15 厄介な方に目をつけられちゃいました⁉ その2


 明珠がぶつかったのは安理の背中だったらしい。だが、左腕は玲泉れいぜんに掴まれたままだ。


 安理の口調はいつもの軽い口調に戻っているにもかかわらず、発される威圧感はただごとではない。明珠の背中が粟立つ。


 驚きに目を見開いた玲泉が、次の瞬間、楽しげに唇を吊り上げた。


「それがお前の本性か。ようやく見ることができたな?」


「え~っ、とんでもないっス。さっきの礼儀正しいのが、ほんとのオレですから♪ そんな謙虚で慎ましやかなオレの平安のためにも、手を出すのはやめていただけません? 張宇サンと梅宇サンの二人に睨まれたら、オレ、黒曜宮で居場所がなくなっちゃうんで♪」


 どこか挑むような安理の声に、玲泉は華やかに笑う。どこか龍翔を連想させる悪戯いたずらっぽい光が瞳に宿り。


「叱責するのは、もっとやんごとない御方ではないのかな? ……その、花びらを落とした」


「っ⁉」

 玲泉の言葉に、安理が鋭く息を飲んで明珠を振り返る。


「?」


 わけがわからず小首をかしげた瞬間。

 安理の不意を突いて伸ばされた玲泉の左手が、安理が掴んでいない方の、明珠の右の手を握る。


 強く引かれ、たたらを踏んだ身体を、二人の間に割って入った安理に抱きとめられた。


 が、とっさのことで安理も支えきれなかったのか、安理と玲泉、二人に寄りかかるような形になる。

 すぐそばに迫った玲泉から、龍翔の香とはまた異なるよい薫りが届く。


「すっ、すみま――」


「玲泉サマっ⁉」

 玲泉が明珠の右手を掴んでいるのを目にした安理が、愕然がくぜんと目を見開く。


「わっ、ぷ!」


 かと思うと、明珠は腕を回した安理に抱き寄せられた。同時に、安理が明珠の右手を掴む玲泉の手を振り払う。


「あ、安理さん⁉」


 まるで、毛を逆立てた猫のような安理の反応に、明珠はうろたえた声を出す。

 手を振り払われたというのに、楽しげに喉を鳴らしたのは玲泉だ。


「まるで、子猫を守る母猫だな」

「おっそろしー番犬に噛み殺されたくないっスから」


 明珠を隠すかのように玲泉に半分背を向け、顔だけ振り向いた安理が、眉をしかめて答える。


「玲泉サマも、噛まれたくなかったら、おとなしくした方が御身おんみのためっスよ」


「それは、脅しかね?」

 玲泉が形良い眉をわずかに上げる。


「とんでもございません。心からの忠告っスよ。こっちとしても、蛟家こうけの若サマともめ事を起こしたくはないっスから」


 玲泉が優美な面輪にとろけるような笑顔を浮かべる。


「安心せよ。他言はせぬ。……どれほどの美姫に言い寄られても、つれなくあしらっておいでだったが……。まさか、このようなご趣味だったとはな」


 玲泉が誰もが見惚れずにはいられないような、あでやかな笑みを浮かべる。


「こんな面白いことを他人に教えてやるなど。むざむざと楽しみを奪われるようなことを、するわけがないだろう?」


 途端、安理が口に泥団子を突っ込まれたような顔をした。


「……玲泉サマをお相手にするようなことは、なさらないと思うっスよ?」


「それは残念だ」

 玲泉が芝居がかった仕草で物憂げに嘆息する。


「かの御方のお好みは、少女と見まごう美少年というわけか。しかし、今まで噂の一つもなかったというのに、突然、王城にまで連れてこられるとは……。乾晶けんしょうで見出されたのかな?」


