16 第一印象から最悪です? その2


 安理を見つめる梅宇の視線は、刺すように鋭い。

 が、安理は「え~」と人の悪い笑顔で小首をかしげる。


「龍翔サマが、直接話すっておっしゃってるコトを、オレが説明するわけには……。それより、明順チャンのついでに、オレもお菓子が欲しいっス♪」


「あっ、あの、私はお菓子なんて、そんな……っ」


 わたわたと辞退しようとすると、梅宇にきっ、と睨まれた。針のような視線に、明珠はひいぃっ、と洩れそうになった悲鳴を飲み込む。


「いいえ、用意いたします。梓秋ししゅう梓冬しとう、用意をしてちょうだい」


「あら、梅宇。もしかして」

「わたくし達をけ者にする気じゃ……」


「そんなことはしません! 張宇様用に用意している菓子がたっぷりあるでしょう? そこから持ってきてくれたらよいですから」


 明珠から視線を外さずに、梅宇が梓秋と梓冬に命じる。


「「かしこまりました」」


 と、型通りの美しい礼をして、二人が部屋を出て行った。

 その間も、梅宇の視線は片時も明珠から離れない。


 もし、視線が目に見えるものなら、今ごろ明珠の顔は大穴が空いているか、針山のようになっているに違いない。


(い、いたたまれない……っ!)


 安理の方を向いたら、情けない顔で助けを求めてしまいそうで、明珠は唇を引き結んで梅宇の視線を受け止める。


 安理ならば、きっと面白がりながらも助けてくれるだろうが、梅宇に情けない新人だと思われたくはない。正直、心の中では泣き出しそうだが。


 菓子を出すようにという龍翔の手紙は、きっと明珠への気遣いゆえだろうが、今の状況では、喉を通る気がしない。


 龍翔が皇帝陛下への拝謁を終えていつ帰ってくるかはしらないが、早く戻ってきてほしいと、心の底から願わずにはいられない。


 と、梓秋と梓冬が手に手に盆を持って戻ってくる。やけに早いが、きっと龍翔や安理が戻ってきた時のために、あらかじめ用意していたのだろう。


「はい、どうぞ」

「安理ちゃんにもお菓子ね」


 梓秋と梓冬が、卓の上に茶の器と菓子が載った小皿を、それぞれ五つずつ置く。


「私は要るとは言っていないけれど」

 渋面で告げる梅宇に、梓秋と梓冬は、


「あら、一緒にいただきましょうよ」

「そうそう。私達もいただくし」


 とにこやかに応じ、梅宇をはさんで席につく。


「それとも、全部張宇さんに食べさせてあげたかった?」

「可愛い甥っ子を喜ばせようと、朝早くに起きて作っていたものねぇ」


「別に、張宇のためだけに作ったわけではありません! これは、公務でお疲れになられるであろう龍翔様のお心を、少しでも和ませようと……っ!」


 梅宇が目を三角に怒らせる。が、梓秋と梓冬はこたえた様子もなく、くすくす喉を震わせた。


「大丈夫よ。梅宇が龍翔様を大切に思っているのは、よぉ~く知っているもの」

「もちろん、張宇さんを大切に思っているのもね」


「わ、わたくしは張宇だけを特別扱いしている気は……っ」

 梅宇の顔がうっすらと赤く染まる。


(……あ。照れた顔は、張宇さんとよく似てる……)


