇がこの上なく申し訳なさそうに首肯する。


「うっわ~。玲泉サマも差し添え人って……!? 宮に隠すこともできないっスし、明順チャンにちょっかい出し放題じゃないっスか……」


「そのよう事態を許すはずがなかろう!?」

 安理の呟きに、龍翔が怒りに満ちた声を出す。


「明順を玲泉などの毒牙にかけさせるものか!」


 明珠の指先を握る龍翔の手に、痛いほどの力がこもる。


「……そのぅ、玲泉様って、そんなに厄介な御方なんですか……? 拝見した感じでは、穏やかでお優しそうな方に見えたんですけれど……?」


 正直、明珠には龍翔達がなぜ、これほど玲泉を警戒しているのか、さっぱり理解できない。


「やっぱり、ご身分が高いから、ご機嫌を損ねると大変ってことなんですか……?」


 きょと、と小首をかしげると、何とも言えない沈黙が卓に落ちた。


「……そう、だよな。初めて王城に来た明順が、玲泉様のことを知らないのも当然だよな……」


 張宇が困り果てたように視線をさまよわせながら呟く。


「玲泉サマと言えば、龍翔サマと並び立つ宮中の人気を二分する美貌の主で、王城じゃ下男下女に至るまで、知らぬ人のいない有名人っスからねぇ……。遊び人としても」


 安理が張宇に続いて吐息する。


「龍翔様に並び立つ者が、そうそういてたまりますかっ!」


 変な方向から安理に噛みついたのは季白だ。


「玲泉様の取り柄は、蛟家の嫡男であることと、あの美貌だけでしょう!? 百歩譲って、有能な官吏であることは認めてもよいですが、龍翔様と並び立とうなど、おこがましいにもほどがあります! あの男しょ――」


「きゃあっ!?」


 突然、握られていた手を、強く引っ張られる。

 とすっ、と龍翔の胸板に当たったかと思うと、頭に腕が回され、ぎゅっと抱き寄せられた。


「ろくでもない言葉で明順の耳を汚すなっ!」

 龍翔が季白に怒鳴る。


(だん……団子?)


 季白が何と言おうとしたのか、聞き取れなかった。が、それよりも。


「おっ、お放しくださいっ!」


 一瞬で顔が熱くなったのがわかる。


 季白達だけでなく、梅宇達もいるというのに、何ということをするのか。

 羞恥のあまり、気が遠くなりそうだ。


「り、龍翔様!」


 掴まれていない左手で龍翔を押し返すが、龍翔の腕は緩まない。

 頭に回された袖と、押しつけられた胸元からたゆたう香の薫りにくらくらする。


「玲泉についての話は、ここまでだ」


 明珠が暴れるのを無視して、龍翔が決然とした声を出す。


「玲泉が本当に不調を訴えていないのか、何を企んでいるかわからぬ現状では、これ以上話しても、らちが明かん。――安理。調べるのはお前に任せたぞ」


「了解っス~♪ ヘマした分、しっかり取り返させていただきます」

 安理が珍しく真面目な表情で頷く。


「梅宇、梓秋、梓冬。すまぬが、お前達にも調べてほしいことがある。宮女達から情報を集めるのならば、お前達に頼む方がよいだろうからな。手間をかけてすまぬが……」


「何をおっしゃいます! 龍翔様の御為おんためならば、どのようなことでもいたします!」


 呆気にとられたように龍翔を見つめていた梅宇達が、我に返ったように背筋を伸ばす。


「り、龍翔様!」


 明珠が必死になって声を上げると、ようやく龍翔の腕が緩んだ。

 明珠はあわてて身を離そうとしたが、手は掴まれたままだ。


「急に何をなさるんですか!? 玲泉様のだん……お団子? が、どうとか……」

「「ぶふっ!」」


 張宇と安理が同時に吹き出す。龍翔が一つ吐息して張宇を振り向いた。


「……張宇。お前のことだ。どうせ団子も買い置きがあるんだろう? 明順にやったら、明順と周康に黒曜宮の案内をしてやってくれ。わたしはひとまず着替えてくる。季白、手伝え」


 龍翔がようやく明珠の手を放して、席を立つ。

 龍翔に続いて、季白達もあわただしく動き出した。

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