 明珠の顔をもう一度確認するかのように、玲泉が安理の腕の中をのぞきこもうとする。


 安理に抱き寄せられたまま、身を固くして二人のやりとりを聞いていた明珠は、びくりと身体を震わせた。が。


「これ以上は、番犬がいるところでにしてくださいます?」

 安理が右腕を上げ、玲泉の視線を袖で遮る。


「オレ、叩っ斬られるのは御免っスから」


「おや。またの機会を与えてくれるのかい?」

 からかうような玲泉の声に、安理がにへら、と笑う。


「さあ? それも含めて、お伺いを立ててくださいっス♪ 口にした瞬間、蹴り出されても知りませんけど♪」


「忠告、肝に銘じておこう」

 艶然えんぜんと玲泉が微笑む。


「ここで長居して、口さがない宮女の目にふれても困る。滅多に見られぬ母猫の必死さに免じて、ここは引こう」


 悠然と玲泉が背を向ける。

 優雅な後姿が木立の向こうへ消え去ってから。


「あ、あの……っ」

 明珠は安理の腕の中で身じろいだ。非常事態だったとはいえ、居心地が悪すぎる。


「ああ、ゴメンゴメン」


 いつもの軽い口調でびながら、安理がぱっ、と腕をほどく。

 が、口調とは裏腹に、表情は今まで明珠が見た記憶がないほどの渋面だ。


「あの、すみませんでした! 安理さんの言いつけを破って、勝手に口をきいたりして……っ」


 明珠のせいで困った事態を招いたのではなかろうか。

 しゅんと肩を落として詫びると、安理が笑ってなぐさめてくれる。


「いや、明順チャンの対応は悪くなかったよ。あそこで黙りこくって、無視したって難癖なんくせつけられても困ったことになってたし。ただ……」


「ただ?」

 顔をしかめた安理につられたように、明珠も眉を寄せる。


「明順チャン、さっき玲泉サマに手を掴まれてたよね? しかも、素手で」


「は、はい……」

 明珠はこっくりと頷く。


 荒れたところ一つないなめらかな手は、労働を知らない生粋きっすいの貴族の手だった。


「明順チャンって、実は男の子だったりする?」

「ふえっ⁉」


 突然、とんでもないことを問われ、すっとんきょうな声が出る。

 あっけにとられた明珠の顔が面白かったのか、安理がぷっと吹き出した。


「冗談、じょーだん! うん、抱き寄せたあの感触は間違いなく……。あ。ってゆーか、龍翔サマには、オレが抱き寄せたなんてコトは内緒にしてね♪ でないとオレ、とんでもない目に遭わされちゃうから!」