 やっぱり張宇の伯母なのだと、嬉しくなってまじまじと見つめていると。


「何ですか、にまにまと!」

 と思いきり睨まれた。


「い、いえ……っ」


 ぶんぶんと首を横に振り、梅宇の視線から逃れるように、卓の上の菓子に目をやり。


「うわぁ~っ! 綺麗なお菓子ですねぇ! これを作られたんですか⁉」


 小皿に載せられた菓子の見事さに、思わず感嘆の声を上げる。


 菓子は、あんを餅でくるみ、松の実を花の形に配した見た目からして上品な菓子だった。

 餅が薄いので、ほんのりと餡の色が透けて見えるのが目に楽しい。黒餡と白餡、うぐいす餡の三種類だ。


「世辞を言っても何も出ませんよ。さ、お食べなさい」


「はいっ、いただきます!」


 緊張はするが、張宇に似たところがあると思うと、それだけで親しみがわいてくる。


 明珠は手を合わせて丁寧に一礼すると、楊枝を取った。食べやすいように一口大に作られた菓子を口に運び。


「おいしいです~!」

 思わず歓声を上げる。


 餡は上品な甘さで、餡をくるんだ餅は、薄いのにしっかりと弾力がある。飾られた松の実の風味と食感がまた、餅の柔らかさと餡の甘みを引き立てている。


 貧乏人の明珠にとって、甘味は貴重品だ。しかも、こんなにおいしいとなれば。


「は~っ、幸せです……っ!」


 あたたかなお茶が菓子によく合う。馥郁ふくいくとした香りは、絶対に高級茶葉に違いない。


 龍翔に仕えて一番嬉しいことは、こうやっておいしいものをたくさん食べられることだろう。


 自分でも頬が緩んでいるのがわかる。

 梅宇の刺すような視線も忘れて舌鼓を打っていると。


「ぶくく……っ。いやぁ~、明順チャンってば、ほんっとにおいしそーに食べるよね♪」


 隣の安理が吹き出した。


「「おいしそう」じゃなくて、おいしいんですもん! そ、そんなに顔がにやけてましたか?」

 おろおろと安理に問い返すと。


「――安理さん」


 静かな、けれども、鋭い刃を連想させる声が割って入る。


 反射的にぴしりと背筋を伸ばして、明珠は声を発した梅宇を見た。


 梅宇の視線は、じっ、と明珠に注がれている。

 違和感一つ見逃すまいと、穴が開きそうなほど明珠を見つめ。


「この「明順」とやらは、本当に「」なのですか?」


 視線を外さぬまま、梅宇が冷ややかに問いを紡ぐ。


「っ⁉」

 明珠は息を飲んで固まった。


 視線だけで安理をうかがうと。


「……あ、やっぱり梅宇サンほどの人の目はごまかせないっスか?」


 にへら、と安理が悪戯いたずらがばれた子どものような表情で笑う。


 ぱしん! と梅宇が激昂をぶつけるかのように、右手で卓を叩く。


「わたくしの目をごまかせるわけがないでしょう⁉ これはいったいどういうことなのですか⁉ いつもの悪ふざけでしたら、承知しませんよ‼」


 梅宇の鋭い視線が明珠から安理に移る。

 その両隣では梓秋と梓冬が、


「あら、一目見た時から、女の子みたいに可愛い少年だとは思っていたけれども……。まさか、本当に女の子だったなんて」


「でも、なかなか巧く化けているわよね? 年若い宦官には、中世的な者だって多いし……」


「さすがに王城で性別を偽る大それた者がいるなんて、誰も思わないものね」


「まあ、首や手首の細さとか、ちょっとした仕草がね……。それなりに所作をしつけられているみたいだけど、それが逆にね」


 と、小声で囁きあっている。


「安理さん⁉ このようなことが万が一にでも他の派閥に知られたら、龍翔様のお立場がどれほど悪くなると……っ⁉」


 厳しく責め立てる梅宇の声音にも、安理はたじろがない。


「違うんスよ、梅宇サン。明珠チャン……あ、本名は明珠チャンってゆーんスけど。「明順」ってイロイロと偽っているのは、明順チャンを守るためでもありますけど、何より、龍翔サマをお守りするためで……」


