14 ついにお城に登城です⁉ その2


 濃い青の地に銀糸でふんだんに刺繍がほどこされた絹の服。帯には宝石が縫い込まれ、部屋の窓から差し込む陽光を反射して煌めいている。


 その宝石よりもなお、輝かしいのは。


 ぽぅっ、と魂が抜けたように、明珠は龍翔を見つめる。

 乾晶でも、総督の宴に出るために着飾った龍翔を見たことはある。が。


(な、なんだか、その時よりもさらにきらびやかで、目がくらみそう……っ!)


 目にしている光景が、夢か幻ではないかと、本気で疑う。


 龍翔がいるだけで、空気まであざやかに色づき、薫り立つようだ。

 視線を外すことができず、時間が止まったように龍翔の端麗な立ち姿に見惚れていると。


「明順?」


「は、はいっ!」

 小首をかしげた龍翔に呼ばれ、飛び上がる。


「どうしたのだ? ぼうっとして……」

「い、いえっ、あの……」


 龍翔様のお姿に見惚れていましたなんて、面と向かって本人に言うのは気恥ずかしい。


 もごもごと呟くと、龍翔が明珠に歩み寄る。

 さやかな衣ずれの音と同時に、衣に焚き染められた馥郁ふくいくたる薫りが、かすかにたゆたう。


「どこか具合でも悪いのか?」

「ち、違います!」


 あわててかぶりを振ると、龍翔がほっとしたように表情を緩めた。


「ならばよいが……。体調が悪いのなら、すぐに言うのだぞ?」

「だ、大丈夫です! 元気ですからっ」


「そういえば、お前に一つ頼みたい手紙があるのだが……。まだ隣室に置きっぱなしだったな」


「で、では私が取ってまいります!」


 龍翔が止めるより早く、逃げるように身をひるがえす。

 このまま突っ立っていたら、いつまでも、ぽ――っと龍翔を見つめてしまいそうだ。


 隣室の文机の上には、折りたたまれた紙が一枚、置かれているだけだった。どうやら封もされていないらしい。


(簡単なことづけの手紙なのかな……?)


 手紙を取ると同時に、背後でぱたりと扉が閉まる音がした。振り返った明珠の目に映ったのは、こちらへ歩いてくる龍翔の姿だ。


「ど、どうなさったんですか?」


 思わず身構えると、明珠のそばまで来た龍翔が、秀麗な面輪をしかめた。


「どうしたというのなら、お前の方だろう?」

「え?」


 聞き返した明珠の頬に、龍翔の手が伸びてくる。反射的に後ずさろうとした身体が文机に当たり、がたりと音が鳴った。


 手を止めた龍翔の眉間に、ますます深いしわが刻まれる。


「なぜ逃げる?」

「いえ、逃げてな――わぷっ」


 言い切るより早く、腕を掴まれ、ぐい、と引き寄せられる。

 押し寄せる香の薫りと、頬に当たるなめらかな絹の感触。


「……何か、お前に隔意を抱かれるようなことをしてしまったのか?」


 顔の見えない龍翔が、苦く揺れる声で問う。


 低く耳に心地よい声に宿る不安さに、かぶりを振ろうとし――強く抱きしめられていて叶わなかった明珠は、あわあわと言葉を紡ぐ。


「ちがっ、違います! ただ、その……っ。龍翔様のお姿があまりに立派でおそれ多くて……っ。私なんかがおそばでお仕えしていいのかな、って……」


「何を言う」

 龍翔の声と腕に、力がこもる。


「お前がいてくれなければ、わたしは人前に出ることすら叶わぬというのに」


「り、龍翔様! 手紙が! 手紙がぐしゃぐしゃになります!」


「手紙など、どうでもよい」

 明珠が訴えても、龍翔の腕は緩まない。


「そ、そもそも、季白さんにクビを言い渡されない限り、龍翔様の従者を辞めるなんてこと、ありませんからっ! だから、お放しください! 高価なお着物にしわをつけたらと思うと、心臓に悪いですから――っ!」