「はあ……」

 安理は明珠を庇ってくれたのだから、むしろ、褒められるところではないだろうか。明珠は曖昧あいまいに頷く。


「けど、だったらどうして……? すぐには出なかっただけ? もし、今頃出てたら……。マズイ。本気でマズイ……っ!」


 安理は深刻な顔でぶつぶつ呟いている。心なしか、顔色が悪い。


「……今からその辺の宮女でもぶつけてみる? いやでも、簡単にふれさせてくれる御方じゃあ……。報告して、様子見の方がいいのか、これは……?」


「あのう……。大丈夫ですか?」

 心配になって、安理の顔をのぞきこむ。


 我に返ったように明珠に焦点を合わせた安理が、不意に明珠の首元に手を伸ばしてきた。


「ああ、ごめんごめん。オレが引っ張っちゃったせいで、ちょっと乱れちゃったね」


 安理の指先が、首の一点にふれる。


「これ……」


「? どうしたんですか?」

 きょとんと見返すと、安理が薄く笑う。


「本人が気づいてないなんて、何があったか、ホント気になるわー。命が惜しいから、ツッコまないケド」


 安理が優しい手つきで、明珠の着物の合わせを整えてくれる。


「す、すみません」


「いーって、乱しちゃったのはオレなんだから。ま、ここで立ち止まってて、別の方に捕まっても面倒だし、とりあえず歩こっか」


「は、はいっ」

 こくりと頷き、安理と並んで歩きだす。


「あの、安理さん。さっきの玲泉れいぜん様とおっしゃる方は……?」


 周りを見回し、人目がないのを確認してから、明珠はおずおずと安理に問うた。


「玲泉サマ? 名家・蛟家こうけの若様だよ。蛟家ってのは、何人も大臣を輩出してる、龍華国でも指折りの名家で……。まあ、宮廷術師を任じている蚕家さんけは立ち位置が特殊なんで、一概には比べられないけど……。蚕家に負けず劣らず有力な家といっていいね。玲泉サマの父親が現大臣だし。本人も高位の官職を持ってるから、本来なら龍翔サマの帰還報告の場にいるハズなんだけど……」


 安理が深くふかーく息を吐く。


「ほんっと、なんでこんなトコにいるかなぁ~っ‼ よりにもよって、見つかっちゃったのがアノ方って……っ‼」


 「うわぁ~っ!」と、安理が頭を抱えそうな勢いでもだえる。


「えっと……。そんなに見つかったら厄介な方なんですか?」


 明珠は先ほどのやりとりを思い返す。


 わざとなのだろう。曖昧あいまいな言葉でやりとりしていたので、会話の内容の半分も理解できなかったが、玲泉が見慣れぬ従者に興味をもったのは確からしい。


 それだけ、王城で龍翔の存在が目立っているということかもしれないが……。


 性別も身分も偽っている明珠としては、高官に興味を持たれるのは大いに困る。


 まるで、花の精と見まごうばかりに優美な玲泉の姿からは、厄介さなど少しも感じなかったが……。見た目と性格が反している場合もあるだろう。


 おずおずと問うと、安理が難しい顔のまま、「んー」と唸った。


「厄介と言えば、厄介極まりないんだよね~。明順チャンも見た通り、あの美貌だからね~。何にしろ、目立つ方なんだよ。王城の宮女の人気を龍翔サマと二分していると言っていい方だからね。……まっ、龍翔様とは別の意味で相手になさらないんだけど。龍翔サマといい、玲泉サマといい、報われないってわかってるのに、なんであんなに人気があるんだか……。やっぱり見た目かぁ~?」


 不満そうに唇をとがらせた安理が言を継ぐ。


「家柄といい、本人の美貌や行状といい、とにかく、何かするだけで目立っちゃう方なんだよ。そんな方が、龍翔サマの新しい従者に興味津々となればもう……! 口さがない宮中の者達の間で、どんな噂が乱れ飛ぶやら」


 安理が深いため息をつく。


「こんなコトなら、最初から「明順」じゃなく……。いやダメか。それだと、玲泉サマは興味ナシでも、他の方々の興味を引くことになっちゃうもんなぁ……。あーもうっ! どっちに転んでも、龍翔サマの雷喰らうの確定じゃん、オレ‼」


「あ、あのっ、よくわかりませんけれども、私が悪いことをしたんなら、私も一緒に謝りますから! 安理さん一人に責任を押しつけたりはしませんっ!」


 龍翔や季白に叱責されるのは恐ろしいが、見つかったとがというなら、明珠だって同罪だ。


 安理を励まそうと口にすると、「ほんとにっ⁉」と安理が喜びの声を上げた。


「明順チャンが一緒なら、龍翔サマも手加減してくれるかも! かえって怒られる可能性もあるケド……。あっ! 一つだけ大事な忠告をしとくよ?」


 足を止めた安理が、不意に明珠を振り返る。

 真剣そのものの顔で、明珠の両肩を掴み。


「龍翔サマが許さないに決まってるけど……。明順チャンは、絶対に玲泉サマと二人きりになっちゃダメだからねっ! ほんっと、色々とアブナイからっ! ついでにオレや周りの身も危なくなるからっ‼」


「は、はあ……」


 わけもわからぬまま安理の勢いに押されるように明珠は頷いた。


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