「龍翔様を⁉ 本当に、いったい何があったのです⁉」

 卓に乗り出さんばかりに梅宇が詰問する。


「えー、そのぉ~」


 安理が困り顔になったところで、安理と梅宇の二人が同時に玄関の方向を振り向く。


 何事だろうかと明珠が尋ねる間もなく。


「お帰りになられたわ!」

「みたいっスね~」


 梅宇達があわただしく部屋を出ていく。明珠も急いで後に続いた。


 早足に廊下を進んだ梅宇達が、玄関で両膝をついてこうべを垂れる。安理の後ろに続いた明珠も、最後尾で両膝をついたところで。


「今、帰った」


 季白と張宇と周康の三人を後ろに従えた龍翔が、張宇が開けた扉をくぐって入ってきた。


「お帰りなさいませ」

 と梅宇達が声を合わせて、さらに深く頭を下げる。


「長く宮を空けてすまなかったな。梅宇、梓秋、梓冬、三人とも息災だったか?」


 深くこうべを垂れてかしずく侍女達に、龍翔が柔らかな声音で問いかける。

 感じ入ったように梅宇達が肩を震わせた。代表して梅宇が応じる。


「お優しいお言葉に感激しきりでございます。わたくしどもは、龍翔様のご無事をお祈り申しあげながら、つつがなく過ごしておりました。龍翔様こそ、勅命を見事に果たされてのお戻り、まことにおめでとうございます」


「ああ。思った以上に日数を要し、お前たちには心配をかけた」


「何をおっしゃいます。わたくし達はただ、お留守をお守りしていただけでございます。龍翔様のご苦労の足元にも及びませぬ。ですが、主が不在の黒曜宮は、火が消えたようでございまして……。こうして、龍翔様のご立派なお姿を拝見でき、喜びもひとしおでございます」


 梅宇達が目を細めて龍翔を見上げる。梅宇の言葉に嘘偽りがないのは、今日会ったばかりの明珠でもわかる。


 龍翔達が戻ってきただけで、宮の空気が色づき、華やぐようだ。

 立派な衣を着ているからではない。人を魅了せずにはいられない龍翔の人徳ゆえだろう。


 と、龍翔が笑みを浮かべて梅宇達の前を通り過ぎる。


「明順! 何事もなく無事に着けたか?」


「は、はい……、きゃっ⁉」


 拱手きょうしゅの礼をとっていた明珠の手を龍翔が掴んだかと思うと、ぐいっと問答無用で立ち上がらせる。


 皇帝陛下に拝謁するために、冠をつけ、金糸銀糸で刺繍された立派な衣をまとった龍翔がすぐそばに迫り、心臓がばくりと跳ねる。


 が、龍翔はいつものように黒曜石の瞳を悪戯っぽくきらめかせて、明珠の顔をのぞきこむ。


「梅宇への手紙はちゃんと渡せたのか?」


「は、はい! その、ありがとうございます! 梅宇さんが出してくださったお菓子は、本当においしくて……っ!」


 お菓子のおいしさを思い出し、ついつい声が弾む。龍翔が嬉しそうに口元をほころばせた。


「そうか。梅宇達が作るものは、菓子でも料理でもいつも美味だからな。お前にもぜひ食べさせてやりたいと思っていたのだ。お前が喜んでくれたのなら、わたしも嬉しい」


 明珠の頭に手を伸ばしかけた龍翔が、


「龍翔様!」


 梅宇の厳しい声に、動きを止める。


「いったい、どういう事情なのか、わたくし達にもわかるよう、きっちりとご説明いただけますか?」


 両膝をついたまま顔だけを上げ、龍翔を見上げる梅宇の視線は、主に向けているとは思えぬほどの鋭さだ。


「そ、その……」


 明珠が、梅宇達に正体がばれてしまったのだと告白するより先に。


「……やはり、梅宇達の目はごまかせなかったか……」


 龍翔が深く嘆息する。


「これほど愛らしい少年が、そうそういるはずがないからな……」

「……へ?」


 どんな美女よりも麗しい顔で、いったい何を言いだすのかと、あっけにとられる明珠の隣で。


「ぶぷ――っ‼」


 と、安理が遠慮なく吹き出した。

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