 半泣きで叫ぶと、ようやく龍翔の腕が少しだけ緩んだ。だが、まだ放してくれない。


「そういえば、乾晶でも似たようなことを言っていたな。高価な服は緊張すると」


「当たり前ですっ! 高価な服を汚してしまった時のあの恐怖……っ‼ 弁償できるお金なんて、逆立ちしたってないんですから……っ‼」


 蚕家に奉公に来た初日、梅酢で絹の服を汚してしまったあの恐怖は、今も明珠の心に大きな傷を残している。思い出すだけで胸が騒ぎだし、鼓動が痛いほどになってきた。


「お願いですから、もうお放し……」


「では」

 明珠の懇願を、悪戯いたずらっぽい声が遮る。


「お前がわたしを褒めてくれたら、放そう」


「ええっ⁉ 褒めるって……?」

 わけがわからず龍翔を見上げると、楽しげな笑顔にぶつかった。


「さっき、季白や張宇を褒めていただろう?」

「はあ……」


「わたしは?」

 龍翔が首をかしげて、明珠の顔をのぞきこむ。


「わたしは、褒めてくれぬのか?」


「えええぇ~っ」


 季白達の姿を見た途端、歓声が飛び出したのは確かだが、別に褒めようと意識して言ったわけではない。安理にしたってそうだ。自然と口をついて出てきた。


 もちろん、龍翔だって素敵だ。むしろ、麗しすぎて、明珠などの語彙ごいでは誉め言葉が見つからない。


 季白達はさぞかし女性達の熱い視線を集めるだろうが、龍翔の端麗な姿は、老若男女問わず、見た者すべてを虜にするだろう。だが。


(それを当の本人を前に言うのって、すごく恥ずかしい……っ!)


「あ、あの、誉め言葉でしたら、季白さんが何刻だって語ってくれるんじゃ……?」


「季白に褒められても嬉しくもなんともなかろう?」

 不機嫌に眉根を寄せて、龍翔が言い捨てる。


 笑んだ瞳で明珠を見つめ、


「お前でなければ、意味がない」


「ふぇっ⁉」

 ぼんっ、と顔が沸騰する。


「そ、そりゃあ、季白さんが龍翔様をたたえるのはいつものことですから、季白さんの誉め言葉には飽きてらっしゃるかもしれませんけど……」


 うろたえる明珠に龍翔が視線を合わせる。


「言ってくれぬのか? わたしにだけ」


 秀麗な面輪に浮かんでいるのは、子どものようなねた表情だ。


「言ってくれぬと、放せぬぞ?」


「龍翔様? そろそろお出になる時間ですが……」

 内扉が叩かれ、張宇の遠慮がちな声がかかる。明珠は救いの手を見た気がした。


「ほ、ほら! 張宇さんが呼んで――」


「すぐに行く。少しだけ待て」

 振り返りもせず、閉められたままの扉の向こうに命じた龍翔が、すこぶる楽しそうに明珠を見下ろす。


「さあ。言ってくれねば、放すどころか遅れてしまうな?」


「なっ⁉ お放しくださったらいいだけじゃないですか――っ⁉ なんでこんな……っ」


「だめなのか?」

 しゅん、と龍翔が、叱られて耳を垂らす大型犬のような顔をする。


「っ⁉ そのお顔は反則ですっ! そ、その……っ」


「うん?」

 にこにこと龍翔が続きを促す。


 その顔をまともに見れず、視線をさまよわせながら、明珠は恥ずかしさをおして、何とか言葉を紡ぐ。


「り、龍翔様もすごくすごくご立派で、素敵です……」


 言った途端、ぎゅっとふたたび抱きしめられる。

 同時に、あたたかく柔らかなものが額にふれ。


「ひゃああっ⁉」

 驚いて見上げると、満面の笑顔にぶつかった。


「好まぬ華美な服も、お前にそう言ってもらえるのなら、報われるな」


「え?」

 思いがけない言葉に目を円くすると、龍翔が小さく苦笑した。


「もともと華美な服は好きではないのだ。動きづらくてかなわん。が……今日ばかりは、好き嫌いを言ってられんからな……」


「皇帝陛下に拝謁なさるんですよね⁉ それは、立派なお着物を着られませんと!」


 皇帝陛下だなんて、雲の上の高貴な方々の頂点だ。きっと、威厳にひれ伏さずにはいられないような御方なのだろうと、明珠は龍翔を見上げて空想する。というか。


「もうよろしいでしょう⁉ 張宇さん達が待ってらっしゃいますから!」

 明珠は龍翔をぐいぐいと押す。


「それに……ああ~っ、やっぱりお手紙がぐしゃってなっているじゃないですか~っ」

 明珠が手に持っていた紙は、すっかりよれている。


「字さえ読めればかまわぬ。単なる言伝ことづてだからな」

 なだめるように言いながら、龍翔が腕をほどく。


「衆目を集めねばならんのは面倒極まりないが……。お前のためだというのなら、何ほどのこともない」


 明珠と視線を合わせた龍翔が、柔らかに微笑む。


「用を済ませたら、すぐにお前の元へ行く。頼むから、いい子で待っていてくれよ?」


「は、はい! もちろんです!」

 明珠がこくこくと頷くと、


「よし。では、ちゃんといい子にしていたら、褒美をやろう」


 まるで幼い子どもに言い聞かせるように、龍翔がぽふぽふと頭を撫でた。


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